| ○各国に見る戦車 |
戦車の運用構想は実に様々である。 第一次大戦から現在に至る所までを考察しても、それは明らかな違いとして良く見る事が出来る。第二次世界大戦はそうした戦車運用構想の差が勝利に貢献し、敗北につながった経緯を持っている。
無論、それらは国家的な要因を有してはいるが、 ここではひとまず、 戦車という存在に限定して考えていきたい。
| ○戦車競争 |
戦車性能の向上競争は世界最初のイギリス製戦車TANKTが
西部戦線の戦場に出現した瞬間から始まった。
戦車と対峙する事になったドイツ軍のみならず、 戦車共に戦場に立った商協軍の将兵全てに衝撃を与え、 同時に人間の肉体を武器に行う戦争が終わりに近づいた事を明確に印象づけた。戦車の有用性に特に興味を示したのは、戦車を敵として最初に戦う事になった、
ドイツ帝国軍であった事は当然であっただろう。
ドイツはその国民性とも言える物作りを存分に生かして、 戦車開発に邁進する。
こうして誕生したのがドイツ最初の実践投入戦車として有名なA7Vである。これはTANKTよりも重装甲であり、
履帯すらも装甲の下に隠れる独特の形をしている。 前後左右に機関銃ではなく機関砲を配置し、より塹壕撃砕に特化した戦車となった。
同時期にはフランスでもドイツに先駆けてイギリスからの技術供与よる戦車
スナイダーを開発し戦場に投入した。 TANK1より大柄で船底をひっくり返した様な胴体の側面に履帯が付く。
この他にもイギリスでは速度特化の3tTANK(フォード社)が開発される。
これは2名乗りで、非常に小さいく、当時としては軽快に動いた。 時速13キロと言うから、当時の戦車の倍、 アメリカ製の大衆自動車である T型フォードの初期モデルの最高速度が大体20キロ程度だった事を考えると
非常に軽快と言えるかもしれない。
この様に戦車黎明期においても早くから、 各国の考えに基づく戦車開発競争は繰り広げられ、 戦車のみならず、この周辺機器も開発、改良、性能向上が繰り広げられた。
エンジンは大型化しつつも出力が向上し、 機関銃は口径が大きくなり機関砲と呼ばれる種別の銃が生まれ、 大砲は巨大化の一途を進み、用途に応じた型が生み出された。
そしてそれらは、第一次世界大戦が終結した後にこそ、 繰り広げられたとも言える。
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