明石城〜兵庫県明石市〜


○解説

 1617(元和3)年に信濃松本から明石に移封された小笠原忠真のために、幕府の命令で忠真の義父である姫路城主・本多忠政の監督で築城され、1620(元和6)年に一応の完成をみます。天守台はありますが、天守閣は造られず、城の四隅に三重の櫓が置かれました。
 1632(寛永9)年に小笠原忠真は豊前小倉へ移封となり、松平家や大久保家などの様々な譜代大名が入城しますが、1682(元和2)年に 越前大野から松平直明が6万石で入城すると、以後は明治維新まで越前松平家が領有します。
 明治維新後は、公園となり一部の櫓や土塀が取り壊される一方で、巽櫓、坤櫓は大規模な補強工事を実施。その甲斐あって、阪神大震災で大きな被害を受けた時、石垣は崩れますが、2つの櫓(巽櫓、坤櫓)は壊れることなく存続しました(その後、石垣はその後復旧)。
 なお、巽(たつみ)櫓は明石城が出来る前にこの地域にあった船上城の、坤(ひつじざる)櫓は伏見城の遺構といわれています。
(写真&解説:裏辺金好)

○場所



○風景






巽櫓 【国指定重要文化財】
江戸時代前期築。明石城築城時からの建築で、船上城からの移築と云われています。



坤櫓 【国指定重要文化財】
江戸時代前期築。伏見城からの移築と云われています。







旧織田家長屋門 【明石市指定文化財】
江戸時代初期の建築ですが、元々は船上城の城門を移築したものとか。明石藩の織田家は織田信長の従兄弟(織田信清)にはじまる一族で、代々明石藩の家老を務めました。

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