横須賀城〜静岡県掛川市横須賀〜
  Yokosuka Castle

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▼アクセス
JR東海道本線袋井駅よりバス

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掛川市観光協会
 徳川家康が大須賀康高に命じて築城させたもので、武田勝頼に奪われた高天神城を奪還する前線基地とするのが目的でした。大須賀康高の後は養子の大須賀忠政(康高の孫で榊原康政の長男)が城主となりますが、徳川家康の関東移封により上総国の久留里へ転出します。
 豊臣家の渡瀬繁詮(わたらせしげあき)、有馬豊氏(ありまとようじ)が城主となり、関が原の戦い後で東軍が勝利すると大須賀忠政が復帰しますが、その子である大須賀忠次は榊原家を相続したため、大須賀家は断絶。その後は松平重勝や井上正就など様々な大名家が城主となりますが、1682(天和2)年に西尾忠成が城主となってからは西尾氏が幕末まで領有しました。

(写真&解説:裏辺金好)

横須賀城復元模型
本丸に展示されている復元模型は、城の縄張りが良くわかります。

横須賀城復元模型
現在遺構が残っているのは大体この部分。ただし、三日月池から南側は宅地化されています。

天守台周辺


天守台
 横須賀城の天守閣は坪40坪、4層の天守閣があったといわれています。天守台の周囲には低い石垣があり、北側には防御のための土塁を造っているのが特徴です。近年の発掘調査に基づいて、礎石と建物を囲う縁石が復元されています。


本丸南東の高石垣
写真左手の石垣に囲まれた平地では玉砂利敷遺構が発掘されており、建物内の土間であると考えられています。

櫓門跡と櫓門前
横須賀城の石垣は天竜川から運ばれてきた丸い川原石で積まれているのが特徴です。

北の丸
 写真奥の高台が本丸跡。数棟の建物が建っていたと考えられ、武器庫があったといわれているほか、城主の側室が住んでいた時期もあったとか。


西の丸跡


三日月掘跡
 本丸南側の麓(ふもと)に残る三日月形の堀は、現在の横須賀城に残る唯一の堀。こうした形状の堀は、馬出虎口などに良く見られるものです。


米倉跡
写真奥が二の丸で現在は宅地化されて・・・と思いきや、かなり広々とした空間が。これから整備を行うのでしょうか。


大手門跡
 写真奥に行くと本丸ですが、大手門との間は住宅街になっています。


外堀跡
かつては宅地化されていましたが、現在はこのような空間に。これも整備が行われるのかもしれません。


国史跡横須賀城跡・指定区分図
 青い部分(C地区)のみ生活に必要な現状の変更が認められますが、赤い部分(A地区)は史跡整備のみ、黄色い部分(B地区)は史跡整備と、やむをえない場合を除き現状変更が認められません。やはり本格的な発掘と整備を行っていくみたいです。