鹿児島城(鶴丸城)と周辺の近代建築〜鹿児島県鹿児島市〜


○解説

 鹿児島城(別名「鶴丸城」)は、関ヶ原の戦い後の1601(慶長6)年に、薩摩藩初代藩主となる島津家久(忠恒)が築城したもので、背後の城山に本丸・二の丸を置き、麓に藩主の館として三方を堀で囲んだ屋形を置いた平山城でした。なお、江戸時代の後期になると、麓の屋形を本丸、二の丸と呼ばれるようになります。

 天守など高層建築や、高石垣は造られない、非常にシンプルな構造であるのが特徴で、これは江戸幕府への恭順の意味のほか、領内各地に置いた外城による数々の防衛ラインが鹿児島城時代の堅固な守りを不要にしたと考えられます。

 1877(明治10)年の西南戦争では、城山に西郷隆盛が立て籠もり、最期を迎えるなど激戦の舞台となりました。また、それに先立つ1874(明治7)年には大火で全焼し、長らく本丸の堀と石垣、石橋を残すのみでしたが、2020(令和2)年に本丸の大手門である御楼門が、古写真などを参考に復元されました。御楼門は二重二階で約20mの高さを持つ、日本でも最大級の城門です。また、現在の本丸には鹿児島県歴史・美術センター 黎明館が建っています。

 このページでは鹿児島城のほか、周辺にある鹿児島市内中心部の近代建築についても紹介していきます。
(写真:ひょん君=御楼門、それ以外=裏辺金好)

○場所



○風景


往時の本丸東側の姿


御楼門
下階の右側に番所を突き出した珍しい形です。また、写真右手には兵具所多聞(櫓)がありました。


復元前の様子



御楼門(背面)


御厩跡(私学校跡)石塀
本丸の北に位置する御厩跡。1874(明治7)年に、鹿児島へ戻った西郷隆盛を追って東京から帰郷した青年たちを教育するため私学校が設けられました。西南戦争で私学校は焼失し、石塀には当時の弾痕が残ります。


西郷隆盛像
鹿児島城近くに建つ西郷隆盛像。自身の最期の地である、城山をバックにしています。


武家屋敷(二つ屋)
鹿児島市維新ふるさと館前に復元されたもので、鹿児島城から少し離れ、若き日の西郷隆盛や大久保利通など、下級武士の居住地であった下加治町の武家屋敷の一例です。屋根は2つでありながら、部屋が一続きとなっており、座敷を中心に格式を重んじる「おもて」と、台所など日常生活の「なかえ」が樋の間でつながっています。


大久保利通像
武家屋敷(二つ家)近く、高見橋に建つ大久保利通像。かつて自らが生まれた場所を見下ろしています。



旧・鹿児島県庁(現・県政記念館) 【国登録有形文化財】
1925(大正14)年築。設計:曽禰中條建築事務所
鹿児島城の斜め向かい側に建つ、鹿児島で初の本格的鉄筋コンクリート造で3階建て。ネオ・ネサンス様式で、玄関車寄のトスカナ式の双柱に2階のイオニア式の柱を重ねています。1996(平成8)年に鹿児島県庁移転に伴い役目を終え、正面玄関と中央階段部のみ保存されています。

旧・鹿児島県庁(現・県政記念館) 【国登録有形文化財】
建築当初の姿。もう少し広い建築面積では残せませんでしたか…。

鹿児島市役所 【国登録有形文化財】
1937(昭和12)年築。設計:曽禰中條建築事務所
鹿児島城の斜め向かい側に建つ、鹿児島で初の本格的鉄筋コンクリート造で3階建て。ネオ・ネサンス様式で、玄関車寄のトスカナ式の双柱に2階のイオニア式の柱を重ねています。1996(平成8)年に鹿児島県庁移転に伴い役目を終え、正面玄関と中央階段部のみ保存されています。

旧・県立興業館(のち鹿児島県立博物館考古資料館) 【国登録有形文化財】
1883(明治16)年築。
鹿児島県内では尚古集成館に次いで古い建築で、溶結凝灰岩による石造りです。鹿児島市役所仮事務所、物産陳列場、県商工奨励館などに活用されたのち、1953(昭和28)年から1980(昭和55)年まで鹿児島県立博物館本館、2012(平成14)年まで鹿児島県立博物館考古資料館として使用されました。

旧・鹿児島市公会堂(現・鹿児島市中央公民館) 【国登録有形文化財】
1927(昭和2)年築。設計:片岡安
建物周囲にドライエリアを設け、ラーメン構造のRC造で地下1階地上3階建て。

旧・鹿児島県立図書館(現・鹿児島県立博物館) 【国登録有形文化財】
1927(昭和2)年築。設計:岩下松雄(鹿児島県建築課)
丸くした隅部に正面玄関を配し、階段室や塔屋に曲面を用いているのが特徴です。

鹿児島県教育会館
1931(昭和6)年築。

旧・鹿児島無尽鹿児島支店(現・南日本銀行本店) 【国登録有形文化財】
1937(昭和12)年築。設計:三上昇(鹿児島県技師)
南日本銀行の前身である鹿児島無尽の鹿児島支店として建築されたもので、もともとは4階建て(一部6階建て)。1967(昭和42)年に写真左側に8階部分まで増築されています。1階から〜3階は、ルネサンス様式とゼツェッション様式との混合様式であるのが特徴です。

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大正時代の建築

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