徳島城〜徳島県徳島市〜


○解説

 徳島城は、豊臣秀吉から阿波を与えられた蜂須賀家政が築城した平山城で、1586(天正14)年にほぼ完成しました。その資材は、それまでの阿波の中心であった勝瑞城や阿波一宮城からも転用されています。
 天守閣は当初、山上に作られたようですが、元和年間(1615〜20)年に少し下がった位置にある東二の丸で再建築されました。その後、蜂須賀氏の居城として明治維新を迎えますが、陸軍省の広島鎮台の管轄となったことから鷲(わし)の門以外は、1875(明治8)年に全て解体され、その鷲の門も太平洋戦争で焼失。
 1989(平成元)年、徳島県出身の個人の方が鷲の門を復元し徳島市に寄贈。位置は道路との関係で、厳密には往時と異なっているそうですが、徳島城のかつての姿を偲ばせています。
(撮影:裏辺金好 ※特記を除く)

○場所



○風景






下乗橋
藩主の御殿における正面出入口。ここで駕籠など乗り物からは降りる必要がありました。江戸時代は木製の太鼓橋でしたが、1869(明治2)年に花崗岩製の橋となり、さらに1908(明治41)年に、水平の橋へ改造されました。(撮影:デューク)


徳島市立徳島城博物館
1992(平成4)年に開館した徳島藩と藩主の蜂須賀家に関する歴史・美術資料を展示。徳島城表御殿の跡地に建設され、御殿風の建築になっています。


旧徳島城表御殿庭園 【国指定名勝】
武将で茶人の上田宗箇が1600年頃に作庭したもので、表御殿の書院と藩主が普段暮らす中奥に面しています。枯山水の庭園と池泉回遊式の庭園を組み合わせ、「阿波の青石」といわれる緑色片岩を多用しているほか、数寄屋橋下から地下水路を通して内堀の海水を導入した潮入り庭園であるのも特徴です。








蜂須賀家政公の像
蜂須賀正勝(小六)の嫡男で、徳島城を築城し藩祖となった蜂須賀家政(1558〜1639年)の銅像です。

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