| 応永年間(1394〜1427年)に、地元の豪族・鶴見氏が築城したのが起源。1469(文明元)年、駿河国を支配する大名・今川義忠が、家臣の朝比奈泰煕(あさひな やすひろ)に本格的に築城させたのが、今の掛川城の前身である。
その後、今川氏は徳川家によって滅ぼされ、泰煕から3代後の泰朝も城を明け渡し、掛川城は徳川家の重臣・石川家成の手に渡った。
その徳川家康も、豊臣秀吉によって江戸・関東へ。かわって、妻の内助の功で有名な山内一豊が入城。今の掛川城と街を整備した。関ヶ原の合戦以降、山内一豊は加増され、高知へ転封され、徳川家譜代の家臣が次々と配置・転封され 最終的には、1746年、江戸城を築城した太田道灌の子孫・太田資俊(すけとし)が入城すると、以後は明治維新まで7代続くことになった。
天守閣は失われたが、本丸御殿だけ残るという状況が長らく続いた後、平成に入ってから市民の老婆が「何かに使ってくれ」と1億円を寄付。掛川城天守閣を木造で再現することになり、さらに数億の寄付と、その他の市民からの寄付など、まさに市民の力で天守閣を復元した。
ただ、専門家が詳細に検討したとはいえ、推測による再現が多く、必ずしも当時の姿を再現したかと言われると、疑問を呈せざるを得ない。しかし、日本で初めて木造で天守閣を再建した意義は大きい。
(写真・本文:裏辺金好) |