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兵器論第1回 兵器概論


○はじめに

 兵学を学ぶに於いて、決して無視する事が出来ない存在の一つに兵器という物がある。
 兵器とは文字通り、兵士が用いる武器であり、単純に武器とは類別される存在であるが、昨今はこの大差は存在しない物であるらしい。しかし兵器と武器の差は、使われる単位や用法であり、結果としては使用する規模の差であるが、同時に目的の差でもある事を忘れては為らない。


 これを人は理屈であると言う訳だが、それも一理あるとしても、兵学の場合、理屈であるからと言って無視する事は出来ないのである。

 戦で用いられる場合、それらは兵器と称され、普段の備えに於いては武器と称され、生活で使用する場合は、道具と称さる。
 これを以て理屈と称さる訳であるから甚だ致し方ない。

 しかし、兵器の存在が戦術を変化せしめ、戦略を変更せらしめる事は、古来よりの歴史で暫し発生した事である。同時に戦闘の状況や戦術の立案に応じて、生活の道具が武器に変わり、武器が兵器に転ずる事もまた暫しである。この輪廻が戦争の形態を末期的なまでに肥大化させてしまい、その結果が21世紀初頭の現在の状態である事を鑑みれば、単純に理屈、屁理屈と言える物ではない事は理解いただけると思われる。


1.戦争における兵器の起源

 兵器と戦争の関係は、非常に密接である。
 恐らく人類の祖先が最初に道具として手にした瞬間から、それらは道具ではなく、武器であり、兵器という存在であった。それらを祖先が手にした瞬間から、自然界の生存競争は、戦争という名称に変化を余儀なくされていくのであっただろうから。つまり、人類が手にした最初の道具は武器として用いられる存在であった。石器と称されるそれらは、狩猟用として用いられる反面、群対群の争いで用いられる武器でもあった。

 但し、ここでは敢えて武器とする。
 何故かというと、道具が武器となった黎明期には、群と群の争いは生存競争の一環である。
 それは自然界の定めた法則の一つに過ぎない。
 それを戦争と称する事は出来かねる。

 武器が兵器に転ずるのは生存競争が戦争に転じた瞬間からである。

 近代社会ではないから、近代の戦争論に於ける戦争の定義を当てはめるのは不都合があるが、生存競争と戦争の根元的な差は、まずは余剰欲求の有無であろう。生存競争が文字通り、部族や群の生存を掛けて、差し迫って発生したのに対して、初期の戦争は生存競争を根元とするにしても、差し迫る以前の段階で、一定量の余剰食糧を求めるべく発生したと考えられる。
その線引きは難しいが、人類が牧畜や農耕を行う以前と以降である、と考えるのが妥当と思われる。


 その頃になると、狩猟の道具はより発展し、武器と道具の差が見え始めてくる。
 石の鏃はより磨かれて、石のナイフはより磨かれて大きさを増して石斧の原型となり、動物の骨や硬い木の瘤から作られた棍棒はより洗練された形状となる。狩猟の方法が部族間の争いでは、原始的な戦術として用いられたであろう。それはもはや生存競争ではない。そこで使われる道具はもはや狩猟用の道具ではない。
 戦争であり、兵器である。


2.戦略、戦術と兵器

 生存競争の争いがが個人ないし、集団の余剰欲求の為に発生した瞬間から戦争に転じ技術進化するのと同じくして、狩りの為の道具が捕食すべき動物ではなく、人間に向けられた瞬間から武器に転じ、集団の意志で用いられた瞬間から兵器として技術進化を遂げていった。両者の関係はまだ全くの一体ではないが、しかし非常に密接な関係である事は確かである。そしてそこに、戦略や戦術という要素が加わる事で、戦争も戦略や戦術も、そして兵器も、一層複雑な進化を遂げて、この関係は文字通りの三位一体となる。


 1.戦争の希求から戦略や戦術が立案され、必要な兵器が用意される。
 2.戦略や戦術の立案結果の流れから、戦争が希求され、必要な兵器が用意される。
 3.必要な兵器が用意される過程で、新しい兵器が発明乃至、改良され、それが戦略や戦術の新しい展望に繋がり、戦争が希求される。


 1は最も想像しやすい関係であり、古来からの関係パターンとしては最も事例として多い関係と言える。つまり、隣の庭が自分の庭より良く見えて欲しくなり、奪い取る事を決めた王が、最低限の犠牲で、最も効率よく奪い取れる方法を考案し、それを実現するために必要な兵器を作成する訳である。ある意味では原始的思考ではあるが、それだけに事例も多い。


 2は1よりも進化した姿であり、兵法思想の正統的な流れの関係である。現在の軍事活動も多くがこれに類別されるし、専守防衛の思想もこれに当てはまる。王や部族の存続や余剰希求・・・・、条件はともかく、一定の方針に基づいて考案された結果、戦争の発生を前提として、必要な兵器が作成されていく訳である。この場合、作成される兵器は、1よりも戦略や戦術に対して柔軟な性質を持つ物が好まれる。


 或いは、王家や部族、国家でも良いが、その将来を展望するに、他勢力との戦争が避けられないと判断され、乃至は戦争をさせない為の示威行動として、他勢力の先手を打つ為の準備や自勢力の防衛の為に、条件に基づいた必要な兵器を用意する。このケースの場合、先手必勝と専守防衛の採択次第で、全く性質の異なるしかし、一面を非常に特化した兵器の開発が好まれる。


 3は兵事の邪道であるが、戦略や戦術は暫し、邪道で進化する。
 これは1ないし2の過程、或いは戦争上の経験から兵器が開発される過程で、結果的に戦略や戦術の概念を大幅に越える事が可能であり、または可能性がある兵器が誕生し、それに基づいた戦略や戦術が他勢力に対して非常に有効である、或いは有効に働く可能性がある事で、戦争に勝てる確からしさが高い結果、戦争を決行するパターンである。

 近代以降、この風潮が蔓延した。
 大砲に始まり、装甲艦競争に始まり、大艦巨砲主義然り、核兵器保有開発然り・・・。
 兵学的に考えれば一種の熱病に近い思考パターンなのだが、人は剣を持つと強くなった気分になれるらしい。
 しかし、兵器の存在が軍事バランスに寄与する事は確かである。

 だからこそ、近代以降の国家間の軍事バランスの調整には、兵力人員以上に、兵器保有の制限に留意して来たのである。兵器が進化し続けた過程と結果によって、兵器という存在が戦略や戦術により欠かせない要素となった。事に第二次世界大戦から現在の戦争形態や軍事思想はその事実をとても良く表している。


 この三位一体は有史以来の関係を保って21世紀初頭の現在に至っている。
 恐らくは人類の生命体としての劇的変化、或いは生活の劇的変化、乃至は価値基準のどれか一つに大幅な変更が為されない限りに於いては、一定のバランスを有したまま推移し続けるだろう。この関係に於いても、兵学を学ぶに於いて兵器が欠く事の出来ない存在である事を証明している。


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