烏山城〜栃木県那須烏山市〜


○解説

 烏山城は室町時代から戦国時代にかけて那須家、さらに江戸時代は烏山藩の政庁として様々な大名が城主を務めた城。標高202mの八高山に築かれ、五城三廓(古本丸、本丸、中城、西城、北城、常盤曲輪、若狭曲輪、大野曲輪)と呼ばれる廓を配しています。さらに、1659(万治2)年に烏山藩主の堀親昌によって、東山麓に藩主の居館を置く三の丸が築かれました。

 15世紀前半に那須資之(兄)と那須資重(弟)の兄弟争いによって、那須家は上那須家と下那須家に分裂。烏山城は、下那須家初代の那須資重によって1418(応永25)年に築城されたものです。1514(永正11)年に上那須家が滅亡すると、烏山城は統一された那須家の本拠として使われます。

 江戸時代は成田氏・松下氏・堀氏・板倉氏を経て、1681(元和元)年にる那須資祗が2万石で旧領に復帰。しかし、1687(貞享4)年にお家騒動によって那須家は改易。永井氏・稲垣氏を経て、1725(享保10)年に大久保常春が入封すると明治維新まで大久保氏の領有するところとなりました。

 明治5年に三の丸の居館が大雪で崩壊し、明治6年に本丸周辺の建物が火災で焼失してしまいましたが、山頂にある本丸周辺と、山麓の三の丸周辺に石垣が残るほか、全体的に空堀が旧状をよくとどめています。また、市内の民家に搦手門である神長門が移築されています。
(撮影&解説:裏辺金好)

○場所



○風景


全景


縄張り
まずは図面下、毘沙門山から登っていきます。烏山城と直接の関係はないようですが・・・。






毘沙門山からの眺め。


烏山防空監視哨
昭和16年以降の建築。防空監視隊令に基づき造られたもので、戦争遺構として貴重なものです。本来はこの上に屋根がありました。


常盤橋(車橋)跡
毘沙門山からのルートと三の丸からのルートがここで合流。烏山城の中心に入っていきます。



常盤門跡


常盤曲輪(江戸時代は二の丸)に残る石垣
烏山城跡の見どころの1つ。そもそも関東の城郭で石垣が立派に構築されているのは珍しい例です。

吹抜門跡



正門跡

正門跡周辺の石垣




空堀跡


本丸跡
那須家時代は二の丸。



古本丸跡



十二曲登城道
鋭角に何度も曲がりながら登城するルート。結構しんどいです。



三の丸跡と寿亀山神社

山あげ会館
烏山駅から城跡へ行く途中の見どころを2つ。こちらは、国指定重要無形民俗文化財「烏山の山あげ行事」と八雲神社の神輿などで構成される那須烏山市最大のお祭り「山あげ」を展示紹介する施設。

清酒「東力士」(島崎酒造)
1849(嘉永2)年に島崎彦兵衛が創業。清酒「東力士」を醸造しています。ちなみに2代目の島崎熊吉が無類の相撲好きであったことから名づけられたとか。

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