愛知県の旧街道と宿場町名など


○解説

 尾張名古屋の地名は昔から変わらず。一方、最も変わってしまったのが企業名である豊田に変わってしまった挙母(ころも)でしょうか。では、詳細に見ていくことにしましょう。


 地図右下から見ていきましょう。「宿」と書いたのは東海道の宿場町です。
 東海道の関所として有名な新居宿(あらい/静岡県浜名郡新居町)を越え、白須賀宿(静岡県湖西市白須賀)を通ると、遠江国から三河の国へ入り、現在の愛知県内に突入。「ふく川」みたいに見えるのは、二川(ふたがわ)宿のことで現在の愛知県豊橋市二川町にあたります。現在でも宿場町の本陣が残っており、歴史好き。旅行好きなら必見。

 そして吉田は現在の豊橋市中心部のこと。1869(明治2)年に豊橋と改称されました。これは、豊川を渡るぶ旧東海道(現在の愛知県道496号白鳥豊橋線)の橋の名前である豊橋(とよばし)から採ったもの。吉田の名前は、豊橋市内の町名にも存在しなくなってしまいましたが、城の名前は今でも吉田城として親しまれ、豊川を渡る国道1号線に架かる橋の名前は吉田大橋を名乗っています。

 さて、続いて御油の松並木が現在の名高い御油宿(現在の豊川市御油町)、赤坂宿(愛知県豊川市赤坂町)、藤川宿(愛知県岡崎市藤川町)、そして徳川家康の出身である岡崎宿(現在の愛知県岡崎市)に入ります。

 吉田の下に見える小松原は現在の豊橋市小松原町。
 田原は現在の田原市。西尾は西尾市、刈谷も刈谷市と、いずれの城下町も現在の市に発展・・・と思いきや、奥殿は地図上では場所が変ですが、岡崎市中心部の北方にある地名になっています。伊勢湾岸自動車道豊田東インターチェンジの東に位置するもので、現在の地名では岡崎市奥殿。かつては松平家(大給松平家)の陣屋があり、現在でも奥殿陣屋という地名や、実際に陣屋の建物も残っています。


 また、吉良(きら)は忠臣蔵でおなじみ吉良上野介など吉良一族も治めていた由緒ある場所です。


 宮から北へ行くと名古屋。
 一方で、東に見える平針は、現在の天白区平針のこと。岡崎と名古屋城を結んだ姫街道(平針街道)の宿場町があった場所です。続いて伊保は現在の豊田市伊保町。それから挙母は前述の通り挙母市から現在の豊田市に改称。現在の地名からは、僅かに市内に上挙母(うわごろも)が残るのみ(・・・だと思います)。新城は現在の愛知県新城市。そして大木は愛知県豊川市大木町。


 引き続いて東海道を外れて名古屋から北へ。
 織田信長の居城でおなじみ、「きよす」は現在の清須市(旧清洲町)。古来より清須と表記されたり、清洲と表記されたり・・・でしたが、平成の大合併では清須を採用しています。その次は稲沢(現在の稲沢市)でしょうか。


 名古屋の右にある地名は現在の春日井市勝川(かちかわ町)。小牧はもちろん、現在の愛知県小牧市。坂下は現在の春日井市坂下町。内津も春日井市内津町と、ここまでが愛知県内。犬山はもちろん、愛知県犬山市。

 といった感じです。あくまで私が現在の地図などと見比べた結果・・・ですので、今回省略した部分も含めて、情報がありましたら、是非よろしくお願いします。

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