1983(昭和58)年秋〜1984(昭和59)年冬 ミニ・トリップ

 この年の夏に初めての北海道旅行を敢行したのは、各地で特定地方交通線の廃止が取り沙汰され出したことが背景にありましたが、その対象路線は全国各地に散らばっていました。

 この年の秋〜翌年の冬、比較的近場の路線を乗り潰すことも大事ではないかとの思いで出かけたものです。まあ、色々と諸事情があって大した枚数ではありませんが、『こんなこともしてたんか』というお気楽なノリで眺めていただければと思います。(使用機種:CANON A−T、執筆 平成24年8月3日)



旅に出た訳ではありませんが、この時期に大学の近くで撮影したものです
1983.11.01 キハ181-27(上)20(下) 大ムコ 21D はまかぜ1号/東海道本線摂津本山−住吉間

【 (その1)山陰ローカル線巡り・・・か? 】

 11月中旬、宮津・舞鶴・小浜の各線を乗り潰した後、大阪発の鳥取・三朝ミニ周遊券で倉吉・若狭・因美の各線を乗ったんですが・・・。


和田山駅名物の煉瓦車庫と給水塔&カマ
1983.11.12 DD51-1125 福/山陰本線和田山駅


未だに運転されている「鳥取はまかぜ」
1983.11.12 キハ181-29(上)28(下) 米ナコ 22D はまかぜ2号/播但線和田山駅

旧客による鈍行列車
1983.11.12 DD51-514 米 720レ/山陰本線和田山駅

山陰本線の普通列車には荷物や郵便客車が併結されていました
1983.11.12 マニ60-674 米トリ 720レ/山陰本線和田山駅

暫くすると下りの普通列車が入線してきました
1983.11.12 DD51-1185 福 833レ/山陰本線和田山駅

和田山駅もそうですが、電化工事が進んでいました
1983.11.12 DD51-1193 福 列番不明/山陰本線江原駅
 この後、さっぱり写真を撮っていません。実は、非常に暖かったこの日、宮津線内で睡魔がわたくしを襲い出し、それとの格闘の末に西舞鶴駅から綾部駅まで辿り着いたものの、折り返しの舞鶴線では地元高校生どもの紫煙に閉口し、乗り継いだ小浜線では、アホ高校生から解放され、上機嫌で窓開放でうつらうつらしていたら、暖かい車内で遂に睡魔に負けて眠ってしまいました。しかし、暖かかったのも眠りにつく前まで。気が付けば、空は真っ暗で気温は下がってるわ、暴風は吹き荒れてるわ、それは凄惨な天候へと変わり果てていました。

 日本海側特有の急激に変わる天候への警戒を怠っていました。『しまった!』と気がついた時には既に遅し!すっかり風邪を引いてしまいました。

 予定の時間でありましたが、吹田の友人の下宿に絶不調の状態で転がり込みました。


 で翌日。体調不良は続いてましたが、夕方から高校写真部の先輩(女性!)と河原町にて呑み会がセットされてましたんで義理堅く参加。でも調子に乗り過ぎて予定していた京都発の快速列車に乗り遅れて、大阪駅での福知山線最終列車に間に合わなくなりました!

 っと、ここで名案が!『阪急特急で河原町から十三へ向かい、宝塚線の急行に乗り換えれば宝塚で福知山線を捕まえられる筈!福知山線は客車鈍行なんで足がのそい!絶対に間に筈!』体調不良は続いていましたが頭だけは回転しいたんですねぇ。

 友人は『その体調で無理したらアカンど!』と云ってくれましたが、思い立ったら吉日とばかりに実行に移しました。結果は計算通り首尾良く乗り継ぐことが出来、福知山駅で「山陰」に乗り継ぎ、倉吉駅へと向かいました。

 でも、体調不良の時に無理するもんではありません。友人の忠告は当たりました。倉吉線及び若桜線では、写真を撮る気力もないまま、単に乗っただけで終わりました。


 結局、撮影したのはこれだけ・・・


どこの駅だったのかも記録していません・・・
1983.11.14 キハ47-46 岡オカ 644D/因美線内
《追記》当所員リン氏のお見立てで「美作加茂駅」と判明致しました。ご教示有難うございました。
 フラフラのまま津山駅へと抜けて姫新線で姫路へと向かいましたが、良く寝た以外の記憶が残ってません(涙)。普段の姿を撮影することも大事ですが、それ以前に体調を整えておくのが大前提ですね(爆)


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