|
村上城の築城起源は明確ではありませんが、戦国時代初頭(1500年ごろ)に本庄氏によって築城されたと考えられています。標高135mの臥牛山に造られたこの城は、上杉氏とその配下である本庄氏が豊臣秀吉によって会津に移封されたことに伴い、1598年に堀秀治の家臣・村上頼勝が城主となります。
さらに1618(元和4)年、堀直寄が10万石で入城すると城と城下町の整備を大々的に進め、近世村上城が完成。さらに1663(寛文3)年、時の城主である松平直矩(なおのり)が修築を行い、天守閣も新造しますが、これは4年後に落雷で焼失し、以後は再建されませんでした。
さて、村上城の城主は目まぐるしく変わり、中には将軍の徳川家宣、徳川家継父子に仕えた間部詮房が徳川吉宗時代に高崎から移封(左遷?)されています。1729(享保5)年に内藤弌信が入城すると、明治維新まで内藤家の領有となりました。
残念ながら1876(明治8)年までに城は破却されてしまい、遺構は殆ど残っていません。ただし、市内各地に武家屋敷が数多く現存しており、江戸時代の村上の面影は随所に見ることが可能です。
(写真&解説:裏辺金好)
|