韮山城 〜静岡県伊豆の国市(旧韮山町)〜


○解説

 韮山城の創建年代は不明ですが、1491(延徳5)年に堀越公方(ほりごえくぼう)の足利茶々丸を滅ぼした伊勢新九郎盛時(北条早雲)が本拠地として整備し、ここを拠点に伊豆地方を制圧。さらに相模へも進出し、後に北条氏の本拠となる小田原城を領有しますが、伊勢新九郎盛時は終生、韮山城を本拠とし、ここで没しました。

 その後も韮山城は交通の要所として重要視され、永禄年間には北条氏康の四男である北条氏規が城主となり、1569(永禄12)年の武田信玄による伊豆侵攻を撃退。さらに1580(天正18)年の豊臣秀吉による小田原征伐の際には豊臣秀次率いる約4万の軍勢を相手に、寡兵で約100日間抵抗。最終的に徳川家康の説得により開城し、徳川家康の家臣である内藤信成が入封しますが、1601(慶長11)年に駿府城に転封され、廃城となりました。

 現在、敷地の大半は韮山代官を代々務めた江川家が所有しています。また、1枚目の城池や韮山中学校の敷地は当時は沼地が広がっていたほか、北側の韮山高校敷地は御座敷、大手などの小字名(地名)が残っていることから、城主などが住んでいたとも考えられています。
(撮影・解説:裏辺金好)

○場所



○風景


韮山城復元模型





権現曲輪
現在は熊野神社が鎮座しています。




二の丸


本丸


韮山城からの風景(南側)
源頼朝が過ごした蛭ヶ島方向を見た風景。


豊臣軍が韮山城を侵攻した際、太閤陣場陣城、本立寺陣城(ほんりゅうじじん)、追越山陣城(おっこしやまじん)、上山田陣城、昌渓院陣城が韮山城の東側に築城されました。

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