|
関ヶ原の戦いで敗北し、領地を削減された毛利家の一族、岩国藩・吉川氏の居城として築城。平地に城を築くのが主流となる中で、吉川広家は横山と呼ばれる要害の地に築城した。1603年に工事がはじまり、1613年に完成。山頂には三層四階の立派な天守閣がそびえたった。ところが、1615年、江戸幕府が一国一城令が出し、一つの藩(大名)に一つしか城を置いてはならぬとの命令が下った。
しかし岩国藩については準大名的な取り扱いだったため、幕府も岩国城取り壊しを命じなかったのだが、長州藩の毛利家の本家は、岩国藩はあくまで長州藩の一部であるとし、だから一国一城令によって取り壊せ、とした。こうして完成して早速、岩国城は壊され、以後岩国藩の政治は、山の麓のみで行わた。
それから時は流れ、1957(昭和32年)に岩国城の天守閣を復興することになった。この時、名勝である錦帯橋との組み合わせを良くするために、本来あった場所よりも錦帯橋よりに少しだけ移動し、そこに天守閣を造った。これが、今私がちが見る岩国城天守閣。天守からは、岩国城かを一望でき、岩国の城下町の雰囲気を見ることが出来るが、なんだか腑に落ちない復興天守閣である。
(写真・本文:裏辺金好) |