佐土原城〜宮崎県宮崎市佐土原町〜
  Sadowara Castle in Miyazaki City , Miyazaki Prefecture

 佐土原は源頼朝によって日向の地頭に任命された工藤祐経が、一族を下向させて領有。後に工藤祐経は、曾我兄弟の敵討ちによって殺害され、祐経の子である祐時が、伊東氏を名乗ります。
 *余談ですが、曾我兄弟は、所領を争っていた一族の伊東祐親(娘が源頼朝の子を生んだことに驚き、これを殺害したことで有名)の孫。遺恨が長く続いていたわけですね。

 しかし1577(天正5)年、伊東義祐は島津家に敗北して佐土原城を失います。関ヶ原の戦い後に一時幕府領となった後、1603(慶長8)年に島津以久に与えられ、佐土原藩が成立。以後、薩摩藩の島津氏一門の藩として明治になるまで栄えました。

 なお、佐土原城は1869(明治2)年に新たに建造を開始した広瀬城に本拠を移すにあたって壊され、山麓の居館部分は田畑となってしまいます。その広瀬城も、廃藩置県によって佐土原藩が無くなったことにより、未完のまま終わりました。

 また伊東氏は後に羽柴秀吉に臣従し、旧領の飫肥(おび)などを回復。関ヶ原の戦いでは東軍につき、江戸時代は飫肥藩主として明治維新を迎えました。
(撮影・解説:裏辺金好)
 ▼MAP

 ▼アクセス
 JR日豊本線宮崎駅よりバス(佐土原駅からも付近へのバスあり)


○風景


鶴松館
 佐土原城の麓にあった二の丸御殿を推定復元したもの。絵図がないため、発掘成果を元に規模等を推定しています。


佐土原城本丸への道
 続いて山麓に建てられた鶴松館の横から、山城部分へ登城してみます。
 早速、深い切り通しのようなところに出ます。わざとこのような形状になっているそうで、中世の山城らしい防御機能を追求した雰囲気です。




南の城エリア

本丸
 広い空間が残っているだけですが、ところどころに木の切り株がありまして、整備された様子が伺えます。


天守台跡
 一部には石垣が残っていますが、これは発掘調査の結果、天守台の跡と推定されています。ただ、いつの時代のものかは不明とのこと。


佐土原城遠景

学習館跡
 鶴松館と道路を隔ててほぼ向かい側、現在の佐土原小学校が、江戸時代は藩校である学習館でした。

外堀
 佐土原小学校の脇を流れる小川は、かつての佐土原城外堀。

追手門跡
 ここまでが城の範囲で(奥が佐土原城二の丸や山城部分)、ここから手前が町人たちの町でした。
少し見ていきましょう。

旧坂本家(阪本家)住宅
 かつては醤油や味噌の醸造と販売を行っていた家で、この建物は1905(明治38)年の建築。老朽化で取り壊されるところを、惜しむ声が広がり、御当主が佐土原町(現・宮崎市)に寄付を行い、商家資料館として使われています。


佐土原人形
坂本家住宅にて。穏和で、非常に暖かみがある雰囲気が佐土原人形の特徴。

雛人形
一般的な雛人形と。

坂本家住宅にて
2階では昔の道具をいろいろ展示しています。