戦車の初期開発史(6)アメリカ

○アメリカの戦車開発構想

 第一次世界大戦後半、新兵器が群れ集って互いに牙を喰い付かせ、 その爪を相手の身体に絡ませていた。勝敗を決しさせた一国たるアメリカ合衆国も当然その範疇に身を置いていた、ハズであった。

 アメリカは急きょ、ルノーFT−17をライセンス生産したM1917軽戦車を発注するが、アメリカがヨーロッパ戦線において国産戦車を実戦参加させたという記録は無い。
 これには多少の理由がある。
1 実戦投入に耐えうる輸送手段が無い。
2 戦車を投入した後の、後方維持手段が無い。
3 そもそも連合国が投入しているのだから『今更投入する』必要がない。

 結局の所、アメリカ自体はそれ程に戦車の開発に躍起になる理由が無かったのかもしれない。 アメリカはその周囲を海に囲まれ、欧州大陸から遠く、外敵と称する可能性の存在は、北のイギリス領カナダと南のメキシコ等、ごく限られ、戦力的に恐れる必要は薄く、その当時の外交状態はまだ安定していた事から、合衆国軍の役割は、国内周辺の治安維持が中心となる。
 
 確かにオレンジ計画等の対外戦争構想は幾つも存在し、その準備も進められてはいたが、戦闘の主力は海軍兵力が中核を担うものであった。  こうした事情を踏まえた結果、良地走破性に定評があったルノーFT軽戦車のライセンス生産権を購入し、独自の改良を加えた方が、なまじ開発し、それを使わざる得ない状態となるよりも、確かな結果が得られると判断したのは、当然であろう。

 1919年から本格配備の始まったM1917であったが、その後、軍縮等の事情があったにせよ(アメリカは1920年の国防法によって歩兵部隊のみが戦車を持つ事を許されていた)、またその後にも多数の試作が生み出されたにもかかわらず(例:T1戦闘車 ※1)、20年近く運用され続けたのは、その様な事情が大きく影響しているのかもしれない。 ※1 しかし、このT1がその後の戦車を大きく変える。
 
 開発されたT1は歩兵支援車両であったため、『戦車』ではなく、『戦闘車』が正しい。

 1930年代に入ると、にわかに戦車開発が活発になる。 これは諸外国が第二次世代戦車を開発しつつあった事や、 M1917が完全旧式化した為である。また、1932年にはマッカーサー総参謀長の提示した機械化計画が容れられ、T1をベースにT2中戦車T5中戦車が生まれた。

 T5はT2に先駆けて採用された戦車で、独自の足周りと軽快さで、ソビエトやイギリスに少なからぬ影響を与えたクリスティーM1928戦車がこれである。この頃になると歩兵戦車、騎兵戦車というわけ方を特にするでもなく、アメリカでは両用で使える戦車がメインで開発されている。

 T2はむしろM2軽戦車という名で世に知られているかもしれない。第二次世界大戦を通じて連合軍の軽戦車の中核を担う事になる一台であるから。
(解説:岳飛)

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