箕輪城〜群馬県高崎市箕郷町〜
  Minowa Castle

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▼アクセス
JR上越新幹線・高崎線高崎駅よりバス

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高崎市役所「箕輪城」
 戦国時代には武田信玄などと激闘を繰り広げ、武田家の上州進出を阻んだ長野業政の居城。
 息子の長野業盛の時代に武田信玄の攻撃を受けて落城し、武田氏配下の内藤昌豊(昌秀)、さらに武田氏滅亡後は北条氏の支配化に組み込まれ、北条氏が豊臣秀吉によって滅亡させられると、徳川家の重臣である井伊直政の居城となりました。現在の遺構は、この井伊直政の時代に改修を受けたものだそうです。

 しかし1598(慶長3)年に井伊直政は高崎城へ移り、箕輪城は廃城となりました。上写真は本丸跡の風景です。

(写真&解説:裏辺金好)

長野氏時代には大手門(表口)、井伊氏時代は裏口と役割を変えた搦手口。


二の丸跡。ちなみにここまで車で行くことができます。奥が本丸への道。


二の丸から外を眺めた風景。長野氏はここから武田の軍勢を見ながら、撃破する算段をしていたのでしょうか?


本丸と二の丸を隔てる深い堀。

本丸跡にある箕輪城跡の石碑。

本丸の奥にある御前曲輪。

旧下田邸書院及び庭園
 箕輪城とは関係の無いものですが、付近の高崎市役所箕輪支所(旧箕輪町役場)の南に接して、桃山時代の様式を模した旧下田邸書院と、後に赤穂藩に仕えて吉良上野介義士となる堀部安兵衛武庸が作庭したもので、堀部家の婿養子となる前、中山姓を名乗り剣術修行をしていた頃、先生の樋口十郎左衛門に従って年に1〜2回下田家に滞在することがありました。剣術を指南する傍ら、作庭も行っていたそうです。



いかにも古そうな土蔵も残っています。