青森県の旧街道と宿場町名など


○解説

 青森周辺。
 青森から西へ、古地図だと解りにくいですが津軽半島へ続く道で、現在の国道280号線にあたる街道。大濱は現在の青森市油川字大浜、その西隣の読みにくい字は、別の古地図と照らし合わせると油川であると思われます。蓬田は現在の東津軽郡蓬田村です。

 また、平館(たいらだて)は最近まで平館村として存在していましたが、2005年に蟹田町と三厩村と合併し、東津軽郡外ヶ浜町となりました。現在でも、外ヶ浜町字平舘として地名は残っています。

 同様に「三馬や」は三厩(みんまや)村のこと。前述の通り、現在は外ヶ浜町です。そして小泊は現在の北津軽郡中泊町大字小泊です。また、この付近は国道339号線と名称が変わっています。

 一方、青森から東への道は現在の国道4号線。の内は、現在の青森市野内、安左虫は温泉でお馴染み、青森市浅虫です。
 弘前周辺。
 青森から弘前を通り、矢立へ行く道は、現在の国道7号線にあたるルートで、なみ岡は、現在の青森市浪岡のこと。黒石はもちろん、現在の黒石市です。

 また、矢立は現在の青森県と秋田県の県境にある、矢立峠のことです。当時、弘前藩は碇ヶ関を設置しており、なかなか厳しい関所だったようです。

 ちなみに話を戻しまして、青森から弘前への宿場町名は明治初期の某古地図には青森、新城、浪岡、藤寄、弘前とありますが、こちらの方が解りやすいですね。

 それから弘前から西へ、日本海方面へ行く道で、こう杉は青森県弘前市高杉のことです。左には載せていませんが、一番上の古地図をもとに続きを解説すると、貝沢(現、弘前市大字貝沢)、七腰内(現在の弘前市十腰内。明治初期の地図には十腰内とあります)、浮田(現、西津軽郡鰺ヶ沢町大字北浮田町、南浮田町)、そして鰺ヶ沢へと続きます。

 続いて下北半島。
 左上の「弁天」は、現在は「むつ市」になった旧脇野沢村の小島である鯛島の別名、弁天島のことでしょうか。その上は、なんと書いているのでしょう? う〜む、よく解りませぬ。 

 それから、佐井は現在も残っている下北郡佐井村のこと。川内は、むつ市川内、それから「よこ濱」は現在の、上北郡横浜町のことです。


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