中城城〜沖縄県中城村〜
  Nakagusuku Castle

▼MAP

▼アクセス
那覇より中城村までバス(那覇バスターミナル→中城小学校前バス停)。タクシー乗り換え。

▼関連サイト
中城村役場ホームページ「中城城跡」
 標高約160mの丘陵上に造られた中城(なかぐすく)城。その創建年代は不明ですが、1429年に琉球を統一した中山王・尚巴志の家臣である護佐丸によって、三の郭と北の郭が拡張され、琉球石灰岩の城壁と、6つの郭で構成される現在の姿となったようです。


 この護佐丸は、当時勢力を拡大していた勝連城主の阿麻和利に対抗するべく、座喜味城より派遣されましたが、なんと阿麻和利の計略によって、謀反の疑いをかけられ、あろうことか国王の尚泰久は阿麻和利に中城城を攻めさせ、護佐丸は抵抗することなく自害し、ここに中城城は陥落しました。


 これによって目的を達した阿麻和利は、いよいよ反乱をおこして首里城を攻めますが敗北。勝連城での戦いにも負けて斬首されました。しかし、忠臣「護佐丸」、逆賊「阿麻和利」は作られたイメージであるとの研究もあり、両者の実像はよく解っておりません。実は両者とも、琉球王朝にとっては警戒すべき勢力だったのかもしれませんね。


 さて、この後は琉球王朝が領有し、1611年からは番所として活用。1853年にアメリカのペリー艦隊が日本に来る前に琉球王国へ上陸したとき、探検隊を派遣して中城城を調査し、「日本遠征記」の中で「要塞の資材は石灰岩であり、その石造建築は賞讃すべき構造」と評価しています。

 そして、明治維新後に日本によって廃藩置県が行われた後は、中城村役場が置かれ、引き続いて地域の行政の中心地としての役割を担いますが、1945年の沖縄戦によって建物が焼失。ですが、石垣は良好な保存状態を保ち続け、2000年12月2日、「琉球王国のグスク及び関連遺産群」の1つとして世界遺産に登録されました。

(写真&解説:裏辺金好)

中城城全図
6つの郭から構成される中城城。駐車場とつながっているのは、図面西の裏門ですが、今回は正門から見て行きます。

カンジャーガマ(鍛冶屋跡)
鍛冶を行っていた場所と伝えられますが、城向けか集落向けかは定かではありません。


正門


正門


西の郭
120mの長さを持ち、兵馬の訓練を行っていたといわれています。




一の郭に向けて登っていきます。

南の郭
聖地である久高島への遥拝所として使われた霊域。


南の郭・首里遥拝所(しゅりうとぅし)

南の郭・久高遥拝所(くだかうとぅし)

南の郭から一の郭への城門

一の郭
  正殿がおかれた中城城で最も広い領域。中城城が落城した後、間切番所が建てられ、廃藩置県後は中城村役場が設置(なんと行くのに大変な役場!)。第2次世界大戦で焼失しました。


正殿跡発掘現場

正殿跡に建っていた中城村役場古写真

湾曲が美しい石垣

一の郭からの風景

一の郭全景

二の郭全景
二の郭は一の郭と共に布積みで造られた石積みが特徴。曲線の美しさは素晴らしいもの。


一の郭から二の郭への城門

二の郭から一の郭への城門を見る

三の郭全景
あいかた積み(亀甲乱れ積み)によって増築されたエリア。新城(ミーグスク)とも呼ばれます。

三の郭への入り口

裏門
ペリー一行がエジプト式と評したアーチ状の門です。


広場から三の郭城壁を見る

中城高原ホテル
 正門の先にある廃墟は、1975年の沖縄海洋博にあわせて着工されるも、企業の倒産によって建設が中断したままの中城高原ホテル。元々は何と、中城公園組合が中城城の一の郭に造ろうとしていたものが、論争を巻き起こし、このような位置となったもの。老朽化でこのような姿なのではなく、建設途中のままなので、こんな不思議な状態なんですね。ともあれ、今では完全な廃墟であり、近づくべきではありません。