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戦車論第8回 戦車の初期開発史(6)アメリカ


○アメリカの戦車開発構想

一次世界大戦後半、新兵器が群れ集って互いに牙を喰い付かせ、 その爪を相手の身体に絡ませていた。

 勝敗を決しさせた一国たるアメリカ合衆国も当然その範疇に身を置いていた、ハズであった。

 だが、アメリカがヨーロッパ戦線に置いて国産戦車を実戦参加させたという記録は無い。開発が始まりつつあった米国国産初の正規戦車M1917は、 未だ西欧から遙か遠い、ふるさとの大地にズッシリと根を下ろしていたからだ。
(この時、菱形戦車など幾つかの試作候補車両も作成されている)


これには多少の理由がある。
1 実戦投入に耐えうる輸送手段が無い。
2 戦車を投入した後の、後方維持手段が無い。
3 そもそも連合国が投入しているのだから『今更投入する』必要がない。


 結局、M1917が正式採用され、正しい意味で産声をあげたのは一次大戦後の1919年の事であった。

 アメリカは当初の開発(1915想起?1916着工?)で、トラクターを改良させた戦車の原型機を作成し、ベストトラクター社のトラクターに装甲と旋回砲塔を取り付けたモノであった。 このトラクター改造戦車を最初の戦車とする説が一般的だろう。

 同じ頃にホルトトラクターもホルト36豆戦車G19SP18等、数種を作成。 が、最終的にM1917の原形となったのは、自由の国の元祖フランスの開発したルノーFT軽戦車である。

 結局の所、アメリカ自体はそれ程に戦車の開発に躍起になる理由が無かったのかもしれない。 アメリカはその周囲を海に囲まれ、欧州大陸から遠く、外敵と称する可能性の存在は、北のイギリス領カナダと南のメキシコ等、ごく限られ、戦力的に恐れる必要は薄く、その当時の外交状態はまだ安定していた事から、合衆国軍の役割は、国内周辺の治安維持が中心となる。
 

 確かにオレンジ計画等の対外戦争構想は幾つも存在し、その準備も進められてはいたが、戦闘の主力は海軍兵力が中核を担うものであった。

 こうした事情を踏まえた結果、良地走破性に定評があったルノーFT軽戦車のライセンス生産権を購入し、独自の改良を加えた方が、なまじ開発し、それを使わざる得ない状態となるよりも、確かな結果が得られると判断したのは、当然であろう。


 1919年から本格配備の始まったM1917であったが、その後、軍縮等の事情があったにせよ(アメリカは1920年の国防法によって歩兵部隊のみが戦車を持つ事を許されていた)、またその後にも多数の試作が生み出されたにもかかわらず(例:T1戦闘車 *1)、20年近く運用され続けたのは、その様な事情が大きく影響しているのかもしれない。

*1 しかし、このT1がその後の戦車を大きく変える。
   開発されたT1は歩兵支援車両であったため、『戦車』ではなく、『戦闘車』が正しい。


 1930年代に入ると、にわかに戦車開発が活発になる。 これは諸外国が第二次世代戦車を開発しつつあった事や、 M1917が完全旧式化した為である。また、1932年にはマッカーサー総参謀長の提示した機械化計画が容れられ、T1をベースにT2戦車T5が生まれた。

 T5はT2に先駆けて採用された戦車で、独自の足周りと軽快さで、ソビエトやイギリスに少なからぬ影響を与えたクリスティーM1931戦車がこれである。
この頃になると歩兵戦車、騎兵戦車というわけ方を特にするでもなく、アメリカでは両用で使える戦車がメインで開発されている。


 T2はむしろM2軽戦車という名で世に知られているかもしれない。第二次世界大戦を通じて連合軍の軽戦車の中核を担う事になる一台であるから。

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