HOME HELP 新規作成 トピック表示 発言ランク 記事検索 過去ログ

<一覧表示に戻る
記事No.2686 [解生将軍から見た東アジア史] 返信ページ
(最新レス40件表示) スレッド内ページ移動 / << [1-5] >>
棒

■2686   解生将軍から見た東アジア史 
□投稿者/ 作左衛門 新参(4回)-(2014/08/18(Mon) 09:35:40) [ID:3SXQGF9G]

おそらく「軍師官兵衛」に出してもらえない人。

黒田氏が朝鮮出兵で経験した最大の激戦である稷山会戦にて明の騎兵部隊を指揮した将軍です。
朝鮮側史料によると、モンゴルを出自としていたようで、慶長の役で朝鮮に来援し、稷山会戦や蔚山攻囲戦に参加しております。明は初期から帰順モンゴル人を軍事基盤としており、多民族国家としての明の一面を窺えます。

戦後は遼東地方の守備につき、1600年にハルハ部の炊花の軍勢を迎撃して戦死しました。『明史』


■2687  Re: 解生将軍から見た東アジア史 
□投稿者/ 作左衛門 新参(5回)-(2014/08/18(Mon) 09:46:13) [ID:3SXQGF9G]

途中で送信してしまいました。

解生の戦死は『明史』神宗紀にも記載されており、かなり衝撃的な事件だったようです。

『明史』に列伝されていないマイナー将軍ではありますが、こういう人を通して見えてくるモノもありそうです。
以下、関連情報を小出しにしていきますが、何かご意見などがあれば、お願いいたします。

 

■2688  Re: 解生将軍から見た東アジア史 
□投稿者/ 作左衛門 新参(6回)-(2014/08/19(Tue) 02:07:42) [ID:o9fV0bQZ]

『明史』楊鎬伝によると、朝鮮救援軍の総兵(司令官)である麻貴は、南部防衛線を粉砕して北上する日本軍に対抗する自信を欠き、漢城から一時撤退するつもりだったのですが、経略の楊鎬はこれを叱咤し、温存していた虎の子の騎兵部隊を投入させ、解生などが稷山で黒田長政と交戦するという経緯を辿っています。

日本軍の北進停止は、稷山会戦の結果ではなく、既定の方針とも評価されていますが、少なくとも戦わずして漢城を放棄するという醜態を晒さずには済みました。

明の軍事体制では、科挙官僚から起用された経略が、将軍たちを戦略的に指導するシステムとなっており、これが有効に機能した事例です。
また、楊鎬は朝鮮戦役の歴代経略で『明史』に列伝された唯一の人物ですが、これは日本軍をともかくも撃退した功績によるものではなく、サルフ会戦でヌルハチに惨敗した戦犯としてでありました。
軍事官僚として聊かムラのある御仁で、稷山会戦のように冴えた判断を見せることもあれば、しばしば敗戦を経験しており、日本軍による半島南岸の確保を挫こうと発動させた蔚山攻囲戦で采配を誤り、大敗を喫することになります。

 

■2689  Re: 解生将軍から見た東アジア史 
□投稿者/ 作左衛門 新参(7回)-(2014/08/20(Wed) 08:54:56) [ID:lE2WqZsh]

楊鎬から戦意不足を叱責された麻貴は、『明史』にも列伝されている高名な将軍でした。
当時の明朝は、「家丁」と称された私兵を有す軍閥の領袖たちに国防を請負わせている一面があり、とくに李成梁は長期に渡って遼東の総兵をつとめ、さらに一族や家丁を正規の将軍として取立てさせ、東北防衛において絶大な権勢を誇りました。
この李成梁ほどではないものの、麻貴も西北防衛を担い、李成梁とともに「東李西麻」と称された有力者でした。

稷山会戦に見られるように、朝鮮戦役では消極的な指揮に終始しましたが、自身の権益とは関連性の薄い軍事行動には積極的になれなかったのかもしれません。

なお、朝鮮側の『再造藩邦志』によると、麻貴はイスラム系の血を引いており、随分と彫りの深い容貌だったようです。明軍の多民族的構成を象徴する人物でもあったのでしょう。

 

■2690  Re: 解生将軍から見た東アジア史 
□投稿者/ 作左衛門 新参(8回)-(2014/08/21(Thu) 08:07:28) [ID:o9fV0bQZ]

『再造藩邦志』では、解生配下の兵力は「大同鎮の騎兵二千」となっています。大同鎮は長城防衛線の中核となった要衝の一つであり、解生も本来は大同鎮に所属していたことになります。
この他にも、○○鎮から参戦した諸将は多く、朝鮮救援軍の編成に際し、長城防衛線から兵力が抽出された状況を読み取れます。

 

■2691  Re: 解生将軍から見た東アジア史 
□投稿者/ 作左衛門 新参(9回)-(2014/08/24(Sun) 15:24:40) [ID:o9fV0bQZ]

解生を戦死させた炊花は、当時のモンゴルで最も戦慣れした首領でした。
文禄の役で朝鮮救援軍の司令官となった李如松も炊花に討ち取られ、慶長の役で司令官をつとめた麻貴も後に炊花に敗れて失脚しています。
明の北方諸将にとっては、怨敵・天敵ともいうべき相手です。

炊花はもちろん『明史』の当て字で、本来の発音は「シウハ」とも「チョーハ」ともされます。

 

スレッドリスト / - / レスフォームへ移動

[!スレッドリスト非表示モード!] スレッド内ページ移動 / << [1-5] >>
返信フォーム
△[2686] 解生将軍から見た東アジア史 へ返信
Name/ [ID:CyHDTmKL] Title/ 削除キー/
E-Mail/ URL/
Comment
 
文字色/
枠線色/
Icon/


HOME HELP 新規作成 トピック表示 発言ランク 記事検索 過去ログ

- I-BOARD -