[1008] 元王族は、今? 投稿者:羽州探題最上氏 投稿日:2002/05/02(Thu) 14:38 <HOME>
ハプスブルク家の子孫がヨーロッパ議会の議員をしているのは、意外と知られていると思いますが、それ以外の昔の王国・帝国の末裔たちは、今何をしているのでしょうか。
日本の元貴族・大名でも可。
[1008へのレス] Re: 元王族は、今? 投稿者:にひ 投稿日:2002/05/02(Thu) 18:50
鍋島さんが渋谷東急文化村の裏に住んでて、ご近所から疎まれてるらしい
[1008へのレス] Re: 元王族は、今? 投稿者:美鈴ちん 投稿日:2002/05/02(Thu) 19:42 <HOME>
徳川本家は北海道で牧場を運営してます。
水戸家は徳川博物館を運営してます。
雲州松平家はアナウンサーやってます。
越前庄内藩酒井家は地元の名士にして、元SONYの社員。
岩倉具視の孫が加山雄三です。
[1008へのレス] Re: 元王族は、今? 投稿者:牛丼戦士 投稿日:2002/05/02(Thu) 21:27 <HOME>
美鈴殿>岩倉具視の孫が加山雄三です。
確か、加山雄三の母親が岩倉具視の孫だったはず。
加山雄三は曾孫の記憶があります。
拙い記憶を元にいくつか。
・歌手松田聖子は九州の豪族蒲池家宗家の出身。
・和泉元彌の母親節子さんは、竹中半兵衛の子孫だとか。
・イタリア国王は、ムッソリーニを抑えられなかった為に国外追放になり、現在スイス在住。
・ロシア皇帝の一族も革命により国外脱出し、子孫はスペイン在住。
[1008へのレス] Re: 元王族は、今? 投稿者:美鈴ちん 投稿日:2002/05/02(Thu) 22:43 <HOME>
雄三は岩倉の縁者>
あ、曾孫の曾の字が欠落してた・・・(苦
欧州王家・公家の一族多くはニューヨークに住んでます。
ロシア帝室もアメリカ移民者がいますね。
ちなみに日本ではさほど価値のない元爵位も、
ヨーロッパでは今でも信用の価値として強い効力を発揮します。
共和制のフランスでも相当数に通用します。
[1008へのレス] Re: 元王族は、今? 投稿者:魔猿(まえん) 投稿日:2002/05/03(Fri) 02:14 <HOME>
>日本ではさほど価値のない元爵位も
これ、前にも書いたんですが、司馬遼先生が「日本の華族は、維新のどさくさに紛れてできた連中」だと書いていて、けっこうウケた(笑)。
[984] 昔のモンゴル人による処刑慣習 投稿者:Kircheis 投稿日:2002/04/24(Wed) 21:21 <HOME>
お久しぶりです(^^)/。品の無い話かもしれませんが…
チンギス=ハーンの時代のモンゴル貴族の処刑法、
「血を地面に流さない事」
はかなり有名ですが、これとは別に、
「処刑前に衣服を全て剥ぎ取り一糸纏わぬ姿で刑場に引き立てる」
事も結構行われていたようです。ドーソンの「モンゴル史」や陳舜臣氏の小説にもその類の記述を見かけます。ヨーロッパ遠征でも捕虜を処刑する前に同様の事をしていたとか…。
可能な限りの恥辱を与えるつもりだったのか、他に意味があっての事か…少し気になりました。皆様の意見をお伺いしたいと思います。
[984へのレス] Re: 昔のモンゴル人による処刑慣習 投稿者:岳飛 投稿日:2002/04/24(Wed) 23:39 <HOME>
服を着ないで一糸纏わぬ姿になるというのは、
生まれた時の状態に戻るという意味で、
とても神聖な事であるんです。
処刑は殺戮と違い、
罪を償い、人や神に許しを請うという事が本質ですから、
儀式としてはかなり神聖な手段として行われます。
例えばシャム等では、
処刑人は鼓笛の中で剣舞を披露し、その過程で罪人の首を打ち落としています。
或いは西欧でも神父が神に許しを請いながら、
処刑人が執行しました。
大汗がホラズム王に行った銀を流し込むという方法も、
ウサを晴らしたのではなく、
銀により体内の罪を洗うという意図が強いと思われます。
[984へのレス] Re: 昔のモンゴル人による処刑慣習 投稿者:魔猿(まえん) 投稿日:2002/04/25(Thu) 19:20 <HOME>
>服を着ないで一糸纏わぬ姿になるというのは、
>生まれた時の状態に戻るという意味で、
>とても神聖な事であるんです。
なるほど、そういう意味だったんですか。
モンゴル人は独特の考え方を持っているので、他所の人間から見ると、おかしく思えることが多いですよねえ。
[984へのレス] 処刑の意味の深さを実感。 投稿者:Kircheis 投稿日:2002/04/26(Fri) 01:28 <HOME>
> 処刑は殺戮と違い、
> 罪を償い、人や神に許しを請うという事が本質ですから、
> 儀式としてはかなり神聖な手段として行われます。
岳飛様の鋭い考察にはいつもながら頭が下がります。処刑に対する概念を改めさせられました。有名な「銀流し」の刑にこういう意味があったというのも初耳。しかしながら、こういう殺され方はやっぱり嫌です(^^;;)。
ちなみに処刑前に裸にされた人物の例として、モンケ=ハーンの腹心アラムダル、グユク皇后オグルガイミシュが挙げられます。
> モンゴル人は独特の考え方を持っているので、他所の人間から見ると、おかしく思えることが多いですよねえ。
雷を恐れる事この上ないそうで、水浴が雷を招くという迷信を信じ込むあまり野外水浴禁止の法律まで作ったとか。イスラム教徒には大迷惑な話でした。
[984へのレス] Re: 昔のモンゴル人による処刑慣習 投稿者:カリウス 投稿日:2002/04/26(Fri) 01:42 <HOME>
>大汗がホラズム王に行った銀を流し込むという方法も、
>ウサを晴らしたのではなく、
>銀により体内の罪を洗うという意図が強いと思われます
拷問をかねた処刑だと思っていました。裸にするのも見せしめのためかと思いました。はむかった仕打ちではなく、相手の身分と地位にたいする敬意だったのですな。
モンゴルって外道っていわれるのはこういう文化の差によってつくられたものも大きいですな。今のわれわれからみると拷問みせしめにしかみえん。
[984へのレス] Re: 昔のモンゴル人による処刑慣習 投稿者:海苔 投稿日:2002/04/30(Tue) 22:42 <HOME>
火刑はその者を浄化する、なんてやつもありますね。
けど、やられる側にとってはやる側が口実くっつけてるとしか思えないことの方が多かったんでしょうかね?
[984へのレス] 私ひねくれてますか? 投稿者:雅 投稿日:2002/04/30(Tue) 23:45
>やられる側にとってはやる側が口実くっつけてるとしか思えない
私は逆にやる側のほうが口実くっつけてるのが結構当たってることも
多々じゃないかなぁって…
『銀により体内の罪を洗うという意図』を建前にして(爆)
[984へのレス] Re: 昔のモンゴル人による処刑慣習 投稿者:美鈴ちん 投稿日:2002/05/01(Wed) 19:35 <HOME>
私もフツーにギロチンの方がマシだと思いますよ。
ただ、裁判と宗教・・・
というより政祭一致的思想体系が中世から近世にかけての
人類思想の根底ですから、
一つ一つの事柄がそれなりに理由があるみたいです。
現代の感覚では?な点はいくらでもありますし、
まして、異文化交流や相互理解が低い時代ですから、
或いは双方が野蛮と感じているでしょうね。
[1000] 靖国参拝について 投稿者:美鈴ちん 投稿日:2002/04/28(Sun) 12:44 <HOME>
ここ50年ばかし馬鹿みたいな事で
アジアはネタが尽きませんが、
これもその一つでしょう。
デモね〜実際騒いでいるのは華僑勢力と人民政府、
投資家なんですよね〜。
だから余計、幼稚園児の戯れ言に見えます。
園児らしく、大人ぶらないで、本音をいえよ。
[1000へのレス] Re: 靖国参拝について 投稿者:魔猿(まえん) 投稿日:2002/04/28(Sun) 17:12 <HOME>
これは前に岳飛さんが言っていたことだったか…
「戦犯と一般兵士だった方とが一緒に祭られている」のが問題なんですよね。
今更、分離したりとかできないんでしょうか?
[1000へのレス] Re: 靖国参拝について 投稿者:美鈴ちん 投稿日:2002/04/28(Sun) 22:21 <HOME>
死ねば皆平等。
神祇が俗物に倣って切り離したら神祇たる所以が途絶えます。
戦犯と御国烈士が同一に祀られているならば、
それはそれとして大々的に政府が、
『これは御国烈士を祀るための式典である』と放言すればよろしい。
それでも文句を垂れるなら、
逆に人心を疑って差し上げればよろしい。
『凡そ支那人は漢民族に非ず。仁義を知らざるや』と。
ますます子供じみた泥試合が楽しめます。
[1000へのレス] Re: 靖国参拝について 投稿者:魔猿(まえん) 投稿日:2002/04/29(Mon) 04:47 <HOME>
>死ねば皆平等。
>神祇が俗物に倣って切り離したら神祇たる所以が途絶えます。
そういう思想ですか…納得。
それに分離してしまうと「戦犯を祭っているなんて、けしからん!」という話になってきますしね。
[1000へのレス] Re: 靖国参拝について 投稿者:雅 投稿日:2002/04/30(Tue) 02:32
小泉さんがやってしまった以上、であるでしょうし
彼が謝罪ということもないでしょうから、
国同士で話し合ってどこかしらに妥協点見つけるしか道ないんじゃないですかね?
たいして知りませんが…(苦笑)
[974] カリウスさんにプレゼント 投稿者:美鈴ちん 投稿日:2002/04/23(Tue) 19:31 <HOME>
既出なのかもしれませんが、
カリウスさんに中国文献サイトのプレゼント。
http://www.sinica.edu.tw/ftms-bin/ftmsw3
↑ここで歴代史記と伝、系譜、記が閲覧可能です。
[974へのレス] Re: カリウスさんにプレゼント 投稿者:カリウス 投稿日:2002/04/24(Wed) 00:16 <HOME>
ケインさん岳飛さんありがとう。
岳飛さんのとこは本かわなくていいから便利ですな。
あとは訳を参考にして読んでいきます。
竹簡よめん・・・。
[974へのレス] Re: カリウスさんにプレゼント 投稿者:岳飛 投稿日:2002/04/24(Wed) 01:56 <HOME>
んと、古代中国語は漢語なので、
北京語と違い単純に日本的なS+V+O+Cである程度訳せますよ。
つーか、実際に主語述語で書き下していくと読みやすくなります。
面倒なら蓬莱というソフトを使用して漢単語を抜き出していき、
読み下し文に変換していけば割と楽出来ます。
[974へのレス] Re: カリウスさんにプレゼント 投稿者:カリウス 投稿日:2002/04/26(Fri) 01:33 <HOME>
先生もさすがに読めないらしい・・・。文法うんぬんよりも、なんていう字が書いてあるのか? というところが問題らしいです。
蓬莱ってソフトはどこにあるんでしょうか?
[974へのレス] 蓬莱 投稿者:魔猿(まえん) 投稿日:2002/04/26(Fri) 02:13 <HOME>
>蓬莱ってソフトはどこにあるんでしょうか?
蓬莱山に落ってます。
というのは冗談で(笑)、フリーじゃなくて製品版のソフトだったと思います。
ここに紹介が…
http://www.nichigai.co.jp/translator/software/hourai.html
高けー!お金持ちじゃなきゃ買えません。
[974へのレス] Re: カリウスさんにプレゼント 投稿者:美鈴ちん 投稿日:2002/04/26(Fri) 16:03 <HOME>
5万円が高いか安いかは使い方次第ですね。。。
ただ、中古屋さんに行くと結構こういったビジネスモノはたたき売りされてます。
需要がないからですかね?
秋葉原などのOEM専門のCDショップだと
バルク状態の説明書とユーザー葉書付きで、
半額以下で入手出来ます。
ちなみにこういうのって大抵の大学においてあると思うので、
大学のPC使って調べてプリントアウトしても
良いと思いますよ。
大学よってはofficeの様にメーカーから
キャンパスインストールが認められている場合もありますし。
[974へのレス] Re: カリウスさんにプレゼント 投稿者:カリウス 投稿日:2002/04/26(Fri) 20:46 <HOME>
あるかなー、うちの大学・・・。とりあえず情報処理センターできいてみよう・・・。
[983] 関係あるかしらん 投稿者:にひ 投稿日:2002/04/24(Wed) 03:40
↓こんなん売ってたけど、どうなんざんしょ。
『天下人史観を疑う 英雄神話と日本人』(鈴木真哉・著/洋泉社新書y)
[983へのレス] Re: 関係あるかしらん 投稿者:魔猿(まえん) 投稿日:2002/04/25(Thu) 17:15 <HOME>
『中国武将列伝』のあとがきで田中芳樹氏が書かれていることなんですが、
「自分と違う歴史の見方に対して○○史観(暗黒史観とか)のレッテルを張って排撃しようとする事が流行りだしているようだ」と(苦笑)。
特に「左」系の人たちは「天下を取った英雄」というのが嫌いなようですね。だから「それを描いている作家もダメな連中だ」というような思考にもなるらしい。
にひさんの上げた本がどんな内容なのか分からないですが、タイトルだけ見ると左系の思想で書かれていそうですね。
[983へのレス] Re: 関係あるかしらん 投稿者:小坊主@ケイン 投稿日:2002/04/25(Thu) 18:05
鈴木真哉はあんまり思想云々を言ういとじゃなかったと思う。
『天下人史観を疑う 英雄神話と日本人』は読んだ事無いですけど、
この人が前に書いた『鉄砲と日本人』という本を読んだ限りにおいては。
今度探して読んでみます。
[983へのレス] Re: 関係あるかしらん 投稿者:にひ 投稿日:2002/04/25(Thu) 19:02
>小坊主さん
なるほど。「鉄砲と日本人」という本を書いてる人なら、信長神話批判etc…を書くのも当然の流れに思えます。すると、意外と地道で穏当な内容かも知れませんね。面白かったら教えて下さい。(すいません、他力本願で)
>魔猿さん
「○○史観」もそうですが、たしかにこの洋泉社新書シリーズのタイトルって、かなりパチモン臭いのが多いです。
[983へのレス] Re: 関係あるかしらん 投稿者:カリウス 投稿日:2002/04/26(Fri) 01:38 <HOME>
暗黒史観排撃は教科書をつくる会ですな(左というよか右か)。
左翼は英雄きらいですね。
「ナポレオンがあらわれなくてもナポレオンはあらわれた」
といいますし。つまりナポレオン・ボナパルトでなくともあの時期のフランスには地主とブルジョアの利害を保つ人間(ナポレオンの立場の人間)は必ずうまれたというやつ。英雄は時代の支配階級によってつくられたにすぎないというやつです。
でも、ナポレオンでなければできなかったこともあろうに・・・。
[983へのレス] Re: 関係あるかしらん 投稿者:小坊主@ケイン 投稿日:2002/04/26(Fri) 02:50
>左翼は英雄きらいですね。
英雄が嫌いなんじゃなくて当時の社会的要件の方を優先させるのがより好きなんじゃないのかな。たぶん。
>でも、ナポレオンでなければできなかったこともあろうに・・・。
多少の振幅はあっても長いスパンで見れば結局は同じような結果になっただろう、とするのが左翼っぽいのかな?
[983へのレス] Re: 関係あるかしらん 投稿者:華奢リッチー 投稿日:2002/04/26(Fri) 14:10 <HOME>
偶然性より必然性を重んじるんでしょ。まー多少、バランスをとる必要はあるが、考え方としては面白くはある(より社会”科学的”なので)
[951] 卒論 投稿者:カリウス 投稿日:2002/04/17(Wed) 23:59 <HOME>
卒論テーマで先生にしかられる。
匈奴への秦の勝利と漢の敗北を軍事面からみる。
「今更匈奴やってどうするんだ。」
とね。匈奴やるってわけじゃないじゃん。それにいきなりテーマかけいわれて書いたんですから勘弁してくださいよ。
直接担当してくれる先生は
「匈奴をやるのは考古学だから(匈奴ってよくわからんし)むしろ、秦・漢の北辺防御と軍事制度をやったらどうだねそーすれば制度史もからんでくるし」
といわれました。
なるほど。
でも一方では宋のチンキの火器が使われるようになってからの軍事変化をやりたい気もする。でもこれはやりつくされてるかな。
[951へのレス] Re: 卒論 投稿者:カリウス 投稿日:2002/04/20(Sat) 13:51 <HOME>
卒論やるに際して思ったこと。
・項羽と劉邦が争っていたころは北辺の警備は誰がやっていたのか?
・キョエンで木簡がみつかったらしいが、あれはどーやって入手すればいいか(もちろん紙でもフィルムでも可)。
わかる人いたら是非お答えを
[951へのレス] Re: 卒論 投稿者:岳飛 投稿日:2002/04/20(Sat) 14:18 <HOME>
やってません。
北も混乱期。
義勇軍みたいのは起こった様だけど・・・。
木簡? 木なの? 竹じゃなくて。
木だったら凄い・・・。
多分、資料の公開はしてないと思います。
直接調査チームに掛け合って下さい。
問い合わせ先は北京大学で良いかと。
[951へのレス] Re: 卒論 投稿者:小坊主@ケイン 投稿日:2002/04/20(Sat) 22:32
この頃はまだ竹簡だったと思ってましたよ。
項羽と劉邦のちょっと前の時代の竹簡は公開されてるのがありましたよね。睡虎地秦簡とか。
最近は結構その手の発掘物もデータ化されてるので検索したら何か出てくるかもしれないですよ。
[951へのレス] Re: 卒論 投稿者:カリウス 投稿日:2002/04/20(Sat) 23:08 <HOME>
竹です。竹でした。
[951へのレス] 興味津々丸だったら・・・ 投稿者:華奢リッチー 投稿日:2002/04/21(Sun) 00:35 <HOME>
↑それがオチかい(爆)
[951へのレス] 残念・・・ 投稿者:岳飛 投稿日:2002/04/21(Sun) 02:51 <HOME>
あ、やっぱ竹簡なんですね。
木だったら大発見だったのに・・・
竹なら公開されているかも。
ケインさんの言われるように
検索されてみると良いと思います。
[951へのレス] Re: 卒論 投稿者:カリウス 投稿日:2002/04/21(Sun) 16:16 <HOME>
検索してみると公開ものはまだ発見できてませんが、中華書局から上下巻で本がでているとのこと。タイトルは「居延新簡」だったのでおそらく写真か字を写したものではないかと。
ただこの本四万円するんだよね(元は九万円らしい)。
とりよせてもらおう。
[951へのレス] Re: 卒論 投稿者:小坊主@ケイン 投稿日:2002/04/23(Tue) 03:26
http://www.nchu.edu.tw/history/wood/page_0504.htm
ここにちょろっとだけ。
[951へのレス] Re: 卒論 投稿者:岳飛 投稿日:2002/04/24(Wed) 01:52 <HOME>
ケインさんの紹介して下さった竹簡って、
戸籍と官職者給与と土地の出来高録ですかね?
[951へのレス] Re: 卒論 投稿者:カリウス 投稿日:2002/04/26(Fri) 01:34 <HOME>
ていうか読めるんですか。いやはや・・・。
教授は専門じゃないから読めないといっていたのになあ・・・。
[967] こんなやり取りがあった 投稿者:魔猿(まえん) 投稿日:2002/04/21(Sun) 07:29 <HOME>
三国時代の話。
孔明から司馬懿 宛て
「最近、元直(徐庶)の噂を聞きませんが、彼は元気であろうか?」
陳羣から孔明 宛て
「劉巴が亡くなったと聞きましたが、本当ですか?」
なんとなく、ほのぼのムード(笑)。
なお、孔明から司馬懿宛ての手紙は「五丈原で対峙中の時」のものです(爆)。
[967へのレス] Re: こんなやり取りがあった 投稿者:魔猿(まえん) 投稿日:2002/04/21(Sun) 07:52 <HOME>
おそらくこの時代は「私的な交際においては、敵味方関係なく、ほのぼのムード」であるのが世間一般の感覚だったんでしょうねぇ(笑)。
記録に残ってないだけで、実際にはこういう手紙がいっぱいやり取りされていたのかも(笑)。
[967へのレス] Re: こんなやり取りがあった 投稿者:にひ 投稿日:2002/04/22(Mon) 23:10
400年の統一時代の直後だから、「敵」とは言っても、ついこないだまで同じ帝国の民だった訳で、一般的な手紙は普通にやりとりされてたと想像していいような気がします。
そもそも書状のやりとりを禁止する力を(多分その必要性も)三国の王権は持ってなかったんじゃないでしょうか。交戦中の2国間の国境が当然のように封鎖される、という発想自体が近代国家以降の発想のような気もするし。このへんは詳しい方に補足して頂きたい所ですが。
で、諸葛亮LVだと、消息を尋ねる親書に政治的な意味を読むべき、とも思います。何気ない受け答えを延々続ける中から敵情を探ることも出来る訳だから。礼儀として返書を書くという規範を逆手にとった戦術の初歩かも、とか思ったり。
テキトーな意見ですけど。
[967へのレス] Re: こんなやり取りがあった 投稿者:岳飛 投稿日:2002/04/23(Tue) 03:16 <HOME>
中国は私人としては縦の繋がり以上に横の繋がりが大切にされますよね。公私の別を弁える限りに置いてはそれを掣肘する事は野蛮な行為と見なされる様です。
でも、敵味方に別れた場合、心が痛むとか言いながら、
マジで殺し合える徹底ぶりは中国人の弁えに対する考え方を感じれますね。
[967へのレス] Re: こんなやり取りがあった 投稿者:魔猿(まえん) 投稿日:2002/04/23(Tue) 11:53 <HOME>
>諸葛亮LVだと、消息を尋ねる親書に政治的な意味を読むべき
そういう事も考えられるか…。
ただ、史実の諸葛亮って「誠実タイプ」の人だから、案外裏はなく本気で心配して聞いてるような気がします(笑)。
>中国は私人としては縦の繋がり以上に横の繋がりが大切にされますよね。
その辺は確かに、日本人の感覚とは比べ物にならないですよねぇ。
日本の場合「縦が強い」ので、余計に意外に思えてしまう。
[967へのレス] こういうネタは好き 投稿者:雅 投稿日:2002/04/23(Tue) 19:36
私達も古き時代の賢者を見習い、横のつながりを仲良くしませう。
>その辺は確かに、日本人の感覚とは比べ物にならないですよねぇ。
前にマッチが話してくれたと思うんですが、
自分の家族を食事に出すくらいですから…根本的に違うんでしょう。
[967へのレス] 思い出せない… 投稿者:魔猿(まえん) 投稿日:2002/04/23(Tue) 23:14 <HOME>
>前にマッチが話してくれたと思うんですが、
>自分の家族を食事に出すくらいですから…
そんな話、した覚えがないんですが… (^^; 。
「家族を食事に出す」???人をさばいて料理するという意味で言ってるんじゃないですよね? (^^;
[967へのレス] 都市伝説LVではある 投稿者:華奢リッチー 投稿日:2002/04/23(Tue) 23:50 <HOME>
人をさばいて料理するという意味でいってマズ
[967へのレス] ミヤヴィンへ 投稿者:魔猿(まえん) 投稿日:2002/04/23(Tue) 23:58 <HOME>
>前にマッチが話してくれたと思うんですが、
>「家族を食事に出す」???
>人をさばいて料理するという意味でいってマズ
なら、オレじゃない(爆)。そんな話はしていない(苦笑)、人違いだゾ (^^; 。
[967へのレス] きっと例え話しだろうけど 投稿者:雅 投稿日:2002/04/24(Wed) 01:17
あ、違いましたか…
でもマッチ軍団の中の誰かなハズ。
>人をさばいて料理するという意味でいってマズ
ナイスフォロー(笑)
[954] トンデモ明治時代 投稿者:羽州探題最上氏 投稿日:2002/04/19(Fri) 13:20 <HOME>
イザベラ=バードの「日本奥地紀行」という本、知ってますか?
明治初期に東京から北海道まで旅をした、英国人女性旅行家の記録なんですが、たまたまその本を読んでみたところ、ある興味深い記述があったので紹介します。
当時の日本では外国酒がブームになっていたようで、上は帝から下は庶民までが飲んでいたと書いてあります。しかし、そのような外国酒の中にはまがい物もあり、硫酸塩・何とかという油そして悪い酢を混ぜたものが外国酒として売られていたというのです。
彼女自身は、酒はただでさえ悪い物なのにと言っていますが、これはいくら何でもひどいでしょう。
なかなか明治初期というのは、変わった物があふれたおもしろい時代だったようです。他には、何かありませんかね?
[954へのレス] 明治初期ではないけど、ね。 投稿者:岳飛 投稿日:2002/04/20(Sat) 02:22 <HOME>
『電波』じゃなくて、『電気』とか。
[954へのレス] Re: トンデモ明治時代 投稿者:岳飛 投稿日:2002/04/20(Sat) 02:26 <HOME>
左肩が妙にせり上がったオッサンが
カイゼル髭に洋服来て歩いていたそうな。。。
これも明治初期ならでわの風物詩。
でも、風俗習慣的に一番面白いモノが沢山登場するのは
大正のデモクラシーだと思います。
ある意味で、本当に独特の文化が出現しましたからね。
[954へのレス] Re: トンデモ明治時代 投稿者:魔猿(まえん) 投稿日:2002/04/20(Sat) 04:09 <HOME>
>硫酸塩・何とかという油そして悪い酢を混ぜたものが外国酒として売られていた
読んだだけで気分悪くなりそうな…(笑)。
[954へのレス] Re: トンデモ明治時代 投稿者:カリウス 投稿日:2002/04/20(Sat) 13:53 <HOME>
ガソリンを酒にまぜてうんぬんという話を聞いたことがある(明治のころではないが)。味がまろやかになるそうだが、本当!?
[954へのレス] 聞いてると笑いがこみあげる 投稿者:雅 投稿日:2002/04/20(Sat) 14:01
>左肩が妙にせり上がったオッサンが
『華の慶次』にそんなキャラがいたなぁ…
左腕だけスゴイ力だとかオチがあったらおもしろいのに。
>硫酸塩・何とかという油そして悪い酢を混ぜたものが外国酒として売られていた
ロシアでなかなか酒の買えない労働者が工業用アルコールを
飲んでいた時のことを思い出す。
っていうかソレと同レベルでしょ(苦笑)
[954へのレス] Re: トンデモ明治時代 投稿者:岳飛 投稿日:2002/04/20(Sat) 14:13 <HOME>
戦後直後、エタノールじゃなくてメタノールのませて、中毒起こさせて死亡させた飲み屋が多かった。
『安酒は馬鹿になる』という言葉はこっから生まれたんだよん。
つーのと同じレベル。
古今東西やる事は一緒。
[936] 無題 投稿者:ゆっこ 投稿日:2002/04/16(Tue) 21:28
歴史についてしりたいことがあるので
おしえてください
@金閣寺・銀閣寺はなぜできたのか
Aそれぞれをつくるのに費用はどのぐらいかかったのか
B金閣寺にはどうしてきんぱくがはられているのか
C銀閣寺にはなぜはられてないか
よろしくおねがいします
[936へのレス] サイト情報なら… 投稿者:魔猿(まえん) 投稿日:2002/04/16(Tue) 23:29 <HOME>
ゆっこさん、いらっしゃいませ。
わたしも詳しくは知らないですが、以下のサイトに金閣・銀閣の年表が載っていました。
相国寺・金閣寺・銀閣寺
http://www.shokoku-ji.or.jp/
Googleという検索サイトで「金閣寺」と検索をかけてみると他にも色々出てきますが、歴史関係の詳しい情報ってのは、なかなか載ってないですね。
http://www.google.com/intl/ja/
[936へのレス] Re: 無題 投稿者:岳飛 投稿日:2002/04/16(Tue) 23:54 <HOME>
@の答え
双方共に室町将軍の別荘です。
これを北山荘、東山荘と言います。
金閣寺は当初、西園寺家の別荘でこれを義満が譲り受け、
大規模な手を入れた様ですね。
銀閣寺は義政の仕事や奥さんから逃げる為に作ったよーな所が
多分にあります(藁
実際にお寺に化けるのは建立した張本人の義満と義政の死後です。
一応、建立した将軍の鎮護と室町幕府の鎮護が基本的な建立名目です。
A答え
残念ながら手元の資料では当初の建設費は不明です。
参考までに30年代焼失時の金閣寺再建費用は当時価格で七億四千万円でした。また、近年の金箔張り替えの際も7億円掛かっています。よーするに建物だけなら4000万程度のブツなんですね。
まぁ、木造ですからそんなに高い訳がないのですが、
室町幕府初等の物価というのが今一不明確なので、
現在価格に試算し直すのはナンセンスになります。
とにかく商材毎のインフレ差が大きかったのは本当です。
Bの答え
権威の象徴として財力を保持する為に金を用いるというケースは多々あります。北山荘もその一つです。
一説には陸奥国中尊寺金色堂を模したとも言われていますが、
どちらも目的は同じなので、模すも模さぬも無い訳ですが、
とにかく金を用いる、とくに大量に用いるというのは財源が潤沢である証明であり、それを証明する事により、国権の安定を図るという目論見です。何より義満の時代は未だ世情が安定していません。
まぁ、室町政権自体が常時世情不安定なんですが、
特に義満の時代は南北朝統一に前後する事もあり、
どうしても権威付けの必要は多分にあったんですね。
Cの答え
これは諸説有ります。
一番有力なのが、本当に張ったら格好悪いから。
金と違い銀はさびるんですね。
黒や白の錆が直ぐに出ます。
これは銀の食器や銀のアクセサリーなんか使うと
良く悩まされる問題です。
最近は防錆剤なんかかあり、ある程度はマシになりましたが、
昔はそんなモノは当然ないですし。
何よりアレが全面銀は何とも安っぽくて趣がない訳で、
幾ら義政がカミさんと仕事という現実から逃げる場所とはいえ、
些かにも許せない所が多分にあったでしょう。
何時だったか、どっかの大学だかが、コンピューターを使用して本当にシミュをしたのですが、なるほど本当に格好悪いんですよ。
次に言われているのが予算がなかった。
まぁ、確かに義政が銀閣寺に引きこもり状態になるに前後して、
応仁の乱という双方本気でやる気のない戦争が京都で勃発します。
幕府としては家臣通しの争いとして無視したい所なんですが、
そうも行かない。
何かとお金が掛かるんですね。
なので、逃げ場に金は出せないという事になった、という事ですが、これはちと違いますね。
当時、銀は結構算出されてましたので、
価格が安いんです。
鉄並にメジャーな金属でしたし。
そんな訳で、銀閣寺に銀を張っていない理由は、
『誰が見ても雅だと言わない景色』を作らないためですね。
ん〜役に立ったのかどーなのか解りませんが、
とりあえず一般的な理由や認知されている概論を並べてみました。
こんなんで宜しいでしょうか?
[936へのレス] タイトル「無題」だったのか(苦笑) 投稿者:魔猿(まえん) 投稿日:2002/04/17(Wed) 00:03 <HOME>
おぉ、さすが岳王!すげぇよ!岳王廟建てさしてください!(笑)
「このネタばっかりは岳飛さんでも分からんのだろう」と思ってたのに (^^; 。
[936へのレス] ネットワールドの諸注意 投稿者:魔猿(まえん) 投稿日:2002/04/17(Wed) 00:05 <HOME>
「丸の中に数字とかローマ数字」の文字はマックだと文字化けしますので、皆さんネットでは使わないようにしましょう。「普通のローマ数字」もダメです。
わたしも昔、マック使っていた頃は、それでブチブチ文句言ってましたので(苦笑)。
[936へのレス] MACは死んだ・・・なぜだ! 投稿者:岳飛 投稿日:2002/04/17(Wed) 00:17 <HOME>
依存文字使用禁止>
すっかり忘れてました。
記憶からデリート寸前でしたよ。
あぶない、あぶない。
つーわけで、了解です。
可能な限り気を付けます。
[936へのレス] Re: 無題 投稿者:にひ 投稿日:2002/04/17(Wed) 11:15
金閣の場合、2階より上に金箔が塗ってあって、1階は何も塗ってないじゃないですか。あれ、遠くから見れば「金色の建造物が宙に浮いてる」ように見えるんだって。つか、そーゆー視角効果を狙った、というハナシを聞いたことあります。ホントかウソか知らないけど。
銀閣は小学校の時「貧乏説」の方を習った覚えがあるなー。でも、言われてみればウソですね。
[936へのレス] ありがとうございます 投稿者:ゆっこ 投稿日:2002/04/17(Wed) 17:14
みなさんホントーにありがとうございました。
明日それをまとめてひとりひとりの
発表があるんです!!
[936へのレス] おひさしぶりです 投稿者:小坊主@ケイン 投稿日:2002/04/17(Wed) 18:33
>誰が見ても雅だと言わない景色
そうですね。どう見ても銀を貼り付けない方がいいですね。
ちなみに金閣寺より銀閣寺の方がセンスがいいですね。
と、これは私の感想ですが。
もっとも比叡山に行ったときに付属の遊園地に行ったような私のセンスは自分でも信用が出来かねますが。
[936へのレス] Re: 無題 投稿者:カリウス 投稿日:2002/04/17(Wed) 23:54 <HOME>
秀吉の金の茶室をみて、うわすげー、家の部屋にしたいと思う人は金閣寺。ああいうのはちょっとという人は銀閣寺というところですかね。
私は銀閣寺のほうが好きなんですがプラモデルでつくるなら金閣寺でしょう。そういう私は俗物かしら。
[936へのレス] Re: 無題 投稿者:雅 投稿日:2002/04/18(Thu) 00:08
なんか金閣寺は金閣寺で『見栄張ってます』オーラを感じるのですが。
>プラモデル
私はこーいうの作らせると田舎の駅とか扇風機とかのほうが
やりたくなります(笑)
[936へのレス] 比叡山山頂遊園地 投稿者:魔猿(まえん) 投稿日:2002/04/18(Thu) 00:26 <HOME>
>比叡山に行ったときに付属の遊園地
あの遊園地は時空が止まってる事で有名です(爆)。
下界より20年は遅れてます。
お化け屋敷はアルバイトが扮装(笑)。
[947] しりたいこと 投稿者:ゆっこ 投稿日:2002/04/17(Wed) 17:20
まだしりたいことがあるのでおしえてください
1・金閣寺・銀閣寺の名前の由来
2・金閣寺がつくられた1397年にはなにがあったか
3・銀閣寺がつくられた1482年にはなにがあったか
あっあと義満と義政って兄弟じゃないですよね・・・。?
[947へのレス] Re: しりたいこと 投稿者:岳飛 投稿日:2002/04/17(Wed) 23:35 <HOME>
1 確か金閣だの銀閣だの雅じゃない名称が点いたのは、
江戸時代になってからだと記憶しています。
由来は見たままです。
金色だから金閣、それに対しての銀閣。
おもしろくもなんでもありませんね、ハイ。
2 1397年は特に歴史的重要な事項は無いと思います。
ただ、金閣寺関連としては1392年の南北朝統合が
最重要事項になります。
金閣寺造営と言うのは
実際はこの時に始まったようなので。
3 銀閣寺が作られたのは1489年じゃないですかね?
既に世の中は動乱期に入り、
戦国時代に突入しています。
1485年には山城の一揆有り、
1487年には加賀で一向一揆が発生します。
既に応仁の乱収束より10年経過して、
地方豪族が勢力を伸ばしだしたのがこの頃です。
補足ですが、建造物が年表に乗る場合は、
完成した年が記載される例が多いです。
所が建設開始年こそに重要な意味が有るのですが、
大体、記録が乏しくなるので、
より確かな完成年を年表として公示しているんですね。
昔ですから、
あれだけの建物を造り造園するには5年は掛かります。
つまり1397年の5年前は1392年ですが、
先程申し上げた、南北朝の統一の年なんですね。
室町政権の地位がようやく固定した記念すべき年です。
さて、銀閣寺ですが、
やはり五年前だと1484年ですが、
これまた何も重要事項はないです。
ハッキリ言えば銀閣寺に歴史的意義を見いだすのは
難しいんですね。
前にも申し上げたとおり、将軍義政の現実からの
逃げ場なモノですから。
因みに設立開始がもっと前でして、
応仁の乱前には建物はあったみたいですね。
となると完成まで20年近く掛かった事になります。
義満と義政が兄弟なのは西遊記の世界です(ホントかよ・・・
この二人100年近い年齢差がありますので、兄弟じゃないです。
祖父と孫の関係です。
義満は3代将軍、義政は8代将軍です。
4代から7代までロクな死に方をしないで、
本来、回ってくるハズのない義政に将軍の地位が回ってしまった時点で、室町政権の凋落は見えたといえますね。
[943] ゴンタの魏武カリスマオンリー話にもの申すのスレ 投稿者:岳飛 投稿日:2002/04/17(Wed) 00:26 <HOME>
という事で仕切直ししました。
んと、創作なんで、読者にあわせて書くわけですよ。
なんで、勧善懲悪じゃないけど、絶対的なカリスマ見たいなモノが主人公には欲しいかな、的書き方なんじゃないですかね。
わ、駄レスになった・・・(自爆
[943へのレス] Re: ゴンタの魏武カリスマオンリー話にもの申すのスレ 投稿者:魔猿(まえん) 投稿日:2002/04/17(Wed) 01:55 <HOME>
思うに、リッチー氏やローザさんの論は「学者」的なもので、歴史を見る視点、というより「歴史を調べて、文章としてまとめる目的」というのが当然「学者」と「作家・漫画家」とでは違ってくると思うんですよね。
だから岳飛さんも似たような事おっしゃてますが「作り手が悪い」というのでなく「それを鵜呑みにしてしまってる読者」に問題があるんだと思います。
[894] とってもご無沙汰していますσ(^◇^;) 投稿者:市杵島姫 投稿日:2002/04/13(Sat) 06:34 <HOME>
おはようございます、
三浦一族サイトσ(^◇^;)「源義経の部屋」
のいちきしまです。
この前にサーバーがメンテナンスのために
一時停止で私のサイトも一時閉鎖になって、
メンテナンス終了後もサーバーのトラブルが続いて
私のサイトに来てくれる方が激減(^。^;)
だもんで只今営業活動中でーす。σ(^◇^;)
久しぶりに来てこんなかきこして<( ̄∇ ̄)ゞゴメリンコ〜♪
また遊びに来て下さいね、どうぞよろしくねo(*^▽^*)oあはっ♪
[894へのレス] おはようございます 投稿者:魔猿(まえん) 投稿日:2002/04/13(Sat) 06:52 <HOME>
いらっしゃいませ&初めまして、市杵さん。
初めてのカキコでいきなり「営業トーク」なので、注意しようかと思いましたが(笑)
><( ̄∇ ̄)ゞゴメリンコ〜♪
>o(*^▽^*)oあはっ♪
この二つで、機先を制せられました(爆)。
ところで市杵さんは「どこつながり」かしら?モンケ・カァンのHPですか?
[894へのレス] Re: とってもご無沙汰していますσ(^◇^;) 投稿者:雅 投稿日:2002/04/13(Sat) 06:57
マッチの知り合いなのかと思いました(笑)
[894へのレス] すみませーんσ(^◇^;) 投稿者:市杵島姫 投稿日:2002/04/13(Sat) 07:20 <HOME>
あれれ・・・σ(^◇^;)
そうなんですよ。
あっ・・・やっぱ共同やから
初めましてなんですね。
すみません・・・
以前にもモンケさんのところにはおじゃましているし
相互リンクでよく遊びに来ていただいているしで
初めましての意識は無かったです(>▽<;; アセアセ
どうもすみません。
改めまして初めまして。
私は四国に住んでる三浦一族和田義盛の末裔の
中学2年の女です。
どうぞよろしくお願いします。
それでは学校に行って来まーす。(⌒▽⌒)
[894へのレス] Re: とってもご無沙汰していますσ(^◇^;) 投稿者:モンケ 投稿日:2002/04/13(Sat) 07:23 <HOME>
うん知り合いですね。トクトク仲間
市杵さん、お久しぶりです。
ウチから入ったのかな?共同掲示板ですよー。
[894へのレス] あらら 投稿者:雅 投稿日:2002/04/13(Sat) 08:39
>市杵さん
>共同
そうでしたか、知らずとはいえ申し訳無いです(苦笑)
改めまして、初めましてこれからよろしくお願いします。
私は歴史関係がサッパリだからかもしれませんが、
『市杵島姫』という文字はどういう読みなんでしょうか?
カキコ早々質問でスイマセン。
>モンケさん
モンケさんのお知り合いでしたか。
[894へのレス] Re: とってもご無沙汰していますσ(^◇^;) 投稿者:岳飛 投稿日:2002/04/13(Sat) 13:06 <HOME>
お初にお目に掛かる公主殿。
多少の遠慮はお気になさらず、これからも楽しげな筆を滑らせられると宜しく思う次第。
市杵島姫>『いちきしまのひめ』或いは『いちきしまのひめみこ』と読むのが適当かと。
しかし、三浦一族というとあの三浦氏で御座るか・・・。
無礼を承知でお訊ね致すが、
何故、三浦を?
[894へのレス] Re: とってもご無沙汰していますσ(^◇^;) 投稿者:岳飛 投稿日:2002/04/13(Sat) 19:39 <HOME>
なるほど、市杵島姫殿は三浦の公主殿であったか・・・。
得心が行ったわい。
[894へのレス] Re: とってもご無沙汰していますσ(^◇^;) 投稿者:市杵島姫 投稿日:2002/04/14(Sun) 01:05 <HOME>
モンケさんお久しぶりです。
皆様たくさんのレスありがとうございます。
市杵島姫は岳飛さんのおっしゃる通り、いちきしまひめ
と読みますが私の本名も含めて市杵島比売命という女神様から
戴いています。むなかた神社や厳島神社のご祭神様です。
はい鎌倉幕府御家人の三浦一族和田義盛の末裔ですぅσ(^◇^;)
どうぞよろしくお願いします。
お(○`o´○) や(○`O´○) す(○`ε´○) みぃ(○`−´○)
[894へのレス] Re: とってもご無沙汰していますσ(^◇^;) 投稿者:雅 投稿日:2002/04/14(Sun) 07:03
>『いちきしまのひめ』或いは『いちきしまのひめみこ』と読むのが適当かと
岳飛さんありがとうございます。
歴史関係のモノを内容よりも読み方がわからないこと多々でして…
[900] 歴史の評価は奈辺で行うか。 投稿者:岳飛 投稿日:2002/04/13(Sat) 13:00 <HOME>
世の数多、数知れぬ人間によって歴史は形成されてきた訳であるが、歴史の評価もまた数知れない人間の手によって行われ、
千差万別の結論に至っている。
さて問おう。
歴史の評価とは即ち奈辺を主眼とするのがもっとも公平であるか。
尚、ここに感情や倫理が存在しない事は前提である。
なぜならば感情や倫理の価値はそれこそ十人十色であり、
公正と公平の双方に能うべからざる所である。
故に歴史の評価を行う場合、
最初に除外しなければならないのは個人という存在である。
歴史を見る場合、後世の観点、時事の観点、或いは未来の観点、
という三点の観測点が存在するが、
これも後世の観点と未来の観点はやはり確からしさに欠ける。
即ちその時の人々の営みにあって、
それはどの様であったのかは最大の重要点であろう。
とはいえ、歴史は後世の人間が学ぶべき事であるから、
後学的観点の余地が生まれるのは致し方ない事でもあるだろう。
故に留意すべきは歴史の公正且つ公平な認識の誤認であるだろう。
さて、私見ではあるが
歴史の公平な評価の主眼は『人類社会に対する文化への寄与』ではないかと考察する。
諸兄淑女のご意見や如何?
[900へのレス] Re: 歴史の評価は奈辺で行うか。 投稿者:FUDO 投稿日:2002/04/13(Sat) 15:22
妥当な線じゃないでしょうか。簡単に言えば、どれだけ人の役に立ったか、人を幸せにできたか。文化もその追究の過程で発展していくわけですから。
実のところ、幸せの基準ってやつは、大昔も今もあまり変わってないんじゃないかと思うのですよね。この先もたいして変わらないでしょう。ゆえに評価基準としては、もっとも普遍的で恒久的であるといえるかと。
[900へのレス] Re: 歴史の評価は奈辺で行うか。 投稿者:ギルガメッシュ 投稿日:2002/04/13(Sat) 17:45
歴史の評価・・・なんか違う・・・。
[900へのレス] なぜ歴史を調べるか? 投稿者:魔猿(まえん) 投稿日:2002/04/13(Sat) 19:22 <HOME>
ちょっと本題からはズレれますが、
以前リッチーが「歴史認識」についての話をしていた時、自分はようやく気づいた事があるんですよ。
「歴史を調べるのは、ただ“真実・事実”が知りたいだけなんだ」と。
「評価」という行為を行うためには「虚構の混じっていない情報」が必要なわけで、それを得ずして「正しく評価する」などという事は出来ないですよね。
(「正しく」というよりは「間違いの少ない」というのが正確かな)
その「虚構の混じっていない情報」、すなわち「その時、何が行われたのか?という事実」を知る事がまず大事であろう、と。
「評価」というのは、その「事実を調べたあと」で「己の良心に基づいて、心と頭の中でしておけばいいや」とか思いました(笑)。
とはいえ「事実を調べる」というのは、これがスゴク大変な事なんですけど (^^; 。
全ての記録が残っている訳じゃないですしね。
それで、岳飛さんの意見については、わたしも納得。
正確にはFUDOさんの意見の方が近いかな。
>歴史の評価・・・なんか違う・・・。
どうしたんですか?(笑)今、考え中?
[900へのレス] Re: 歴史の評価は奈辺で行うか。 投稿者:ギルガメッシュ 投稿日:2002/04/13(Sat) 21:59
>どうしたんですか?(笑)今、考え中?
う〜ん、考え中と言うか
私が歴史に対して考えているものと
ちょっとギャップがあるのかなぁと思いまして。
まあ、私の考えが間違ちがってるっぽいのですけどね(苦笑)
私の考えだと根本的な部分では魔猿さんと違いは無いですね。
私は史学と言うものが真実・事実の追究であったり
過去の真実・事実を伝えていくものだと思っているのです。
歴史と言うものは真実や事実であるべきもので
そこには善悪やそれだけで語る事の出来ない事象が多く混在しているものだと考えています
歴史自体に評価は必要ありません。
必要とされているのは真実・事実と言ったものであり
それを裏付けるものが歴史的な価値が高いとされています。
歴史を語る・・・本来はそこに評価など存在するはずも無く
ただ事実を語るべきであると思いますが
はっきり言ってそれだけではつまらんです。
つまらない・・・そこに「人間の行動に対する評価」が入り込む余地があるのだと考えています。
「過去の人間の行動に対する評価」を無くしてしまっても
歴史を学ぶ必要性を失う事は無いのですが
歴史を学ぶという行為が楽しいと感じる事は無いでしょう。
評価、それは過去の人物や、その行動や発言、結果などに対するものであると考えていますので、歴史の評価という表現がなんか違うなぁと感じました。
[887] 卒論 投稿者:カリウス 投稿日:2002/04/11(Thu) 16:12 <HOME>
バイバルスは無理と先生に一掃されました。資料がないということで。さすがに英訳されたバイバルス伝つーのはなさそうだし(あっても入手できるか謎)。
ということで中国史に。
テーマは「匈奴の秦軍の勝利と漢軍の敗北」
についてわずか数年で形勢逆転したことについて考えようと思ったのですが・・・。
蒙テンは力おしでいって勝てたのね・・・。匈奴が組織として固まっていなかったため勝てたというのが本にかいてありました。
秦軍が対匈奴戦にたいしての戦法・兵器(漢軍に比べて)を持っていたという可能性はないのだろうか?
[887へのレス] Re: 卒論 投稿者:美鈴ちん 投稿日:2002/04/11(Thu) 17:29 <HOME>
敢えて言いましょう。
無いです。
そもそも戦法や兵器が出た位でミリタリーバランスは
用意に崩れません。
経済と組織力と情報解析能力があってこそ、
戦争は勝てるのです。
万里の長城も殆ど意味はなさなかったし・・・
[887へのレス] Re: 卒論 投稿者:FUDO 投稿日:2002/04/11(Thu) 19:00
イスラム系の信頼できる資料は、英語もしくは英訳のものはそもそも少ないです。日本語となるとさらに悲惨。それでも、ここ数年でだいぶマシになってきましたけど。
アラビア語を学ぶしかないのですよね、結局は (^^;
[887へのレス] Re: 卒論 投稿者:カリウス 投稿日:2002/04/12(Fri) 01:30 <HOME>
うーん。なんか振り出しにもどってしまった。もっと良いテーマを探さねば・・・。結局、匈奴の結束力の強さがどれくらいかに集約されるわけですな。モンゴルにかえろうか・・・。
[830] 春秋戦国 投稿者:モンケ 投稿日:2002/04/06(Sat) 16:32 <HOME>
宮城谷氏の「孟嘗君」を読みました。面白かったんですが
春秋戦国よくわかんないんですよ。
で、どこが創作なのかがわからん…。
田文は本当に捨てられたんでしょうか?ナドナド
まったく春秋戦国は興味なかったけど、おもろいですね。
[830へのレス] Re: 春秋戦国 投稿者:FUDO 投稿日:2002/04/08(Mon) 03:47
春秋戦国の話は面白いというか「濃い」のが多いような。
後代の話の中でしょっちゅう引用されるので、史記あたりを
通読しとくと面白さがアップするかも。西洋文学を読むのに聖書とギリシャ・ローマ神話の知識が不可欠なのと似てるかな? むろん単独でも十分面白いです♪
[830へのレス] Re: 春秋戦国 投稿者:カリウス 投稿日:2002/04/08(Mon) 17:38 <HOME>
田文ってモウショウ君のことでしたっけ? 彼は五月五日(確か)に産まれたんで、その日に産まれた子供は戸の高さまで背が伸びると親を殺すという言い伝えがあったため捨てられるハメになりました。
しかし母親がこっそり育てて(偉い人は子供はたくさんいるから管理もいきとどいていなかったのでしょう)大きくなったときに父親にあったときに。
「だったら戸を高くすればいいまでのこと」
といって父親を感心させたといいます。
横山光輝・史記参照(とはいっても持っていないので、あてにならない記憶のみですが)
[830へのレス] Re: 春秋戦国 投稿者:モンケ 投稿日:2002/04/09(Tue) 07:31 <HOME>
史記読んだことなかったなぁ
どの史記が読みやすいんでしょ?
やっぱ漫画からはいるのが楽かな。
ちなみに自分の誕生日は5月9日だったり(関係ないけど)
[830へのレス] 史記 投稿者:魔猿(まえん) 投稿日:2002/04/09(Tue) 16:55 <HOME>
>やっぱ漫画からはいるのが楽かな。
横山光輝版『史記』は、(個人的には)あんまりオススメできない気がします。
その理由ですが「キャラクターの顔が同じに見えて、誰が誰か区別がつかない」(笑)。
これ、冗談でなく本当ですから(苦笑)。
漫画だからどうしても、はしょって書いてある部分とかあるでしょうし、それに加えて人物が同じ顔に見えるので、かなり話がわかりづらかった気がします (^^; 。
[830へのレス] Re: 春秋戦国 投稿者:カリウス 投稿日:2002/04/09(Tue) 17:40 <HOME>
はしょってあるのは確かに多いね。あくまで有名どころだけだし。顔同じは横山光輝の宿命。三国志でもそうだったし。
最初はマンガで次に訳したやつでどうでしょう? まあ、もうしょう君について知りたいというのなら、そこだけ読めばいいわけですし。
[830へのレス] Re: 春秋戦国 投稿者:モンケ 投稿日:2002/04/09(Tue) 20:04 <HOME>
実は横山アレルギーです。
あの絵はどうも身体が拒否反応を起こすのです。
関係ないですが「BECK」ちゅー漫画に横山孔明がたまに登場します。
「孟嘗君」だけと言うより、春秋戦国全体を知りたくなりました。
やはり史記は読んでおこうと思います。
最近歴史物読みだして、サイト更新の意欲が徐々に湧いてきた気がします。
あくまでも気ですが…
[830へのレス] Re: 春秋戦国 投稿者:FUDO 投稿日:2002/04/09(Tue) 22:46
史記の時代を描いた漫画だと、鄭問の「東周英雄伝」がお薦めかな。横山漫画がアレルゲンな方には特に(笑) 私はあれで王箭が好きになりました。ふぉふぉふぉ。楚国を攻めるには60万の軍勢でなくてはなりませぬ。
[830へのレス] これほど話題になる歴史モノはめずらしい 投稿者:雅 投稿日:2002/04/10(Wed) 01:51
私は三国志ちーとも知らんのですが、三国志大国日本(笑)
なだけあって周りの連中はほとんど何かしら知っていた…
>マンガ 横山漫画
個人的にこのマンガが標準的な三国マンガかと思ってましたが、
一応正史モノとして読むならやはりコレでしょうか。
逆に小説のほうはあまり聞かないんですが、標準的なイメージを持つ
三国志小説ってどんなものでしょう?
>モンケさん
おせっかいですが、掲示板の広告は消した方が…(笑)
[830へのレス] メンツを潰さぬようにせねば(爆) 投稿者:魔猿(まえん) 投稿日:2002/04/10(Wed) 03:18 <HOME>
ミヤヴィン、なんとなく分かっていなさそうなので、言わせて頂きますが
「春秋戦国」&「史記」は「三国志」とは、また別物なのです(苦笑)。
[830へのレス] 慣れてます(爆) 投稿者:雅 投稿日:2002/04/10(Wed) 03:49
横山=三国志で直結してしまった。
[830へのレス] Re: 春秋戦国 投稿者:モンケ 投稿日:2002/04/10(Wed) 07:15 <HOME>
ニャービン殿
あそこ書き込まれると携帯に飛ぶから知ってはいたんですが、
消すのけっこう手間でして…。ホホホ
抹殺しときます
[830へのレス] メンツを潰さぬようにつっこまねば 投稿者:華奢ーんR 投稿日:2002/04/10(Wed) 13:30 <HOME>
魔猿兄貴の苦労がしのばれる・・・
[830へのレス] ニャービンじゃすでに別人よ(笑) 投稿者:雅 投稿日:2002/04/10(Wed) 13:44
横山漫画と歴史漫画から三国志へ行くのは自然かも(爆)
>メンツを潰さぬようにつっこまねば
歴史関係に関しては最初からメンツはなきに等しいからなぁ(笑)
[830へのレス] ちょっと話がずれますが。 投稿者:雅 投稿日:2002/04/10(Wed) 14:58
天然でスマヌ。
せっかく気になったので改めて聞きますが、
三国志を小説からおぼえるとしたらどのような本を読まれますか?
もしくは代表的な本など…
(漫画の話はよく聞くけど本のは聞かない)
[830へのレス] 小説の三国志 投稿者:魔猿(まえん) 投稿日:2002/04/10(Wed) 23:14 <HOME>
>三国志を小説からおぼえるとしたらどのような本を読まれますか?
日本では「吉川英二の三国志」がポピュラーかと。
[830へのレス] Re: 春秋戦国 投稿者:にひ 投稿日:2002/04/11(Thu) 08:54
>ミヤビさん
人形劇・三国志のビデオなら「まだ」ダイジェスト版が出回ってるから、そのへんを見るのがてっとり早くないかな?
>春秋戦国
やはり始皇帝「以前」をどれだけ語れるかが春秋戦国マニアの腕の見せ所ですよね。始皇帝「以後」だと、統一に向けた大きな物語が一応あるから(小説で有名だし)、列伝をつまみ食いしても全体の中に位置づけられるので読み易い。かく言う私、始皇帝以前は全然ダメ。なんかね、時間の流れが異質に感じられるのね。逆に言えば、統一=予定調和な展開を期待しないで読める精神がね、春秋戦国マニアの偉いとこ、と思ったりもします。
あ、三国志マニアは別儀にて。他所でも書いたことですが、世界がどんどんダメになっていくダメさ加減を味わうことを個人的に推奨してる次第です。(笑)
[830へのレス] Re: 春秋戦国 投稿者:美鈴ちん 投稿日:2002/04/11(Thu) 14:28 <HOME>
戦国時代と春秋時代というのは何気に面倒なご時世でして、
私みたいな兵法をウンチクする人間には半ば必修の課題なんですが、実は・・・殆ど解っていないかも知れない時代です。
なんせ、古すぎるんです。
竹管が敦煌で大量に発見されても、遺跡から書物が出てきても、
具体的にどーなんだ、という箇所が不透明でして、
こう言うことがあった、こうだった、という程度の証明しか無いのです。
基本的には戦国時代、春秋時代は東周と西周(あ、逆だ)という、
姫家の王朝を中心にしていますが、
南北東西、群雄異民族が出現し、
後の漢王朝に連なる名門貴族の元が生まれます。
この時代を理解したい場合は、
正史は最初は避けて下さい。
無視しても良いです。
とにかく人間関係だけを考えたような小説の方が遙かにマシです。
いづれにしても、マンガで入るよりも文章で入った方が、
理解しやすいハズです。
マンガだと書ききれない、こまかな事象が小説などではそれなりに解りやすく、加筆されているからです。
[830へのレス] Re: 春秋戦国 投稿者:雅 投稿日:2002/04/11(Thu) 20:26
>人形劇・三国志のビデオなら「まだ」ダイジェスト版が出回ってるから、
ニヒゲ、にひさん(笑)ありがとうございます。
人形劇の三国志は一応話題に出ていたので認識していたんですが、
『ネタとして見る』要素が大きいという予測をしていたので…
ビデオ屋でレンタルできるかしら…?
[822] 曹冲 投稿者:魔猿(まえん) 投稿日:2002/04/04(Thu) 13:38 <HOME>
曹冲という人物をご存知の方、いらっしゃいますでしょうか?
曹操の息子で13歳で夭逝。「父を凌ぐ天才」として知られていたそうです。
田中芳樹先生が『長江落日賦』のあとがきの中で書かれているんですが、
この曹冲が亡くなったのが赤壁の直前で、魏が赤壁で負けたのは、曹操がこの愛息を失ったショックで覇気が鈍っていた事もあるだろう、と。
曹操は曹丕や曹植よりも、曹冲を後継者にしようとするほど気に入っていたそうです。
光栄の三国志には出てきてないですよね?PK版はどうか知りませんが。
[822へのレス] 曹丕慰め逸話がある彼ね 投稿者:華奢ーんR 投稿日:2002/04/04(Thu) 14:40 <HOME>
まぁ知ってます。光栄の三国志にはフツーに出てきません(新武将登録あるからいないほうがいいですけど。武田信勝と一緒で)
[822へのレス] アレにも出てきたんだろうか 投稿者:雅 投稿日:2002/04/05(Fri) 01:45
13歳とは、ずいぶん若いですね。昔でも若い方だと思いますが。
このへんは希望あふれる年齢ですからなぁ…マッチの言うこともありえる。
>光栄の三国志ゲーム
自分で作れますね、あのゲーム。
個人的にはメーカーの作ったそーいうキャラも見てみたいかな。
ちなみに最近三8やったら張飛が万能タイプだったので、
議論の結果武将タイプに改善されました(笑)
[822へのレス] Re: 曹冲 投稿者:にひ 投稿日:2002/04/05(Fri) 06:08
あー、ちょうど読んでた所です。
ちくま学芸文庫だと3ページ分あります。
・孫権が贈ってきた像の重さの計り方を「周りの誰も分からなかったのに」曹操に教えた話
・ねずみが曹操の馬の鞍をかじった為「殺される!」と怯えてた倉庫係りを慈悲とトンチで助けた話
具体的には2つのみ。
あとは死後、曹操が曹ヒに「競争者が死んで良かったね」つー嫌味を言った件が載ってて、それに対して注釈で、
・年齢順を無視した曹操の発言はけしからん
・曹ヒ本人も「曹冲が生きてたら俺、皇帝になってねぇよ」と言ったとか
208年ボツ
[822へのレス] Re: 曹冲 投稿者:魔猿(まえん) 投稿日:2002/04/05(Fri) 20:30 <HOME>
張飛は史実バージョンだと、万能型でもいいと思うんですけどね。
にひさんのは、名前しか知らなかったわたしにとっては貴重な情報でした。
なるほど、そんな逸話があるんですか。
[822へのレス] Re: 曹冲 投稿者:にひ 投稿日:2002/04/06(Sat) 08:39
>カダが生きてりゃ、曹冲も死ぬことなかった
ホントだ。そう書いてある。
演義の、関羽の腕を切開したイメージがあったから「うそぉ」とか思ったんだけど。カダ、とっとと殺されてたのね。
[822へのレス] Re: 曹冲 投稿者:にひ 投稿日:2002/04/06(Sat) 08:40
↑カダ伝の方ね
[822へのレス] 華陀 投稿者:魔猿(まえん) 投稿日:2002/04/06(Sat) 23:13 <HOME>
華陀は正史では「ウソをついて(宮仕えをやめて)家に帰った」のが、曹操にバレて殺されたそうです。
なにも殺すまでしなくてもいいだろうに。
[822へのレス] Re: 曹冲 投稿者:雅 投稿日:2002/04/08(Mon) 00:49
>張飛は史実バージョンだと、万能型
私は三国志全然知らんので張飛のイメージはシバラク顔で漢羽と義兄弟
くらいしか頭にないのです(苦笑)
実はただの戦士タイプのお方ではなかった、と…
[822へのレス] Re: 曹冲 投稿者:サーファーローザ 投稿日:2002/04/10(Wed) 22:35
すいません。
僕はバカでう。
827の削除お願いします。
[822へのレス] サーファーローザさんへ 投稿者:魔猿(まえん) 投稿日:2002/04/10(Wed) 23:12 <HOME>
ローザさん、消しておきましたが、次からは「削除キー」入れておいて下さい。
個人的には、曹冲の書き込みは、消さなくてもいいと思うんですけどね。
[832] 三国志イメージコンテスト 投稿者:華奢ーんR 投稿日:2002/04/06(Sat) 23:19 <HOME>
曹操たんはチビでコンプレックスの固まりのブ男だった、というのは、大陸では定説のご様子ですが、そーいうイメージを語るスレ
[832へのレス] Re: 三国志イメージコンテスト 投稿者:華奢ーんR 投稿日:2002/04/06(Sat) 23:21 <HOME>
劉備は無口で極道でした。度々敗北したが、それでも歴戦の軍人でして、結構名前売り出してました
[832へのレス] 無口で寝技で何故かいい奴→毛利 投稿者:華奢ーんR 投稿日:2002/04/06(Sat) 23:23 <HOME>
劉備はアチコチ回りながら回ったトコを潰していくす天下の不良債権だった。特技は寝技です
[832へのレス] このロジック好きだったなー 投稿者:華奢ーんR 投稿日:2002/04/06(Sat) 23:26 <HOME>
人形劇では周喩と孫権は机の下で足を蹴り合っていました。播陽に周喩がいたのは体のいい左遷。孫権は周喩の存在が怖かった。
ちなみに孫権は歳とってボロがでました
[832へのレス] Re: 三国志イメージコンテスト 投稿者:華奢ーんR 投稿日:2002/04/06(Sat) 23:27 <HOME>
軍人で骨っぽい男した。
[832へのレス] Re: 三国志イメージコンテスト 投稿者:華奢ーんR 投稿日:2002/04/06(Sat) 23:27 <HOME>
傲慢でした
[832へのレス] Re: 三国志イメージコンテスト 投稿者:華奢ーんR 投稿日:2002/04/06(Sat) 23:28 <HOME>
ロリータです。趣味は鞭打ち
[832へのレス] Re: 三国志イメージコンテスト 投稿者:ギルガメッシュ 投稿日:2002/04/07(Sun) 12:51
>ロリータ
ワラタ
酒で身を滅ぼしちゃった人。
酒癖さえ悪くなければねぇ。
[832へのレス] Re: 三国志イメージコンテスト 投稿者:ギルガメッシュ 投稿日:2002/04/07(Sun) 12:56
人間的な次郎君。
特技は「反省」(嘘
[832へのレス] Re: 三国志イメージコンテスト 投稿者:FUDO 投稿日:2002/04/07(Sun) 23:33
姜維>イカレタ軍人・戦馬鹿。ゼントラーディ人のマイクローンだったらしい。でも好きだけど(笑)
[832へのレス] Re: 三国志イメージコンテスト 投稿者:華奢ーんR 投稿日:2002/04/09(Tue) 02:50 <HOME>
我ら三人!
[832へのレス] Re: 三国志イメージコンテスト 投稿者:華奢ーんR 投稿日:2002/04/09(Tue) 02:50 <HOME>
生まれたときは違えど!
[832へのレス] 寝る布団も一緒 投稿者:華奢ーんR 投稿日:2002/04/09(Tue) 02:51 <HOME>
寝るときは一緒!
[832へのレス] キョチョはブタなので、一緒に寝たくないそうです 投稿者:華奢ーんR 投稿日:2002/04/09(Tue) 02:54 <HOME>
か、関羽〜(;_;)号泣
[832へのレス] 今宵はジバンといい、冴えてるキャシー 投稿者:魔猿(まえん) 投稿日:2002/04/09(Tue) 04:25 <HOME>
>我ら三人!
>生まれたときは違えど!
>−−−後略−−−
それぞれのアイコンの表情と合わせ見ると、かなり笑える(爆)。
特に張飛が最高(笑)。
[847] ブラッディマリーはあるか… 投稿者:海苔 投稿日:2002/04/08(Mon) 21:07 <HOME>
ご無沙汰です。仕事になれるまでしばらくはROMすらも不定期になってしまうかも…(汗)
>ロリータ
大岡越前上の奥さんが14歳だったというのは本当なんでしょうか。詳細求む。
張飛の奥さんが10代前半だったというのは本当なんでしょうか。
ん〜む、そういった方面から歴史を見ていると人間臭さが十万してきますな(笑)
[847へのレス] Re: ブラッディマリーはあるか… 投稿者:カリウス 投稿日:2002/04/08(Mon) 23:44 <HOME>
昔の女性はそれくらいで成人じゃないでしたっけ?
年といえば「蒼き狼」だと八歳くらいで成人あつかいになるけど、あれはどーなんだろ。
[847へのレス] Re: ブラッディマリーはあるか… 投稿者:美鈴ちん 投稿日:2002/04/09(Tue) 00:27 <HOME>
日本の場合、女の子は髪結いが済むと成人扱いです。
目安は初潮が始まったときです。
なので、10歳でも成人扱いになります。
こういった基準は全世界大体同じなので、
昔は15で子供が3人目というヤンママは当たり前。
その分、平均寿命は短いですね。
野郎は元服を以て成人ですが、
大方の目安は射精可能かどうか。
要するに子供が作れるようになれば、一人前の大人だったわけです。
[811] 今日の教えて君 投稿者:えっけん 投稿日:2002/04/01(Mon) 21:00 <HOME>
もーみんなお忘れになっているかもしれませんが、久し振りのえっけんです。え? だれだそれ? いやー2回くらいしかカキコミしてないからなぁ。結構見に来てはいるんですが。
さて、既出だったらスミマセン、一応ワード検索かけたけど、ヒットしなかったんで。
秀吉の前でおならをして、頭を叩かれ、即座に
「おならして、国を二つ得たりけり アタマ播磨に尻備中」
としゃれを飛ばし、これが秀吉の気を良くし、ホントに播磨と備中を貰った家臣がいる、と言う話を20年以上前に読んだ記憶があるのですが、この家臣はいったい何と言う人だったのでしょう。
[811へのレス] ボクも教えて君 投稿者:魔猿(まえん) 投稿日:2002/04/02(Tue) 16:56 <HOME>
そんな大胆不敵なお調子者がいたんですか!
自分も気になります。岳飛さん、教えてください。(もちろん岳飛さん意外でもけっこうです(笑))
[811へのレス] Re: 今日の教えて君 投稿者:美鈴ちん 投稿日:2002/04/02(Tue) 21:26 <HOME>
え?! ネタ振られたケド・・・
解りません・・・。
つーか、実話?
播磨領主は宇喜多秀家じゃなかった?
ちと調べてみます。
[811へのレス] Re: 今日の教えて君 投稿者:えっけん 投稿日:2002/04/02(Tue) 23:00 <HOME>
ワタクシは常に「ウロオボエ」な人なんで、もしかしたらその読み物自体、洒落だったのかも。
でもなんとなく旺文社のハイトップ参考書(わ、なつかしー)の歴史の本のコラムで載っていたような気がする。
[811へのレス] その時、武闘派は… 投稿者:魔猿(まえん) 投稿日:2002/04/03(Wed) 08:28 <HOME>
しかし普通に想像するに、こんな方法で城持ちになった武将がいたら、加藤清正とか福島正則は激怒しそうですが(笑)。
[811へのレス] Re: 今日の教えて君 投稿者:美鈴ちん 投稿日:2002/04/04(Thu) 02:11 <HOME>
調べ回っても、全然資料が出てきません。
宇喜多秀家が領地を貰った時期と規模を考えると、
どうも秀家の可能性が高いです。
ただ、彼は秀吉のマジな養子ですから、
屁に関係なく、播磨備中は相続できましたね。
宇喜多秀家の地位自体は当初から加藤清正や福島正則より
格上ですし、
歳も上なので、屁で自分の旧領地を貰っても、
文句は言わないでしょう。
むしろ、豪快に笑って祝辞を言うのでは?
因みに1590以降から1600までは
播磨、美作、備中の旧羽柴御料は羽柴一族が殆ど、
封じられています。
[811へのレス] 久しぶりに笑えた(笑) 投稿者:魔猿(まえん) 投稿日:2002/04/04(Thu) 13:37 <HOME>
>屁に関係なく、播磨備中は相続
>屁で自分の旧領地を貰っても、
いくら天下人になってからはもうろくし始める秀吉でも、屁で領地を裁量するほどボケたりはしないだろうと思っていました(笑)。
しかし、久しぶりに笑える話題でしたよ(笑)。
岳飛さんの解説もナイス!(笑)
[805] シビれる名言 投稿者:魔猿(まえん) 投稿日:2002/04/01(Mon) 07:20 <HOME>
肩書きは愚か者の飾りにすぎない。自分の名だけで十分だ。
(ローマ皇帝 フレデリック2世)
命もいらず、名もいらず、官位も金もいらぬ人は、始末に困る。
この始末に困る人ならでは、艱難を共にして国家の大業は成し得られぬなり。
(西郷隆盛)
思案に余る一大事に出会ったときは、一大事と考えるから決断がつかない。
大事の思案は軽くすべし。武士は何事も七呼吸で決断せよ。
(鍋島直茂)
空言する者を退け、実行する者を重用せよ。
(韓非子)
事を成し遂げる者は愚直でなければならぬ。才走ってはうまくいかない。
(勝海舟)
己の周りに己より賢い人物を集めた男、ここに眠る。
(鉄鋼王 アンドリュー・カーネギーの遺言)
[805へのレス] 人形劇曹操はオレ的BEST1 投稿者:華奢ーんR 投稿日:2002/04/01(Mon) 11:25 <HOME>
曹操が厳格にやるなら、ワシは寛大にやるッ!全て曹操の反対を行ってこそ、我が事はなるのだ!
[805へのレス] Re: シビれる名言 投稿者:にひ 投稿日:2002/04/01(Mon) 11:55
神とは悪魔にとっての悪魔である。(ルター)
……って、つまり悪魔ってことじゃん。わら
[805へのレス] Re: シビれる名言 投稿者:美鈴ちん 投稿日:2002/04/01(Mon) 14:29 <HOME>
くだらん・・・(森鴎外 最後の言葉)
[805へのレス] Re: シビれる名言 投稿者:カリウス 投稿日:2002/04/01(Mon) 21:38 <HOME>
話せばわかる(犬養毅)
[805へのレス] ツッコミレス 投稿者:魔猿(まえん) 投稿日:2002/04/02(Tue) 06:20 <HOME>
今のところ、このスレッドの趣旨を理解してくれてるのは、リッチーだけかよ(爆)。
[805へのレス] 全く無粋・・・ 投稿者:美鈴ちん 投稿日:2002/04/02(Tue) 21:18 <HOME>
桜とて
吾意伝わぬ
悲しきを
誰に求めん
言葉少なし
[802] 大友宗麟といえば家臣の妻に手をだす 投稿者:華奢ーんR 投稿日:2002/03/29(Fri) 21:36 <HOME>
ことで有名ですが、詳しく知りたーい。ほかにどんなスケベ逸話がありますか?
[802へのレス] あの人は今… 投稿者:魔猿(まえん) 投稿日:2002/03/31(Sun) 06:18 <HOME>
牛丼将軍だと詳しそうですが、お仕事に慣れるまでは「断筆宣言」をされているので(笑)、ご出馬願うのは無理ですしねえ。
[802へのレス] Re: 大友宗麟といえば家臣の妻に手をだす 投稿者:ギルガメッシュ 投稿日:2002/04/01(Mon) 14:45
大友宗麟って家臣の妻に手を出しちゃった事で有名(?)ですが、
大友宗麟の社会的な地位が高く
しかも家臣の奥さんに手を出した事が世間にばれちゃったから
そこまで有名になってしまったのであって、
彼が他の戦国時代の武将と比べて特別スケベであったと言うような認識は持って無いですね。
ばれちゃった。てへっ。ってな感じじゃないですか?まあスケベにはかわり無いですがw
そうそう三国志に出てくる名前で
中山靖王劉勝と言うのが有りますが(ゲントックが自分のルーツだと言った人)
この人が凄いの何のって・・・。
女が数十人居て、子供が百人を超えていたそうです。
孫では無いのですよw
だからその末裔だと言ったゲントックがホントにそうなのかを立証する事は難しいと・・・、
そして可能性が無いとも言えないと・・・、
そういう事でゲントックが劉勝の末裔かどうかを議論される事は殆ど無いと・・・
劉勝ってそれほど凄い人だったらしいのですw(羨ましいねw
[802へのレス] Re: 大友宗麟といえば家臣の妻に手をだす 投稿者:ギルガメッシュ 投稿日:2002/04/01(Mon) 20:25
>大友宗麟
しかも外様衆の妻だったから悪名高くなっちゃったのですね。
譜代衆なら揉み消しが効いたかも知れんw
[780] 知ってる人、いるかな? 投稿者:羽州探題最上氏 投稿日:2002/03/27(Wed) 00:57 <HOME>
「ハリマオ」って、知ってますか?
なんか、マレーで活躍した義賊かなんかだったと記憶しています。
伝説上の人物らしいのですが、モデルとなった人物がいたらしく、太平洋戦争中にマレーで活動した日本人(軍人)がそれとか。
私もよく分からないので、これくらいしか書けませんが、50代くらいの人なら知ってるらしい。
で、ここからは宣伝。
この「ハリマオ」についての番組が、3月30日にNHKのBS1で22:00から放送されます。
興味のある方、もたれた方は是非ご覧下さい。
[780へのレス] Re: 知ってる人、いるかな? 投稿者:魔猿(まえん) 投稿日:2002/03/27(Wed) 01:51 <HOME>
非常にわたくし好みのネタなので、早速検索して調べてみました。
http://village.infoweb.ne.jp/~yorozu/9906/990613.htm
http://www.nishinippon.co.jp/media/news/0004/asia/asia_17nd.html
義賊ってカッコいいですよねぇ。自分が人生でやってみたい事の一つです(照れ笑)。
番組はBSか。自分は見られないな (^^; 。
[780へのレス] Re: 知ってる人、いるかな? 投稿者:にひ 投稿日:2002/03/27(Wed) 02:28
和田勉が映画化してませんでしたっけ? ウロ
[780へのレス] Re: 知ってる人、いるかな? 投稿者:美鈴ちん 投稿日:2002/03/27(Wed) 03:05 <HOME>
マレーの虎ですね。
最初イギリス軍を相手に闘い、ついで日本軍を散々に苦しめたマレー独立に裏から貢献した英雄ですね。
一応、山賊というか野盗なんですが、
ゲリラを支援し、民衆に食料や金を分け与え、
圧制者に抵抗したようです。
実在の真偽性が問われる所ですが、
こうした義賊はゲリラの中に大勢いた様ですね。
太平洋戦争末期に病に倒れ、若くして死んだとされています。
昔、陣内孝典主演で映画化されてましたね。
[780へのレス] Re: 知ってる人、いるかな? 投稿者:美鈴ちん 投稿日:2002/03/27(Wed) 03:12 <HOME>
ん〜魔猿さんのお奨めリンクを見ると
谷豊=ハリマオ説有望なんですね。
なるほど。
[780へのレス] Re: 知ってる人、いるかな? 投稿者:羽州探題最上氏 投稿日:2002/03/28(Thu) 23:54 <HOME>
>谷豊=ハリマオ説
3月30日の放送は、確かこれがベースになっていたと思います。
現地取材を敢行しているそうですよ。
[780へのレス] Re: 知ってる人、いるかな? 投稿者:FUDO 投稿日:2002/03/29(Fri) 12:49
ハリマオというと、本物より先に「あしたのジョー」のアレを思い出してしまう・・・(笑) うききー!
[780へのレス] Re: 知ってる人、いるかな? 投稿者:カリウス 投稿日:2002/03/29(Fri) 21:29 <HOME>
名前は知っています。
そういや「ハリマ王の伝説」というお菓子があったなー。
[780へのレス] Re: 訂正! 投稿者:羽州探題最上氏 投稿日:2002/03/30(Sat) 00:07 <HOME>
>3月30日にNHKのBS1で22:00から
今NHKのサイトで確認したところ、30日ではなく31日でした。
それ以外は同じです。
おっかしいな〜、以前確認したときは30日だったのに。
[765] バルバロッサ・フリードリヒ1世 投稿者:魔猿(まえん) 投稿日:2002/03/23(Sat) 23:20 <HOME>
※興味を湧かせるIFの続きです
自分もバルバロッサ気になってました。チン4の攻略本に
>騎士道的道徳を備えた皇帝で、卓越した政治家、外交家として
>ドイツロマン主義史家に思慕されている。
とか書いてあるんですが、なんかスゴそうな印象を受けます。
ついでに「ドイツロマン主義」というのをネットで調べたら
>文学・哲学上の運動→諸学の統一という視点→自然科学も巻き込まれた
ということで、いまいちよく分からない説明(笑)。
美術用語としてよく使われてるんですかね?
[765へのレス] Re: バルバロッサ・フリードリヒ1世 投稿者:カリウス 投稿日:2002/03/24(Sun) 00:29 <HOME>
ドイツロマン主義・・・。
いい加減ではありますが・・・。
ドイツの領域や基本、まとまりといったものは神聖ローマ帝国がもとにありますので、ドイツ的なもの(騎士道とか、いかにも血の気の多いユンカーが好みそうな)、統一ドイツへの憧れという意味では・・・。ワグナーの曲とかもそうかな?
自分でかいておきながら、よくわかりません。あくまで私のイメージ。
[765へのレス] おれは孫のフリードリヒ2世のが好き 投稿者:華奢ーん/リッチー 投稿日:2002/03/24(Sun) 02:07 <HOME>
チン4ではバルバロッサにフリードリヒ2世を教育させてました
バルバロッサ・フリードリヒ1世は中世における歴代国王の中でもっともドイツ人の好みにあった人物らしい。事大主義的なドイツ人の感覚ではフリードリヒ1世こそ騎士道の真髄を体現した、理想の支配者の様に思われた。バルバロッサの人物評は、彼がいかにすばらしいかという賛辞が多いが割愛。
1184年マインツで開かれた帝国議会は欧州全土から70以上の王侯貴族が席を連ね、その会議の豪華さはすでに当時史上もっともすばらしい集会と評された。彼はその最大の政治目標であった「帝国の再興」を成し遂げ、晩年はまさにある意味世界の支配者であった。しかし、歴史家たちは、フルードリヒ1世の治世と業績を、その様に輝かしいものとしてのみ評価したわけではない。
まぁ、魏が根底的に穴のあいたザルの如き矛盾を含んだ王朝だから、すぐポシャッたとワシは思っておりますが、バルバロッサも一見成功したかに見える国づくり政策そのものにあるといわれる。
12世紀後期は社会史的には封建社会の一つの転換期であった。(貨幣、都市勢力、荘園経済の解体の始まり、騎士階層などなど)ドイツは西欧諸国と比べてやや後進的で、叙任権闘争などによる混乱、諸侯の領邦君主権形成志向などなど、ドイツにはドイツの事情は、まぁあった。こうした状況において、バルバロッサはヘンリ2世やフィリップ・オーギュストの様に新興勢力と手を握り、旧貴族勢力と対抗しつつ王権支配を拡大していく、という進歩的政策でなく、むしろ旧勢力との妥協の道を選んだ。
バルバロッサの国家にはたえず、分権独立の傾向をしめす諸侯権力をおさえ、統制するだけの中央集権機構がかけていた。イギリスの場合はウェストミンスターの財務局が地方長官を統制していたが、ドイツでは国王専門の財務官とその役所すらもたなかった。この欠陥はバルバロッサの力量不足に帰せられるものではなく、むしろドイツの経済的後進性ゆえ避け難いものだった。それは一見強大に見えるバルバロッサの国家が内包していた最大の欠陥であり、こうした限界のために、彼の死後まもなくその欠陥は帝国の再分裂と内乱という形で露呈せざるを得なかった・・・・だそうです
ただし、この男の性格、権威はリチャード1世、フィリップ2世をそれなりに御して十字軍を起こすには向いてると思いますし、御することができる人物がいたとすれば、バルバロッサをおいて他にいないかと
[765へのレス] Re: バルバロッサ・フリードリヒ1世 投稿者:カリウス 投稿日:2002/03/25(Mon) 00:15 <HOME>
年をとっていたからかな? 威厳はありそう。
ヒトラーも対ソ連戦は彼にあやかり(東方植民に由来するのでyそう)バルバロッサ作戦にしたし。ドイツ人ナショナリズムを煽る人物では?
[765へのレス] Re: バルバロッサ・フリードリヒ1世 投稿者:魔猿(まえん) 投稿日:2002/03/25(Mon) 01:32 <HOME>
なるほど。華奢ーんさん、長文の解説どうもありがとうございます。
ところでバルバロッサは「赤髭王」という事ですが、本来の意味はどういう意味なんですかね?
「バルバロイ」で「野蛮人」でしたっけ?
[765へのレス] クッキーがすぐ消えちゃう 投稿者:華奢ーんR 投稿日:2002/03/25(Mon) 01:36 <HOME>
>威厳はありそう
大男というほどではないがすらりとした長身、ブロンドの髪とするどいけれども明るい目、あう人に思わず親しみを感じさせる口元、そして美しい手―――――。しかしフリードリヒ一世の容貌を特徴づける最大のポイントはその燃える様な朱金色の顎鬚であった。それゆえかれは「バルバロッサ」(赤髭)とあだなされた。
高齢になってもなおたくみに馬を乗りこなし、戦陣では常にめざましい活躍をみせた。彼はまた、感受性の強い魂と強靭な意志、そして冷静ですばやい判断力をもっていた。友人たちに対してはいつもかわらぬ親愛をもって接したが、喜怒哀楽の情は激しかった。とくに記憶力はバツグンで、いちどあっただけの人を数年後にも覚えていて、相手をおどろかせたり喜ばせたりする事はしばしばあった。
この様な宮廷の雰囲気から「ローランの歌」などの騎士道物語や武勲詩、優雅な愛の物語などが生まれたのであった。バルバロッサの宮廷で育った吟遊詩人たちは、その騎士道物語に託して彼らの主君を、騎士道の権化としてうたいあげたのである。バルバロッサの伯父で『フリードリヒ事績録』を書いた司教オットーは、コンラート時代の重苦しさを「涙の時代」と呼び、フリードリヒ時代の明るい雰囲気を「笑いの時代」と呼んで対比した・・・・んだそうですッ
ボク個人のイメージとしては幻想水滸伝のバルバロッサ、餓狼伝説のヴォルフガング・クラウザーかなぁ。しかしワシの好みは無論快男児リチャード&ジョン兄弟です
[765へのレス] Re: バルバロッサ・フリードリヒ1世 投稿者:美鈴ちん 投稿日:2002/03/25(Mon) 02:06 <HOME>
バルバロッサ>
まんま赤髭です。
バルバ=髭
ロッサ(ロット)=赤
[765へのレス] またネットで調べた 投稿者:魔猿(まえん) 投稿日:2002/03/25(Mon) 04:27 <HOME>
バルバロイ>
>古代ギリシア人は、言葉の通じない異国の野蛮な民族のことをバルバロイとよんだ。
>「バルバロイ」はギリシア語を話さない異民族すべての蔑称であり、
>「野蛮人」、「未開人」の意味はない。
>『大辞林』バルバロイ
>[(ギリシヤ)barbaroi]
>〔わけのわからない言葉をしゃべる者の意〕古代ギリシャ人が異民族一般に対して用いた蔑称。
だそうです。
バルバロッサという単語と関係はあるんでしょうかね?
それにしても以下のページはすごい文章量です。
http://www.asahi-net.or.jp/~hi5k-stu/index_menu.htm
ブックマーク必須と言えそうなぐらい凄い。
[765へのレス] バ ル バ 投稿者:ロ ッ サ 投稿日:2002/03/25(Mon) 09:52
>単語と関係はあるんでしょうかね?
バルバロッサ、じゃなくて、バルバ(髭)とロッサ(ロット)=(赤)という二つの単語の組み合わせと考えた場合、言語学的に「ない」と考えていいのでは。
バルバロイってそもそも尊称じゃないという点でも、理屈にあわないですし
[765へのレス] バルバロイ 投稿者:魔猿(まえん) 投稿日:2002/03/25(Mon) 23:08 <HOME>
>言語学的に「ない」と考えていいのでは。
なるほどね。日本語でも「ただ単に言葉が似てるだけ」ってのはありますしね。
ところで、ロッサさんは初めての方かしら。
[765へのレス] Re: バルバロッサ・フリードリヒ1世 投稿者:美鈴ちん 投稿日:2002/03/26(Tue) 09:54 <HOME>
ん〜確かにドイツ語でも
バルバロイで髭人、蛮人という言葉になるんやど、
こっちはバルバ(髭=バルトの変格)
ロイ(人間=ロイテの変詞)。
ギリシア語のバルバロイは
バネイン(解)とポッロイ(大勢の人々)から生まれた言葉と思われ。(母国単語はPCの性質上表記不能と思われるので割愛。古代ギリシャ語、及びエルトリア語周辺には及んでいない為、適正単語を見逃している可能性が高いです(爆)
両者の言語大系的繋がりはラテン語発生までは
口伝のみであり、単語の綴りも違うことから、
伝わったとしたら音であろうと。
それを自国語に解しやすく変化させ当てはめたとも考えられます。
ヨーロッパのみならず、アフリカ、中央アジアの言語統系は
個別でありながら、交流の過程で交わりつつ発展しているので、
同音異語も細かく分析すると一つのモノだったりします。
何処でその言葉が発生したかを特定する事は難しいですね。
[765へのレス] Re: バルバロッサ・フリードリヒ1世 投稿者:小坊主@ケイン 投稿日:2002/03/26(Tue) 11:36
バルバロッサ・ハイレディンってのもいたよね。
[765へのレス] 777ゲットみたいですよ? 投稿者:小坊主@ケイン 投稿日:2002/03/26(Tue) 11:48
バルバロイというのは髭人、蛮人と言う意味だったんですか。
似てるけどバーバリアンってのはアフリカのバルバリア海岸から来てるんですよね。
似てる言葉なのに語源は違う、でも同じ野蛮人という意味で、ちょっと面白いですね。
全然関係無いけど、チンギスハーン4がもっと後の年代までプレイで斬れば、もしかしたらウルージ、ハイレディンのバルバロッサ兄弟とかが出てたかも。
[765へのレス] Re: バルバロッサ・フリードリヒ1世 投稿者:にひ 投稿日:2002/03/27(Wed) 02:26
えー、ちょっと前の話ですが…、
>ロマン主義
音楽だと、バッハから初期ベートーベンまでが古典主義、後期ベートーベン以降がロマン主義。古典主義が形式性の確立に特徴があるとすれば、第9を思い出せば良い訳ですが、「俺たちゃ形式なんかに捕らわれないゼぇ!」みたいなノリがロマン主義かと。交響曲を聴いてたらイキナリ合唱が始まるのは当時としては掟破りのロックだったんでしょう。
哲学だと、キリスト教の前提なしで、古典ギリシャをモデルにして考えようとした近代思想で、その形式が確立されたのが古典主義です。(←余りこの言葉は使わないけど) マキャベリ〜カント・ヘーゲルあたりが相当すると思われ。で、ヘーゲルはベートーベンと同い年なんですが、やはり後期ヘーゲルも掟破りの神秘主義っぽくなってるような、してないような。
んでロマン主義、音楽の場合は、叙情的なモノを好む傾向がやがて民族音楽の再発見につながっていきます。他方、哲学の場合、論理性よりも情念がどーちゃらとホザくようになり、民族の精神だぜゴルァ、と言い出す訳です。
これが19世紀のロマン主義、と理解しております。
[765へのレス] Re: バルバロッサ・フリードリヒ1世 投稿者:美鈴ちん 投稿日:2002/03/27(Wed) 03:46 <HOME>
ま・くべりんさんの質問レス>
Q フリードリッヒ・バルバロッサは十字軍をまとめられたか?
A 残念ながら不可能。
イングランドにせよフランスにせよ、
当時の国情を考慮すると他国侵略にかまけるだけの
余裕はない。
神聖ローマ帝国の様に万全たる国家運営が
為されてはいないし、王領は狭く、
戦費に事欠く始末である。
おまけに騎士達に教養はなく、
目先の利益が常に優先であるから、
統率の取れた行動は二の次となる。
イングランド王リチャードがサラディンと
やり合っていたのは
殆ど個人的趣味に拠る所が大きい。
現に彼が不在の王国は、
母親マグダレーナと弟ジョンが専横する余地を与え、
リチャードに謎の死を遂げさせている。
残念ながらリチャードの破傷風による死は信憑性が薄い。
その後の状況判断からも暗殺の可能性は示唆できる。
無論コレはフリードリッヒ・バルバロッサにも言えるが、
彼の場合、一般に知られる落馬に拠る溺死ではない。
川の水に入った時点で、
馬上より転落していると言う事なので、
急激な水温差による心臓麻痺の可能性が高い。
無論、暗殺説も依然有望であるが。
三者で唯一元気なのがフランス王フィリップだろう。
彼は十字軍に早々から見切りを付けていたようだ。
というのは、彼の時代、フランス王国はパリ周辺のみの
非常に小さな王国である。
南に強国を以て為さしめるブルゴーニュ公国があり、
西にノルマンがあり、その先にブルターニュ公国があり、
事実上の分国支配である。
フィリップにとっての課題はフランスの統一であるから、
十字軍かまける積もりは最初から無かった。
殆ど、教会の支援を得る為の手段である。
破門されていた訳であるから、覚えめでたくし、
王権強化に役立てたかった訳だ。
そんな事情からも神聖ローマ帝国、イングランド王国、
フランス王国の足並みは最初から揃ってはいない。
如何にフリードリッヒ・バルバロッサが存命しても、
押さえきる事は不可能であったはずである。
[765へのレス] Re: バルバロッサ・フリードリヒ1世 投稿者:美鈴ちん 投稿日:2002/03/27(Wed) 03:48 <HOME>
あ、リッチーママの名前ちがってるかも・・・(汗
[765へのレス] Re: バルバロッサ・フリードリヒ1世 投稿者:Kircheis 投稿日:2002/03/27(Wed) 07:51 <HOME>
いつもながら美鈴ちん様の鋭い分析には頭が下がります。リチャード暗殺説は初耳でしたが。フィリップ尊厳王がアッコン攻略の時点で早々に十字軍を切り上げたのはフランスにとっては正に正解でしょう。
で、獅子心王の母の名前ですがこれは
アリエノール=ダキテーヌ
です。同時代においてはまさしく最大の女帝ですね(^^)。
[765へのレス] アンジュー一家は個性派そろい 投稿者:華奢ーん 投稿日:2002/03/27(Wed) 12:05 <HOME>
またクッキー消えた・・・
暗殺ならジョンの方がよりソレっぽいなぁ。タイミングよく死んでるし、どーにも戦陣でのモモの食いすぎ、新しい林檎酒の飲みすぎ、ってトコが。イカス
>アキテーヌのアリエノール
この人前夫のルイ7世との間に子いたっけなぁ。しかしイギリスは後に離婚問題で揉める国なのにこのオバ様はなかなか豪快な渡り歩きしているな。キャリアアップか(爆)
[765へのレス] Re:ルイ7世、痛恨のミス 投稿者:Kircheis 投稿日:2002/03/27(Wed) 23:52 <HOME>
>この人前夫のルイ7世との間に子いたっけなぁ。
ルイ7世との結婚生活は11年間、その間に娘2人をもうけましたが、男子は生まれていません。ルイは女子の王位相続を認めていないカペー王朝の王として、王位相続者が得られないデメリットを嫌ってアリエノールと離婚しましたがその結果はアンジュー帝国成立のきっかけとなってしまったのです。
このルイの大失策は息子フィリップ2世によって大きく挽回されましたが、百年戦争の遠因として長い事英仏間の禍根となっていきます。
[765へのレス] なるほど、ロマン主義 投稿者:魔猿(まえん) 投稿日:2002/03/28(Thu) 00:33 <HOME>
にひさん、解説どうもありがとうございました。
>ロマン主義
特に知らなくても、生きていけそう(爆)。
[765へのレス] Re: バルバロッサ・フリードリヒ1世 投稿者:美鈴ちん 投稿日:2002/03/28(Thu) 13:47 <HOME>
Kircheis様、ご教授感謝です。
アリエノール=ダキテーヌゆーんですね。
え〜この人関連ですが、
彼女はフランス人。
実はこの当時のイギリス王室ってのは英語は話していないんですね。
日常会話は全てフランス語だったりします。
そんなわけでリッチーもジョンもフランス語しかはなせませんでした。つーか、リッチーに至ってはフランス生まれのフランス育ちなんですよ。だから、イギリス王室自体に価値を見いだしてはいない気もしますね。フランスを欲しがった気も判ります。
因みにビクトリア女王夫妻はドイツ人ですので、当然、日常会話はドイツ語だったみたいです。
ジョンのタイミングの良い死に方はやはり暗殺でしょうかね。
というか、不自然すぎる突然の病死や事故死の多くは暗殺と見ても差し支えないですね。そーゆー時代ですし。
[616] 興味を湧かせる「IF」 投稿者:Kircheis 投稿日:2002/03/11(Mon) 21:10 <HOME>
どもっ!ネタふりは初めてのKircheisです(^^)/。
歴史関係の「もし長生きしたら」として最も興味を引かれるのは、織田信長と坂本龍馬だと思います。彼らが凶刃に倒れる事無くいけば日本はどうなるのか?ということに想像を逞しくする方も多いでしょうね。
ところで、世界史レベルではこの手の人物でどんな方を挙げますか?
私の場合はオゴタイ=ハーンとティムールです。
[616へのレス] あとはモンケくらいか 投稿者:華奢ーんTHEリッチー 投稿日:2002/03/11(Mon) 21:38 <HOME>
長生きでいけば、同上かなぁ。
[616へのレス] Re: 興味を湧かせる「IF」 投稿者:FUDO 投稿日:2002/03/11(Mon) 22:10
イエス・キリスト、かな(笑)
もし長生きして子供でも作ってたら、世界史は確実に変わってそう。
ちなみにイスラムの方はムハンマドの血がしばらく続いてましたが。
あちらは自分で「人間だ」と明言してましたからね。
イエスの場合はどうでしょう。なんだかあまり良い方向には
向かない気もしますね。
[616へのレス] Re: 興味を湧かせる「IF」 投稿者:魔猿(まえん) 投稿日:2002/03/11(Mon) 23:19 <HOME>
こういうネタの場合「老衰で死んだ人物は外しておく」のが現実的ですよね(笑)。
ゆえに、凶弾に倒れたガンジー師とイスラエルのラビン首相。
特にガンジー師は、自分にとっては世界史で唯一「我が命と引き換えに、この人が助かるのなら、人生に何の悔いもない」と思わせる人物なり。
「本当に強い人」というのは、こういう人の事を言うのであろうと…。
[616へのレス] Re: 興味を湧かせる「IF」 投稿者:にひ 投稿日:2002/03/12(Tue) 00:04
大平首相。
死ななければ自民党大敗→とっとと下野、という線があったかと。
それで日本が良くなったかどうか知りませんが。
似た例では渡辺美智雄。
世界史では…レーニンが死ななければスターリン主義はなかった、
とかいう、ごく一部の信仰を試してみたいですね。
あと、宮沢賢治が長生きしたら、
オオモト教→2・26事件とどう関わったかが見てみたいっす。
[616へのレス] Re: 興味を湧かせる「IF」 投稿者:カリウス 投稿日:2002/03/12(Tue) 00:07 <HOME>
私もモンケとティムールには賛成。
でもやっぱりバイバルスでしょー。でも、仮にバイバルスが生きてたら次に彼は何をやったんだろう(遠征についてですが)。やるべきことはやって死んでいった気がする・・・。
[616へのレス] ジョン、リンゴの食いすぎにて戦場にて陣没 投稿者:華奢ーんTHEリッチー 投稿日:2002/03/12(Tue) 00:57 <HOME>
失地王ジョンがあと5年生きていたら、カペー家のイングランド王即位がみれたかなぁ。
[616へのレス] Re: 興味を湧かせる「IF」 投稿者:小坊主 投稿日:2002/03/12(Tue) 04:13
オットー3世とか聖イシュトヴァーンかな?
オットー3世によるフランス、ドイツ、イタリアの再統一とか、
イシュトヴァーンによる中欧の大帝国とか。
あとは李大サとか。今よりはもっとずっと穏健な中国になってたかも。
[616へのレス] Re: 興味を湧かせる「IF」 投稿者:にひ 投稿日:2002/03/12(Tue) 15:01
>小坊主さん
どうも、はじめまして。
ブダペストで聖イシュトバーン大聖堂というのを見たことありますが、
そのひとですよね? そんなに凄い人物だったんだ。
[616へのレス] Re: 興味を湧かせる「IF」 投稿者:華奢ーんTHEリッチー 投稿日:2002/03/12(Tue) 23:09 <HOME>
小坊主さんはケインさんです。リッチーは華奢ーんですが
[616へのレス] Re: 興味を湧かせる「IF」 投稿者:雅 投稿日:2002/03/12(Tue) 23:39
華奢ーンさんは文調でバレるに5000点(爆)
[616へのレス] 華奢ーンさんは文調でバレるに5000点 投稿者:華奢ーんTHEリッチー 投稿日:2002/03/12(Tue) 23:51 <HOME>
世の中ニブい人はゴマンといますから
[616へのレス] Re: 興味を湧かせる「IF」 投稿者:にひ 投稿日:2002/03/13(Wed) 01:39
>小坊主さん
あら、そうでしたか。こんちーす。
[616へのレス] Re: 興味を湧かせる「IF」 投稿者:カリウス 投稿日:2002/03/13(Wed) 18:58 <HOME>
今日やっとわかったこと。
オゴタイが生きていたらというのは、本人うんぬんじゃなくてバトウの征西が継続されていたということですな・・・。
[616へのレス] Re: 興味を湧かせる「IF」 投稿者:ま・くべりん 投稿日:2002/03/14(Thu) 05:05 <HOME>
日本だと・・・
とりあえず大久保利通あたりを。ごく最近では、あえて小渕恵三を挙げてみます。彼が仮に存命で政権が続いていたとしたら、とりあえず森⇒純ちゃんの流れはなかったですかね。
世界は・・・
ロベスピエール、サンジェスト。彼らの政権が打倒されなかったら、その後にナポレオンは出てきたかな、と。
[616へのレス] Re: 興味を湧かせる「IF」 投稿者:華奢ーん 投稿日:2002/03/22(Fri) 18:50 <HOME>
バルバロッサが溺れ死ななかったら、ライオンハーティッド・オーギュスト・バルバロッサの小学生がかっこ良さがるカルテットで、サラディンと戦って欲しかったです
[616へのレス] Re: 興味を湧かせる「IF」 投稿者:ま・くべりん 投稿日:2002/03/23(Sat) 23:00 <HOME>
勉強不足ゆえ教えていただきたいのですが、第三回十字軍に参戦したバルバロッサ・フリードリヒ1世、どの程度の器量を持つ人物だったのでしょうか? 在位時にはイタリア方面にかなり精力的に進出した、程度しか存じていないのですが。やはり存命ならリチャード1世、フィリップ2世の確執を短期的にも抑えて十字軍をまとめられうる存在だったのですかね。
[616へのレス] Re: 興味を湧かせる「IF」 投稿者:美鈴ちん 投稿日:2002/03/27(Wed) 03:26 <HOME>
日本史レベルなら蘇我入鹿。
コイツが死ななんだら、歴史は変わってた。
続いて
中国だったら、ヌルハチ。
多少その後の満州帝国に変化があったと思われる。
少なくともホンタイジとドルゴンの確執は無かった。
ヨーロッパだと
ウィリアム・ウォレス
ハイランド王国が建国されているハズ。
当然、イングランドの大陸進出は出遅れ、
大航海時代にも乗り遅れるので、歴史は変わる。
アフリカならクフ王。
大規模な宗教改革を成功させ、中央集権力を強化させるのに成功している為に殺されているのだから、生きていたらより強力な事業を成功させたかも知れない。
[763] 極道の妻たち蒙古覇曲道編 投稿者:華奢ーん/リッチー 投稿日:2002/03/23(Sat) 10:53 <HOME>
広域暴力団、蒙古会…
初代蒙古会会長、チンギスはモンゴリアの片隅から抗争していた組織を制圧し、ついにはユーラシア最大の広域暴力団にまで蒙古会を成長させた。
初代会長チンギスの逝去にあたり、蒙古会は初代会長の4人の子息に縄張りがわけられ、4つの組によって統治された。長兄、ジュチ(故人)の子が統治するジュチ組、次兄チャガタイのチャガタイ組、三子オゴタイのオゴタイ組、末子トゥルイのトゥルイ組である。
初代会長チンギス死後、監国の地位についたトゥルイであったが、結局、チャガタイ組とオゴタイ組が近づいた事もあり、二代目はオゴタイ組の組長、三子オゴタイが襲名する事になった。二代目の元に、蒙古会はさらに勢力範囲を広げるのであった。
この二代目の正妻、トゥレゲネ。蒙古会の前身、蒙古組がまだモンゴリアの片田舎で抗争していた時、敵対勢力として君臨していたメルキト組の若であったクトの元妻である。抗争に破れキプチャク方面に逃亡したメルキト組の若、クトを討ったのは長子ジュチであった。そしてジュチ自身も生前、実はメルキト組の種ではないかという疑いをかけられており、それは組全体のタブーであった。この様な因縁から、トゥレゲネの息子グユクはジュチ組の二代目であるバトゥが嫌いであった。
二代目オゴタイの元に、ますます発展を遂げる蒙古会であったが、ある日会長のオゴタイが病に伏せってしまう。会長オゴタイの跡目は無論トゥルイ組組長、トゥルイが最有力である。トゥルイは会長を見舞いに来て、トゥレゲネの前で「姐さん。ワシが代われる者なら兄貴、いや会長の身代わりになりたい」と泣いてみせたら、おかしなことに後日本当に死んでしまったのである。
続く
[763へのレス] Re: 極道の妻たち蒙古覇曲道編 投稿者:華奢ーん/リッチー 投稿日:2002/03/24(Sun) 02:24 <HOME>
二代目であるオゴタイの自慢の息子はグチュはオゴタイより早く逝った。グチュはトゥレゲネの産んだではない。オゴタイはトゥルイ組への配慮から、グチュへの慕情からトゥルイ組の長子モンケとグチュの子シムランを後継にと、考えていた。
さて、金会、ホラズム会を殲滅した蒙古会はロシア・東欧への勢力拡大を決め、ジュチ組、チャガタイ組、オゴタイ組、トゥルイ組それぞれの長子を中心に軍を結成し、ルース諸侯の領邦を荒しまわっていたが、勝利の席上でオゴタイ組題目であるトゥレゲネの愛息グユクがチャガタイ組のブリ、バイダルらとともに、長子軍の総司令でジュチ組の組長バトゥをメルキト野郎と暴言を吐いたとかで大揉め。怒った蒙古会会長オゴタイはグユクらを罰すべく呼び返す。
ところがグユクらが帰る途中で、おかしなことにオゴタイが急逝した。
続く
[763へのレス] まだ途中ですが、一応レス 投稿者:魔猿(まえん) 投稿日:2002/03/27(Wed) 00:25 <HOME>
華奢ーん先生、いつも楽しく拝見させて頂いております。
単行本が出たら買います。
いつか映画化されないかなぁ。グッズとかも出たら買うのに。
お体に気をつけてがんばって下さい。
[763へのレス] 華奢ーン先生のファン急増か? 投稿者:雅 投稿日:2002/03/27(Wed) 01:08
マッチもレスがずいぶんうまくなったなぁ(爆)
ここはぜひモンゴルサイト筆頭のモンケさんにコメントしていただきたいですな。
[763へのレス] 極道の妻たちは他所のネタでね・・・ 投稿者:華奢ーん 投稿日:2002/03/27(Wed) 02:33 <HOME>
コメントは勘弁して頂きたい.
作品ていうほどイジってないし。まぁ”蒙古史は極道映画だ!”という事を書いてるだけです(長いから分けてる)
一代目なら北斗の拳だけどね
[763へのレス] Re: 極道の妻たち蒙古覇曲道編 投稿者:華奢ーん 投稿日:2002/03/27(Wed) 02:59 <HOME>
蒙古会はオゴタイの死後、トゥレゲネはグユクを三代目につけようと画策し、内部対立が深刻化した。蒙古会では鉄砲玉が動き、チャガタイ組組長である大叔父チャガタイや、蒙古会の大幹部である耶律楚材らが逝く。ジュチ組組長のバトゥは、仲の悪いグユクの即位を妨げようと、蒙古会の中でも最も話がわかり、かつ信望があるトゥルイ未亡人のソルガクタニに働きかけてみた。
ソルガクタニ、蒙古会がモンゴリアを制圧する以前、そのバックとなっていた組織ケレイト組組長の姪っ子で、故人トゥルイの妻である。
だが、賢明な彼女は時熟せずと見て容易にそれに応じなかった。
結局グユクはトゥレゲネの後ろ盾の元に蒙古会三代目に襲名する。しかしソレに猛烈に反発するジュチ組組長、バトゥは蒙古会三代目襲名クリルタイへの出席も拒み、グユク襲名後も彼に忠誠を誓おうとせず、ジュチ組の縄張りであるロシア平原に割拠して、中央のグユクを無視する態度にでた。怒ったグユクはバトゥを討つべく、西方へ、バトゥもそれを迎え撃つべく東方へ軍を動かす気配を見せた
正直、続く
[690] 大和朝廷と半島 投稿者:華奢ーんTHEリッチー 投稿日:2002/03/15(Fri) 01:49 <HOME>
台与が晋に朝貢(266年くらい?)して100年間、日本に何があったのか正直サパーリわかりませんが、まぁ別儀扱うとして(記紀はただでさえ胡散臭いのに特にこの頃の記事は外国記事ですら100年ほど間違いがあるそうで。いやよく知りませんけど)、
百済の使者が367年くれーに日本に来ていたそうで、この頃は大体大和朝廷と古墳文化は成立していたとか。
任那日本府、という「正式な機関」は存在しなかったとききますが(結構重要)、中国に北魏ができたあたりから、日本はなんらかの形で半島にて高句麗と戦っていたことはまず間違いなさそうで、(391年、399年、400年、404年)それから414年の倭王讃をかわきりに南朝に外交攻勢。
それから100年後には宮家に王朝交代があったかどうか、ともかく継体朝が507年ごろ成立したとして、継体朝の(親百済、というより半ばいいなりの様な)半島政策は、半島出征が筑紫の磐井の乱もあり破綻する模様で。この頃になると、倭はもー半島に足元みすかされっぱなしの様子。(とくに新羅に。任那諸国も倭から新羅寄りに)。代替わりして欽明帝になると百済に対する政策を変更する様ですが、高句麗の南下の新羅・百済連合の締結で再び方針を転換、
継体帝と欽明帝における半島政策の迷走はさらに半世紀をもって任那の新羅支配で破綻。(長いから割愛。この辺になるとわりとはっきりした歴史の模様で)
それからさらに半世紀、欽明帝以来の国策である新羅討伐と(大和朝廷は昔から新羅と敵対していたわけではない)任那の回復(つまる所実力行使による半島問題解決政策)をあの聖徳太子がやっておるのは案外イメージに合いませんな(NHKドラマでは馬子がやったことになってたけど)
それからさらに半世紀663年にて大和朝廷は白村江で完全敗北。
ざーっとおっていくと大和朝廷の半島の政策は約300年。
邪馬台国はドコですか?壱与の朝貢から百済の朝貢(?)までの100年でいかに大和朝廷の統一は成立したか?そして大和朝廷の半島政策、この三つが何気に古代史3大謎ですか?
[690へのレス] 正直不人気スレった(爆) 投稿者:華奢ーんTHEリッチー 投稿日:2002/03/15(Fri) 16:39 <HOME>
この頃の大和朝廷の船はそんなに多数の兵力が送