三枚橋城・沼津城〜愛知県沼津市〜


○解説

 JR沼津駅近くの中央公園が本丸跡といわれる三枚橋城は、武田信玄が1570(元亀元)年に築城したもの(従来は1579(天正7)年、武田勝頼が、川向こうにある北条氏の戸倉城に対抗する目的で築城したものと考えられてきました)。武田家滅亡後は徳川家康のものとなり、家康が関東に移封されると、豊臣家の中村一栄(中村一氏の弟)が城主になります。
 そして関ヶ原の戦いの後、再び徳川家康のものとなり、重臣の大久保忠佐が城主となりましたが、1613(慶長18)年に大久保忠佐に世継ぎが無く断絶。三枚橋城は廃城にされ、駿府藩に編入されて沼津は代官が支配しました。
 ところが時は流れて1777(安永6)年、水野忠友が城地としてここを与えられ、三枚橋城の北半分を利用して再び築城。以後、沼津水野藩の居城として明治維新まで使われますが、その後は建物は全て失われ、堀も埋め立てられて往時の姿を偲ぶことは出来ません。
 上写真の沼津城本丸跡の碑を囲んでいる石は、工事の際に発見された三枚橋城の石垣を再利用したものです。
(写真:裏辺金好)

○場所



○風景


沼津城の縄張
こちらは現在の地図と沼津城の重ね絵図。コンパクトな城でしたが、跡形もなく破壊されて中心市街地になっています。


三枚橋城外堀石垣
工事の際に発見された三枚橋城の石垣が、沼津リバーサイドホテル前に復元されています。

旧東海道 川廓通り
沼津城本丸南側に接した川廓町と旧東海道は往時の形状を残しています。

乗運寺
沼津城本丸跡から南西に歩くと、三枚橋城主松平康親、沼津城主水野忠友の菩提所である乗運寺があります。

↑ PAGE TOP