戦車の成り立ちと変遷

○戦車の成り立ち

 ナポレオン以降、戦闘形態は大きく変化する。

 それでも銃器や兵器の性質上、カスケード密集体型を主軸とした戦闘方法に大きな変化はない。 つまり、銃士隊をメインに横一列数段に分かれ、 銃を撃ち、側面に配した大砲が火を噴き、押し崩れた所に騎兵が突撃する。 中世以来、ヨーロッパ文化圏はこの様な戦闘方法がメインであった。それは海を越えたアメリカ独立戦争(1775〜76年)でも見られる。
 そうした戦闘方法に変化が起きる時代が来た。
 機関銃の登場である。
 一秒間に100発近い銃弾を発射し、瞬く間に死体の山を生産するその兵器は、 事実上、戦場を変えた。それまで花形だった騎兵は銃弾の前に無力であり、横一列に並ぶ兵士は格好の的となった。

 クリミア戦争(1883〜86年)以降、大量殺戮時代と呼ばれる時代が到来し、 戦場は血の池から血の湖が見られる様になる。機関銃の激しい銃弾から身を守るために、 土壁を構築し、身を潜めながら敵に近づいていく方法が採られたのは、自然の流れとも言えるだろう。

 やがてそれは塹壕と土嚢を中心に鉄条網のバリケードが張られ、 コンクリートが発明されるとより堅牢なトーチカが作られるようになった。こうした戦い方を塹壕戦と呼ぶのだが、第一次世界大戦の幕開けはまさに塹壕戦から始まった。兵士達は銃をスコップに持ち替え、日夜塹壕堀に明け暮れた。

 両軍共に塹壕を構築し、バリケードトーチカを設置した頃には、 戦場は膠着し、その間にもおびただしい死者が生産され、生き残った兵士達の心身にも戦場の恐怖が原因による、廃人患者が出現するようになった。

 ガス兵器が投入されても、一向に進展しない戦線に、 転換期が現れたのは、塹壕やバリケードを踏破し、トーチカを粉砕する兵器が出現してからだ。それはイギリスで生まれる。塹壕やバリケードを踏破し、後に続く兵士達の為の 橋頭堡を構築できうる能力を持つ兵器だ。

 農業用トラクターを改良し装甲板と機関銃を取り付けたそれは、 後のイギリス首相チャーチル(当時の海軍大臣)の積極的な推進により、 進化改良が進められていく。戦車の出現は戦場を再び一転させた。

 戦争参加の主力各国は次々に戦車を開発改良していく・・・

○戦車の変遷

 戦車は対塹壕の為に作られたいわば移動するシェルターである。 その為に、開発当初は対戦車兵器は考慮されず、ひたすら防御能力と対機関銃掃討の為の機関銃が取り付けられた、簡便な物であった。これは第一時大戦末期まであまり変わる事がない。戦車が独自戦車砲を持ち、戦車通しでぶつかり合い、戦術的勝利に貢献する中核となるのは、第二次世界大戦に入ってからである。

 第二次世界大戦に至って、戦車はその姿すらも大きく変化させていく。第一次世界大戦の戦車は歩兵の盾であり、戦陣の切り込み役であった。戦車は常に歩兵集団と共にあり、塹壕を潰しつつ、トーチカを沈黙させ、兵士達がより確実に目的地点に到達できる様にするのが主の任務であった。

 従って、局地大量投入という概念もない。戦車は確かに戦場を一変させたが、第一次大戦当時はまだ陸の花形は騎兵や歩兵であった。

 第二次世界大戦に至ると、その存在は一変する。 ドイツの空陸同時運用構想に基づき、 高速に敵地を踏破できる兵器としての戦車が求められる。従ってより高性能な出力を持つエンジンと、高い命中性を有する火砲が必要とされ、開発が実施される。

 やがて、時代が戦車対戦車の遭遇戦回数が増し、従来の目的に敵戦車を粉砕する事が加えられると、戦車はその構造と運用方法にも変化が生じ始める。いわば戦車の巨大化であり、局地大量投入という運用方法である。

 戦車自身にも様々なバリエーションが生まれ、 機動性と取り回しを犠牲にしつつも攻撃力を特化させた突撃戦車駆逐戦車、従来の大砲からロケットや火炎放射に換装された特殊タイプ装甲や火力を犠牲にして機動力を得たタイプ等が次々に作られた。
(執筆:岳飛)



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