躑躅ヶ崎館〜山梨県甲府市〜
  Tsutsujigasaki Castle
 躑躅ヶ崎館(武田氏館)は武田信玄の父・信虎が1519(永正16)年、武田氏代々の拠点である石和館(山梨県石和町)からこの地に館を築いて移った事に始まります。信虎は館の北方にある要害山を詰の城とし、城下町を整備し、地名を甲府(甲斐府中)と改め、これ以後、信玄、勝頼3代の約60年にわたって甲府と躑躅ヶ崎館は武田氏の拠点となりました。つまり、甲府が甲斐の国の中心になったのは、この時から。

 武田氏滅亡後、一時的に徳川家が甲府の拠点として活用し、整備が行われますが、甲府城築城のために長続きせず廃城となりました。そして1919(大正8)年、躑躅ヶ崎館の跡地へ武田神社が造られ、武田信玄が祀られるようになりました。

 上写真は武田神社への入り口、神橋と参道です。甲府駅北口から真っ直ぐ伸びる現在のメインルートですが、躑躅ヶ崎館があった頃とは異なるもので、南の石垣を崩し、正門を新たに造ったもの。往時は現在の武田神社東側に設けられた大手門が入口でした。
(撮影&解説:裏辺金好)

○場所

○風景


復元図
武田神社で掲示されている復元図。図面上側が現在の甲府駅方向。


復元模型
旧睦沢(むつざわ)学校校舎(甲府市藤村記念館)で展示されているもの。


惣堀・土塁

躑躅ヶ崎館東側には、堀と土塁がめぐらされ、防御力を高めました。
なお、この付近は大手門周辺ゾーンとして近年復元整備されたもの。



土橋

2か所ある躑躅ヶ崎館からの出入り口の1つが復元(復元模型では表現されていませんが・・・)。
奥が大手門跡です。



大手石塁

大手門を守るために、その前面に構築された防御用の石塁。写真手前は厩跡と考えられています。


大手門跡


大手門周辺ゾーン配置図

復元整備のおかげで、武田神社が戦国時代の館であったことが、より実感できるように。


武田神社社殿

かつてはこの辺りに武田信玄の主殿がありました。


水堀

躑躅ヶ崎館を取り囲んでいた水堀が現在も残っています。