スーパーマリン・スピットファイア
       Supermarine Spitfire

(撮影:秩父路号)

●基本データ

初飛行:1936年3月5日
生産数:約23,000機

●解説

 第2次世界大戦時のイギリスの英雄、スーパーマリン・スピットファイア。
 その起源を見ていくと、まずヨーロッパでは伝統あるエアレース『シュナイダー・カップ』で優勝した経験を生かして、1936年にスピットファイアの試作機が完成されている。それに4ヶ月ほど先だってイギリスではホーカー社のハリケーンの試作機が完成している。従って、この2機はイギリス国内でライバル的な存在と目されたが、テスト飛行当初から結果はスピットファイアに優勢であった。同じ、ロールスロイス社製マリーンエンジンを搭載した2機の最高速度は56km/hの差を生み、開発主任のミッチル技師の才覚で構成された全金属モノコックの機体は、空力学的に優れ、英国空軍の主力機として採用された。

 最初に量産されたMk1は、当初、木製固定ピッチ2枚羽のプロペラを採用していたが、よりエンジン効率を向上させる為に金属製可変ピッチ3枚羽に変更され、更に全体的なバランス調整がなされたMk2が生産された。

 本格的実戦参加は1940年7月10日に開始された、 ドイツ軍による英国本土制圧作戦の制空権争覇戦である。通称『バトル・オブ・ブリテン』と呼ばれるこの大規模航空戦闘で、スピットフアイアはメッサーシュミットBF109より小回りが利く事を生かして戦い、更に撃墜されても、パイロットが生きていれば再び迎撃に上がるという、本土戦ならではの戦闘方法で、制空権維持に貢献した。結果的にドイツはイギリス本土侵攻作戦を無期限停止せざるを得なくなった。

 1941年9月に入ると、ドイツは新たにフォッケウルフ社のFW190を投入。メッサーシユミットBF109に対して優勢だったスピットファイアは瞬く間に窮地に立たされた。FW190を撃破すべく、急ピッチでの改良が重ねられ、MK9が完成。これはバトルオブブリテン以降も改良が続けられた中で生まれたMK5の機体に、高々度性能を強化したエンジンを搭載させたものではあったが、 高々度戦闘に分が悪いFW190を大いに苦しめていく。

 更に高々度性能を強化すべく、MK8の機体に二段二速過給機を搭載した新型エンジンを取り付けたMK14を投入する。バトル・オブ・ブリテン以降、スピットファイアの開発・改良は殆ど同時に様々な形式が発案され、形式番号順に完成されて行っている訳ではない。

 従って、このMK14の時も先に新設計開発案のMK21の生産が行われる予定であった。しかし、新設計案の実用化や生産ライン等の問題から、MK14が先行生産されている。スピットファイアはこの後も飽くなき改良が行われ、生産機数はイギリス国内では圧倒的な22759機とされている。

 スピットファイアはこの時期、空軍だけでなく、海軍でも採用され、当初は従来の機体に艦載機能を追加したモデルとなっていた。しかし、積載効率の強化を図るため、主翼を折り畳み式に変更。空軍機と同じ様に同時多発的な改良が行われ、非常に多彩な派生型が誕生した。

 因みに海軍で採用されたスピットファイアは『シーファイア』と呼ばれている。
(解説:美鈴ちん@岳飛)


●ギャラリー

スーパーマリン スピットファイア Mk9
(写真:ブリュッセル 王立軍事博物館/撮影:裏辺金好)



スーパーマリンスピットファイア Mk.14
(写真:ブリュッセル 王立軍事博物館/撮影:裏辺金好)