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艦船論第3回 海軍と艦船の成り立ちと種類 3


○様々な水兵達

 水兵と一言で表しても、それは様々である。

 海兵団に属し、軍兵としての待遇を受けていれば、なるほど水兵だ。
 しかし、水兵には2種類がある。
 つまり、航海要員戦闘要員である。


 この様な区分けがより明確になされるのは、船自体の積載量に余裕が生まれた後の話であるし、積載に余裕があっても、組織的な都合で区分けが行われていない事もしばしである。もともと船を扱う人たちの多くは海を生活の場としていた。シュメール人にしても、フェニキア人にしても、或いは汎ギリシア人も陸を歩くのと同じ感覚で船を使用していたという。

 彼らの場合、海の利権はイコールで生活に直結する。
 従って彼らは有史よりも古くから海で戦ってきた。荒れ狂う波と気まぐれな風と・・・猟場を狙う他部族と。

 それは海を生活の場とした部族の回避し得ない障害であっただろう。
 彼らに似た境遇を有する部族、組織はその当時ですら万国に存在する。


○日本の水軍

 日本の場合、江戸時代までは水軍という特異的性質を有する集団(かれらは海族であって、海賊ではない)が存在した。これは沿岸部に住む漁師や土豪・豪族が武装化した組織と、奈良・平安朝廷の古の海兵が独立化した物と、実に様々であるが、実質的な差はあまりない。基本的には独立した地方豪族集団である。


 彼らは内地の領主と強固な主従関係を結ぶ事は少なかった。
 水軍自体の独立不羈の気勢が強かったと言えばそれまでだが、内陸領主自体が彼らを無理に取り込む必要性を感じていなかった部分もあったと思われる。従って、戦の際には彼らを傭兵として招聘するという事もしばしであった。しかし、水軍も規模が大きい訳ではない。招聘を受けると、他の野武士や浪人を傭兵として雇う事もしばしばあった。


 さて水軍の場合、船を扱う者と戦をする者は基本的に区別されている。
 船を扱うのは民人であり、戦をするのは武士、という訳である。
 この民人は武士に徴発されている訳ではない。単に武士ではない、というだけの話である。無論、この形態も戦国期に至ると、破綻する。日本の水軍は、個々の組織が小さかったという事情から、本当の意味で本格的な軍事組織と呼べる形態に至るには、戦国期の後期まで待たなければならない。


○ヴァイキング

 他方、同じ海族に北欧のヴァイキングの存在がある。
 彼らは北欧で古の昔から海を生業とした人々が部族化し、より武装化し、集団化した存在である。ゲルマン民族の移動に伴って、より組織的になったと言えるかもしれない。
その辺りはケルト人やスラヴ人と大差はない。大差はないが、隔絶した差は、ヴァイキングの戦士は一人一人が屈強で優秀な船乗りであり、供応無比の戦闘家だった事だろう。彼らは自ら櫂と帆を操り、自ら戦闘を行った、水夫兼戦闘要員であるが、むしろ、戦闘要員兼水夫に近いかもしれない。

 しかし、北欧の荒れる海で培われた航海能力は、地中海の優しい海で培われた航海能力を圧倒的に引き離し、ローマ帝国の衰退というより、欧州の衰没に前後して、欧州沿岸や地中海の海に混乱をもたらした。

 ヴァイキングの船は決して大きな物ではない。
 しかし、氷の浮かぶ海でも航行可能な強力な船体強度を有する船の設計技術と、充分な速力が出せる船形と、風を捕まえやすい繰帆装置と、風が無くても自力航行できる櫂を有する物だった。これはジャンク船やダウ船同様に後の西欧式帆船技術に少なからぬ影響を与えている。


 日本の水軍にしても、ヴァイキングにしても、最初から要員別がなされていたわけではない。
 それは地中海世界でもインド洋でも中国でも同じである。


 戦闘の多様化と過程の中で、
 船上での役割が、各員の能力に応じて、やはり多様化していったのである。

 そもそも丸木船の様な小さなカヌーでは、多様化もなにもあったものではない。
 大きな船体を建造する技術と共に、積載できうる人員に有る程度の余裕が生まれ、そこで初めて役割を割り振ることが出来るのである。


○古代ギリシアとカルタゴの場合

 紀元前の地中海争覇戦に於いて、ギリシア・・・正確には都市国家アテネを筆頭にガレー船の巨大化が進んでいる。同時に海軍組織の巨大化も進む。

 資料によると、
 ・標準的な櫂船の漕ぎ手の数は20−26人。
 ・戦闘要員も艦長含めて20−26人。

 ・標準的な三段櫂船の漕ぎ手は100人。
 ・戦闘要員も100人
 であったという。

 これはアテネ全盛期以降、殆ど変わっていない数字である。

 また、カルタゴが擁した五段櫂船は漕ぎ手は300人。戦闘要員も300人であった。これを200隻用意すると、櫂船の場合、
 ・40×200=8000人

 三段櫂船の場合、
 ・200×200=40000人

 五段櫂船の場合
 ・600×200=120000人

 単純に計算すると上記のようになる。

 無論、この数字だけでは艦隊を運行することは出来ない。
 漕ぎ手や戦闘要員の交代員も必要だし、武器や船材、食料を輸送する船も必要である。


○国力と海軍

 海軍力の巨大化は単に数の問題ではなく、それを支える国力がより重要になってくる。


 例えば、ヴェネチアは都市人口が少なく、必要兵員が揃えにくいために、傭兵を募り、さらに戦闘要員が漕ぎ手を兼ね、少ない人員で、効率よい航海力を得るために、一人で櫂を漕ぐのではなく、三人で漕ぐ方式を採用している。


 逆にカルタゴの様に、日常的に傭兵制度を確立していた国家では、将校と奴隷兵以外は、殆ど全員が傭兵であった。
 そこにカルタゴの経済力を知る事も出来る。


 しかし、これだけの人数を集めても、マケドニア海軍が台頭するまでは、海の戦いは正面決戦、大接近しての矢戦と、わざわざ相手の船に乗り込んでの戦いに終始していた。従って、戦闘要員の兵制度は陸上の兵制度がそのまま適応される形となる。つまり、10人組 100人隊という構成である。


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