平坦線区向け直流電気機関車の標準形式「EF65形」/1977-1986


 大きな牽引力で日本の高度成長期を支えてきたEF60型の最終量産機を基に、定格速度の向上を目的にギヤ比を変更するなどの改良を加えて誕生したのがEF65型です。同型はその性能の良さから、貨物列車だけでなく電気機関車にとって花形運用であった寝台特急列車専用機(P型)として、また重連総括制御付で、重連高速貨物列車向けに製造された車両(F型)が500番台として、さらに、両方の機能を備えた車両が1000番台(PF型)としてラインナップされました。

 わたくしの幼い頃の姫路では、大阪発着の寝台特急列車をヘッドマーク付で牽引していた500番台と14系ハザ臨時特急「しおじ」を牽引する1000番台の姿を見ることができましたが、撮影に興じる頃は、特急塗装車は吹田第二機関区所属のF型機が僅かに走るだけになっていました。

 後に、EF58が牽引していた関西発着夜行列車に1000番台が投入され、さらに1984(昭和59)年2月改正で1000番台の初期車が下関機関区に出戻って運用に入り、臨時列車や貨物列車で活躍するようになり、地味な山陽本線に彩りを添えました。EF65型は直流平坦線区の全てを縦横無尽駆け巡って活躍したことから、皆さんの記憶に長く留まることでしょう。2020(令和2)年現在も現役車両がおり、その姿を追い求めるファンが数多くいますが、悲しい哉、老朽化より急速に数を減らしています。

 ここでは1977年から1986年に撮影した写真を製造造番号順に紹介したいと思います。一部の写真は他のコーナーと重複しておりますがご容赦ください。
※ 撮影当時、列車番号に"レ"が付けられているのは旅客客車列車で貨物列車には付記されていませんでしたが、ここでは便宜的に現在風に"レ"を付けています。(平成24年1月18日執筆)

○機体別にご紹介しておりますので、写真をクリックしてください。

▼一般型

     

▼500番台

 冒頭でも触れましたが、姫路市民であったわたくしにとって、小学校3〜4年生時分の"順法闘争"の結果、大幅な遅延となった「あかつき」や「彗星」が通学時間帯にヘッドマークを掲げながら通過していった姿が焼き付いています。しかし、関西夜行はEF58の運用となった後、500番台は東京機関区へ集中配置となって、深夜時間帯に通過するだけとなってしまい、吹田二区所属のF型が僅かに走行するだけになってしまいました。

 一方、米原区所属のF型は「日本海」を牽引するなどしたようですが、大阪以西を走行することはなかったように思います。
個人的な所感ですが、500番台機が1000番台機に置き換えられた際、ヘッドマークの取り付け位置が機関車正面の中心に位置したことに違和感を覚えました。やはり500番台をはじめとする非貫通型の機関車のように、正面やや下の位置にヘッドマークが来る姿が、全体の安定感といい、バランス感といい、一番しっくりいくと思っています。

 ここでは、他のコーナーとの重複も含めて500番台の姿を紹介したいと思います。(平成24年1月18日執筆)

     

▼1000番台

 PF型である1000番台は、関西に於いては馴染みの薄いカマでしたが、東京発着の夜行寝台特急列車牽引機が500番台から1000番台に置き換えられて久々に関西入りすると、EF58が牽引していた大阪発着の夜行寝台特急列車の牽引機として就役し、所謂、有効時間帯に撮影することも可能となりました。また、この頃から、創価臨や天理臨等の団体列車の牽引機としても活躍し、特急塗装を纏って縦横無尽に駆け回りました。

 高校生になって、いつもの踏切で友人達と東京発着の夜行寝台特急列車を徹夜で撮影したことなど、今となっては懐かしい想い出です (現在ではストロボ発光などは許される行為ではないことは認識しています。)。
一番馴染みのなかった1000番台の写真が最も多いのは皮肉としか云い様がありませんが、これも普段の姿の一般型を記録してこなかった故でしょう。(平成24年1月18日執筆)

 

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