村上城と古い町並み〜新潟県村上市〜


○解説

 村上城の築城起源は明確ではありませんが、戦国時代初頭(1500年ごろ)に本庄氏によって築城されたと考えられています。標高135mの臥牛山に造られたこの城は、上杉氏とその配下である本庄氏が豊臣秀吉によって会津に移封されたことに伴い、1598年に堀秀治の家臣・村上頼勝が城主となります。

 さらに1618(元和4)年、堀直寄が10万石で越後長岡から入城すると城と城下町の整備を大々的に進め、近世村上城が完成。さらに1649(慶安2)年に姫路から松平直矩(なおのり)が移封されると、村上藩は15万石となります。1663(寛文3)年には村上城の修築を行い、天守閣も新造しますが、これは4年後に落雷で焼失し、以後は再建されませんでした。

 さて、村上城の城主は目まぐるしく変わり、中には将軍の徳川家宣、徳川家継父子に仕えた間部詮房が徳川吉宗時代に高崎から移封(左遷?)され、村上藩は5万石と規模を大幅に縮小。そして、1720(享保5)年に内藤弌信が入城すると、明治維新まで内藤家の領有となりました。

 残念ながら1876(明治8)年までに城は破却されてしまい、遺構は殆ど残っていません。ただし、市内各地に武家屋敷が数多く現存しており、江戸時代の村上の面影は随所に見ることが可能です。なお、村上城の全貌は、ビジュアル再現 村上城 http://www.geocities.jp/murakamicastle/ で詳しく紹介されていますので、ぜひ。
(写真&解説:裏辺金好)

○場所



○村上城の風景



村上城復元模型


追手門跡
周辺は村上市役所、村上小学校として利用されています。


旧制村上中学校校門・守衛所
村上市役所、追手門付近にある近代建築。明治33年築としているサイトもありました。


一文字門跡
山頂部への入り口で、かつては大きな枡形櫓門がありました。枡形東面の石垣の一部が、残存しています。

○武家屋敷など



旧・成田家住宅
幕末から明治にかけての建築と推定。



旧・嵩岡家住宅
「まいづる公園」に移築保存された武家屋敷。直屋・寄棟造りの住宅で、玄関を入るとすぐに茶の間なのが特徴。ちなみに、皇太子妃雅子様の出身である小和田家は村上藩士。祖父の小和田毅夫さんに嫁いだ祖母の静さんは、この嵩岡家の出身です。



旧・岩間家住宅
「まいづる公園」に移築保存された武家屋敷。直屋・寄棟造りの住宅で、元々は連棟式の長屋形式の住宅だったものを、1858(安政5)年に一戸建てに大改造。





旧・岩間家住宅(内部)


旧・藤井家住宅
1850(嘉永3)年築と推定。藤井氏は明治30年に取得したもので、城下絵図では重野兵馬の屋敷とあります。




旧・藤井家住宅(内部)



旧・若林家住宅 【国指定重要文化財】
1769(明和6)年以降の建築。村上藩で物頭(ものがしら)役150石だった中級武士、若林家の住宅。曲屋(まがりや)づくりの茅葺平屋建で、部屋が細かく用意されているのが特徴。





旧・若林家住宅(内部)


三の丸記念館(旧・村上銀行本店)
1907(明治40)年に旧村上銀行本店として建てられたもの。内部は改装されていますが、1982(昭和57)年まで使われています。木造の銀行建築として非常に貴重。


村上歴史文化館
村上市にあった明治時代後期の病院を参考に新築されたもの。

おしゃぎり会館(村上市郷土資料館)
村上大祭に曳き回される「おしゃぎり」等が展示されています。

浄念寺本堂 【国指定重要文化財】
1818(文化15)年築。土蔵造、二重二階、切妻造という珍しい構造の本堂です。浄念寺は村上藩主の本多家、榊原家、間部家の菩提寺で、間部詮房の御霊屋もあります。


寺町の風景
現在も数多くのお寺が整然と立ち並ぶほか、料亭などもあります。



千年鮭 きっかわ
古い町並みが残る村上市。主要産業である塩引き鮭もあちこちで見かけますが、こちらの店は特にすごい状態。


町並み

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