1597(慶長2)年、豊臣五大老の一人・宇喜多秀家が岡山という丘に築城。天守閣は三重六階で、織田信長の安土城天主閣を模して築かれたと伝えられている。ちなみに「岡山」の地名もこの時に城下町に付けられた。
また、全国的にも珍しい不等辺五角形の天守台であり、関ヶ原の戦い前の天守閣の様式を伝える物として貴重な存在。
また黒い下見板張りの外観から別名「烏城(うじょう」)と呼ばれ、金の鯱を挙げていたといい「金烏城」の名もある。
関ヶ原の戦いの後、小早川秀秋が入城し城と城下町を大きく整備。しかし、1年後に改易となり池田家が明治維新まで領有することになった。その中には名君として名高い池田光政がいる。
明治維新後、5重の堀を擁した城の規模は大きく縮小されるが天守閣は引き続き残り国宝に指定された。しかし太平洋戦争での空襲で焼失。しかし戦後、復元が行われ昭和41年に天守閣、不明門などが鉄筋コンクリート造りで再建された。また、月見櫓は戦火を免れ現存し、重要文化財に指定されている。
(写真・本文:裏辺金好)