各国戦車の初期開発史(1)

○各国に見る戦車

 戦車の運用構想は実に様々である。 第一次大戦から現在に至る所までを考察しても、それは明らかな違いとして良く見る事が出来る。第二次世界大戦はそうした戦車運用構想の差が勝利に貢献し、敗北につながった経緯を持っている。

 無論、それらは国家的な要因を有してはいるが、 ここではひとまず、 戦車という存在に限定して考えていきたい。

○戦車競争


 戦車性能の向上競争は、イギリスによる世界最初の実用戦車マークTが 、1916年9月15日のソンムの戦いで出現した瞬間から始まった。
 (※上写真はマークU戦車。基本的な構造はマークT戦車と同じで、ハッチを増設した程度。/撮影:秩父路号)

 戦車と対峙する事になったドイツ軍に衝撃を与え、 同時に人間の肉体を武器に行う戦争が終わりに近づいた事を明確に印象づけた。戦車の有用性に特に興味を示したのは、戦車を敵として最初に戦う事になった、 ドイツ帝国軍であった事は当然であっただろう。

 ドイツはその国民性とも言える物作りを存分に生かして、 戦車開発に邁進する。


 こうして誕生したのがドイツ最初の実戦投入戦車として有名なA7Vである。これはマークTよりも重装甲であり、 履帯すらも装甲の下に隠れる独特の形をしている。 前後左右に機関銃ではなく機関砲を配置し、より塹壕撃砕に特化した戦車となった。1918年4月24日にヴィレルー・ブレトニュー(フランス)で、イギリスのマークW戦車と史上初の戦車戦を行っている。
 (※上写真はボービントンの戦車博物館で展示されているA7V戦車 504 Schnuckのレプリカ。/撮影:秩父路号)

 同時期にはフランスでも戦車 シュナイダーCA1を開発し戦場に投入した。 マークTより大柄で船底をひっくり返した様な胴体の側面に履帯が付く。

 この他にもアメリカでは速度特化のフォード3t戦車が開発される。 これは2名乗りで、非常に小さいく、当時としては軽快に動いた。 時速13キロと言うから、当時の戦車の倍、 アメリカ製の大衆自動車である T型フォードの初期モデルの最高速度が大体20キロ程度だった事を考えると非常に軽快と言えるかもしれない。

 この様に戦車黎明期においても早くから、 各国の考えに基づく戦車開発競争は繰り広げられ、 戦車のみならず、この周辺機器も開発、改良、性能向上が繰り広げられた。

 エンジンは大型化しつつも出力が向上し、 機関銃は口径が大きくなり機関砲と呼ばれる種別の銃が生まれ、 大砲は巨大化の一途を進み、用途に応じた型が生み出された。
 そしてそれらは、第一次世界大戦が終結した後にこそ、 繰り広げられたとも言える。



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