戦車の初期開発史(3)イギリス

○進化する戦車(イギリス)

 一方、戦車発祥の国イギリスは戦車改良こそ実施したが、結論からいけば、致命的な手抜き改良、或いは改良したフリをして自己満足してしまった、
 と言えるだろう。第一次大戦後イギリスの戦車は 第一次大戦中に開発、使用された戦車の諸仕様の見直しを実施し、再設計した形となるため、 ドイツの様に最初の段階から開発を見直しした状況とはやはり異なると言える。

 小型で快速なMKT軽戦車が作られたモノの、 売れ行きがいまいち不調なことから、これをベースに更に改良したMKUが生まれる。

 これは主にエンジンそれ自体とトランスミッションに手を加えたモデルである。 また角錐形状をした機関銃塔を搭載させた。

 一応、イギリス本国軍隊とインド軍に採用はされたものの、 生産台数は少なく、性能も戦闘には不向きであったために、 訓練用として使用されるに留まった。

 1935年にMKVが登場。ホルストマン・サスペンションという傾斜したスプリングを持つサスペンション機構が採用され、 路外性能は幾分にも向上した。このサスの機構は現代戦車にも通じる機構の一つであり、 MKVが多くイギリス国外に輸出された経緯により、各国で改良を遂げていく。

 そして、1936年には内装備改良を施したMKWが産声を上げ、MKV、MKW共に、諸外国にも輸出される戦車となり、 その都度の改良型が生まれ、また現地でも改良を受けた。

 しかし、兵装備面から言えば、機銃のみである事を見れば判る通りで、 設計思想それ自体は第一次大戦からさほど進化しているわけではない。その為に、MK戦車シリーズは第二次大戦前開発製造のMKWと第二次大戦勃発後のMKXとは性能に大差はなくても仕様が若干、異なるのである。

 MKシリーズに並行して開発された戦車に巡航戦車MKシリーズがある。
(巡航戦車とは装甲を犠牲にして軽量化を図り、速度と走行距離を向上させた戦車)

 これらはMK中戦車シリーズを母胎にして、開発された。 MK中戦車はTANKTを先祖とするシリーズであるが、 MKT中戦車が一次大戦のさなかに生まれた訳であるから、 別シリーズとも言えなくもない。

 このMKT&Uの後継としてMKVとなるべく、A6中戦車が試作された。 性能自体は他のイギリス戦車と比べると悪くはなかったのであるが、 コストが異常にかかりすぎ、一次大戦で逼迫したイギリス政府の国庫には負担が重すぎたため、騎兵隊にも、歩兵隊にも配備できる『質より値段な戦車』が必要だった。


 1934年から開発が始まり、1936年に完成したのが MKVの後継というか再開発品として出現したA9中戦車、 すなわち巡航戦車MKT(上写真/撮影:秩父路号)である。 開発当初は騎兵戦車と呼ばれた。

 スローモーション型のサスペンション (コイルスプリング装着単列三輪から成り立つボギー機構が二組から成り立つ機構) を採用し、 リベットで形作られた砲塔には当時開発されたばかりの2ポンド砲を装備し、副銃座の他に、操縦席の左右に機銃塔と取り付けるなどの斬新な設計であったが、 実用性に今ひとつ欠けていた。


 実用性を持たせるべく、操縦席にある余計な左右の銃塔を取り払い、 操縦席の右側に車体機銃座を取り付け、 増加装甲をボルト止めした改良型が直ぐに作られたが、作ってみると、重量過多で最高速度25kmの鈍足で、速度を犠牲にしたはずの装甲も不十分という、 実用性から遙かに離れた戦車、巡航戦車MKU(A10)(上写真/撮影:秩父路号)が完成した。

 実用性が欠如しているために巡航戦車MKT&Uの生産台数は 双方併せても300両程度であったが、 それでも、間つなぎとしてA9&10はなんやかんやと使用され続けた。巡航戦車V&Wが作られたのは単純に失敗続きをしているウチに、 技術供与したはずのソ連に戦車作りで後れをとった事を思い知らされたからである。

 一次大戦から15年余りでソ連はアメリカとイギリスから戦車技術を習得し、 独自に優秀な戦車を開発できる技術レベルを手に入れていた。 中でもアメリカ技術のクリスティーヌ型サスペンションを有したBTシリーズは、 イギリス戦車より圧倒的に速く走行する事が可能だった。

 イギリスでもアメリカからクリスティーヌ戦車を輸入、解析し、 巡航戦車たる快速戦車の開発に着手した。 これが巡航戦車V&Wである。


 二つの巡航戦車はA13E2戦車として試作型が完成し、最初に巡航戦車MKV(A13MKT)(上写真/撮影:秩父路号)、次に巡航戦車MKW(A13MKU)が作られる。 巡航戦車MKVは足周りを強化したが、基本的な諸兵装は巡航戦車MKUと大体同等であった。エンジンに力があり、速度こそ速かったが、それだけである。

 速いだけでは役に立たないので、巡航戦車MKWとして改良を受ける。 試作コード型番が同じなのはこの為である。 だから改良しても色々な性能にはやはり不満が残る戦車となったが、それでも、先に作られた巡航戦車MKT&Uより生産台数は圧倒的に多く、 第二次大戦当初に至るまで、イギリスの戦車師団の中核車両として使用された。

 イギリスの戦車がまともな近代化をするのは、アメリカからの本格的供与を受けた、その後である。
(解説:岳飛)


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