龍岡城〜長野県佐久市〜


○解説

 龍岡城は幕末の激動期である1864(元治元)年末、三河奥殿藩(愛知県岡崎市奥殿町)の藩主で、信濃国佐久郡にも領地があった松平乗謨(のりかた)が藩庁移転と陣屋新築により築城したもので、1864(元治元)年に着工し、1867(慶応3)年に竣工しました。

 松平乗謨は幕府の陸軍奉行・陸軍総裁・老中格などの要職を歴任した人物で、洋学に詳しかったことから、フランスのヴォーバン元帥が考案したとされ、銃や大砲による死角を少なくした稜堡式築城法を採用。五稜郭と並んで日本に2つしかない星形の西洋式城郭ですが、堀は三稜堡をめぐるだけで、南西と西側二稜堡を囲む約270mは未完成です。

 1872(明治5)年の廃藩後に取り壊され、のちに尚友学校が移転。現在は市立田口小学校となっていますが、その特徴的な縄張り自体は、だいたいその姿をとどめています。

 なお、松平乗謨はのちに大給恒(おぎゅう ゆずる)と改名し、1877(明治10)年に佐野常民と共に日本赤十字社の前身である博愛社の設立に尽力しています。
(写真:リン ※特記を除く)

○場所



○風景


大手門跡 (撮影:裏辺金好)


大給恒 胸像 (撮影:裏辺金好)


堀は非常に狭く、城の敷地も狭いので実戦向きに造ったわけではないのかもしれません。
(撮影:裏辺金好)














御台所
龍岡城内に唯一残る建築ですが、本来あった場所とは別の場所にあります。(撮影:裏辺金好)

五稜郭公園
龍岡城に隣接する公園には、星型城郭をデザインした芝生広場や、夏場に水遊びができる遊水池、複合遊具や健康遊具などがあります。

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