岩村城〜岐阜県恵那市岩村町〜
  Iwamura Castle

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▼アクセス
明智鉄道岩村駅より徒歩約10分

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ぎふ観光ガイド「岩村城」
 標高717メートルの山城・岩村城は日本三大山城の一つとして名高く、別名「霧ヶ城」とも呼ばれます。その起源は源頼朝の寵臣・加藤景廉が1195年(建久六年)に築城したことに始まります(諸説あり)。後に加藤氏は岩村城のある遠山荘にちなみ遠山氏を名乗り美濃国東部を治め、戦国時代には武田氏との交流を深める一方で織田氏とも縁戚関係を結びました。

 織田・武田の抗争が本格化すると美濃・信濃の国境にある岩村城の激しい争奪戦が行われ、最後は織田信忠が1575年(天正三年)に攻略。戦国後期の岩村城主は、女城主となった遠山景任の未亡人(織田信長の叔母)・秋山虎繁(武田信玄の将、景任未亡人と結婚)・川尻秀隆・森蘭丸・森長可(以上信長の家臣)に引き継がれたがそのいずれも非業の死を遂げています。

 江戸時代に岩村藩の成立に伴い現在の石塁を含む近世城郭が整備されましたが、城主は山麓の藩主邸に移ったため山上の本丸などは詰め城として扱われました。明治維新を経て廃城となり、平成二年に山麓の太鼓櫓などが復元されています。

(写真&解説:Kircheis様 禁転載)

岩村城には多数の櫓があったが天守閣はなく、ここにあった三重櫓が実質的に天守に相当した。


六段壁と呼ばれた石塁は江戸時代後期に積み直されたもの。
 長方形の石材を交互に組み合わせた「落とし積み」と呼ばれる技法が用いられている。


本丸跡


岩村城には17か所の井戸があった。霧ヶ井は城主専用の霊泉で、
敵襲に際し秘蔵の蛇骨を井戸に 投じると雲霧が城を覆い尽くしたという。

 岩村城下町