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戦術の運用


○はじめに

 前回までに、戦略と戦術の差と個々の存在定義に付いて筆を進め、 その結果、ある程度の概要は掴む事が出来たと思われる。
 
 さて、今回『戦術の運用』と題した訳であるが、 戦術にせよ戦略にせよ『唯一無二の絶対必勝の法』等という、便利極まる魔法の知恵袋は世の中に存在する訳ではない。また、ここで紹介して行くであろう、戦術で用いられた手段、作戦、戦法、も確かに何度かの勝利を得たかもしれないが、更に勝利を生む事を約束する所ではないし、或いは、惜しくも破られたそれら手段も、或いは次回において、勝利を得るかもしれない。

○戦術に関する、ちょっとした誤解

 戦術には特定の型がある訳ではない。

 が、しばし『〜の戦術』という言葉を耳にしたり、目にしたりする事がある。 こう言った表記まったくの誤りであるが、実のところ、その様に表記しないと、読み手や聞き手には決して伝えられない分野であり、便宜上の元に生まれた表記方法なのである。

 例えば、『孫子の兵法』という言葉。
 しかし、それらは孫子のみが用いた兵法ではなく、また孫子が考えた兵法でもない。 それより前、累を遡る先人達が用いた思考方法や戦争遂行、或いは国家運営の基本理念を孫子なりに解釈し(但し、現行に知られる解釈の多くは、魏武の手による所と思われる)、より論理的にまとめたモノである。

 兵法と言う言葉は、戦術を表す言葉よりもむしろ、戦略、軍略、政略を表す言葉に近いかもしれない。

 
 また、しばし戦術と戦法を同一視する傾向が、その手のビジネス書を始めとした書籍で見受けられる事がある。明らかな認識の誤りである。戦術とは戦闘局面の遂行に用いる技術的思考活動であるが、戦法は、それらを一局面に置いてより具現、実体化させた方法である。換言すれば、思考技術の生みだした結果の行動的技術である。これら行動的技術は『用兵術』であり、また別項目として取り扱いたい。


○戦術の運用

 さて、戦術を実際に運用するにあたっては、運用する者の身分待遇等の諸条件によって、大幅に異なってくる。全権を有し、百万将兵に号令を発する立場にあれば、それらの多くは戦略と共に運行されることとなろうし、或いは一兵卒を束ねる長であるならば、前線、支援、後方、等の配置状況によっても当然異なってくる。また、麾下戦力の内容によっても大幅に異なる。


 つまり、戦術とは与えられた条件を如何に最大限利用できるかが、非常に重要な要素を占める。


 戦術を組むに置いて、もっとも重要な事は情報分析の正確さ以上に、非常に果断な判断力が必要である。情報ばかり集まってきても、それを瞬時に把握し、律を下せなければ、その時点でその局面での敗北は確定的であるからだ。
 

 地形を判断し、天候を鑑み、麾下兵力と敵戦闘力の比類を行い、敵の存在する位置、或いは布陣・展開の箇所を掴み、敵将帥の思考・心理を理解し、それを看破して味方をより優勢に持ち込むのが、戦端を開く前に実施すべき行動である。これに費やされる時間は短ければ短い程良いとされる。

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○凡例:1a

 にわかに川沿いの国境を侵されたAという国があった・・・・

 2003年の現在であれば、レーダーで事前にこれを捕捉し、国境に踏み込んだ時点で警告を発して、無視したと同時に、対空ミサイルなり、対戦車ミサイルを雨霰の如く打ち込んで、一時的に足を止めつつ、侵攻地点にほど近い軍管区司令部が防壁となりつつある間、中央部は周辺軍管区に律を発して、より完全な形での迎撃準備を整え、防壁となっている軍司令部に速やかな増援を送り、侵攻してきた部隊なり、集団を撃滅するという所だろう。

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 これは一見あっけないが、戦術理論に基づいた国防準備が正しく運行されていた証明である。レーダーで事前に察知できた時点で攻撃をしないのは文明国なら当然である。
国境に踏み込み、警告を発するのも文明国なら当然である。この2者を怠る国家はその時点で、随所に歪みが発生していると見て良い。

 逆に攻め込む側は、そこに付け入る隙を見いだす事が出来るだろう。無視したと同時に発砲するのは当然やむを得ない事である。大体、武器を持って他人の土地に入り込む事自体が、ある意味では非礼の極みなのだから。もっとも、仮に警告に応じてきた場合は、また別の問題が発生するが・・・・。


 『対空ミサイルなり、対戦車ミサイルを雨霰の如く打ち込んで』
 これが非常に重要である。初期戦闘に置ける兵力の出し惜しみは即敗北へとつながる。可能な限り、前線の敵兵力を暫減する事が必要である。そうする事で、敵兵力の士気の低下も促す事が可能であり、戦闘当初から敵の疲労を誘う事が出来る。これは後方に控えていた味方兵力が戦地に到達した際、より大きな効果となって具現化する。


『侵攻地点にほど近い軍管区司令部が防壁となりつつある間、中央部は周辺軍管区に律を発して、より完全な形での迎撃準備を整え』

ここの部署が個々の役割を正確に理解している証明である。
中央部即ち、国家中枢はこの場合、非常に果断に富み、事実認識力が正確に備わっている様である。どんな事情があるにせよ、この様な国家を相手に無名の師を起こしては為らない。このような国家は兵の士気も高いしそこに住まう住民の不満もまだ低い。国家に不公正があっても重要な事態には進んで居らず、むしろ改革すら進められているだろう。
その様な国家に進んで攻め込むのは自殺行為である。


 戦術の運用が国家レベルで正しくなされている場合、得てして戦略の根幹がしっかりと形成されており、将兵の質も決して劣悪ではない。   
 その様な訳で、凡例1aの場合は、まことに良い条件を与えられていた事になる。
 指揮を執る将軍達の戦術能力が上質でなくても、管理能力が備わっていれば良い例である。


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