多賀城 たが
所在地:宮城県多賀城市
交通・最寄駅:JR東北本線 国府多賀城駅


岩手県江刺市の「えさし藤原の郷」では、政庁を再現している。

左写真では8世紀頃を、上写真では10世紀頃をイメージ。

 前身は陸奥(むつ)鎮所で、律令国家の出先官庁として東北地方北部に居住する蝦夷にそなえるため722(養老6)年におかれたもの。
 今も多賀城外にある多賀城碑「壺の碑(つぼのいしぶみ)」の碑文によると、多賀城は724年に鎮守府将軍・大野東人(あずまひと)によって造られたとある(偽作説もあるが、信頼できると多くの学者は考えている)。
 802年に坂上田村麻呂が胆沢城(岩手県)を築城すると、軍事拠点としての役割を失い、国府としての役割のみを担当するようになる。その後、奥州藤原氏が東北の覇権を握ると、政治の中心は平泉へ。
 それでも源頼朝が奥州藤原史を滅ぼすに当たり、多賀城から号令を出し、また南北朝時代も多賀城を巡る攻防戦が発生。しかし、その後は朝廷勢力の弱体化により、忘れ去られていった。
 なお、多賀城の前には京都のような碁盤の目と大通りという、計画的な街作りがされていたことが明らかになりつつある。
(写真・本文:裏辺金好)