本郷城〜東京都文京区〜


○解説

 日本に於ける学問の府の最高峰、東京大学。同地がかつては加賀藩上屋敷として使われていたのは有名で、今や東大のシンボルの一つとも言える赤門こと御守殿門(上写真)は、江戸期から現存する赤門としては唯一のモノとして知られています。ところが、実は赤門のある付近に、本郷城という城が存在していたことをご存知でしょうか。

 現在では遺構もなく、藩邸設営と大学設営で城の名残は見る影もありませんが、地形的に勘案すると、平山城としての威容が出現します。そもそも東京大学は台地の真上に立地し、東・南・西が崖で、北は緩やかに下るという、実は起伏が激しい土地です。さらに武蔵国の重要交通路が交差・併走する付近に位置し、知性的には非常に重要な土地と言えます。

 さて、本郷城の存在をより明らかにしたのは、江戸時代後期のこと。恐らく藩邸改修工事のおりに、地下掘削をしたのでしょう。地面から多数の石垣が発掘されたと記録にはあります。しかし、城自体の実体についてかかれた資料が現在の所、発見されていません。築城者は太田康資と言われているが、根拠に乏しい。

 私見ですが、要地である事を考えると古くから備砦が存在していたのでは無いかと思われます。太田一族の手によって、徐々に城は規模を大きくしていったのでは無いでしょうか。ちなみに、本郷城という城の名称は日本国中に存在しています。
 (写真:裏辺金好/解説:岳飛@美鈴ちん)

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