湯築城〜愛媛県松山市〜 
  Yuzuki Castle

 湯築城は、平安末期より風早郡河野郷(現・愛媛県北条市)を本拠とした名族・河野家の河野通盛が南北朝時代に本拠を道後(現・松山市)に移したことにより造られた城です。元々は丘陵部を利用した山城でしたが、16世紀前半に外堀と、外堀土塁を整備し、2重の堀と土塁を巡らせた平山城的なものになりました。

 約250年にわたり河野家の本拠として活躍するも、戦国時代には一族の内紛などで没落。河野通直の時、豊臣秀吉の四国攻めにより侵攻してきた小早川隆景に降伏し、湯築城は廃城になります。江戸時代、この地方の中心は、松山城が担いました。

 名湯・道後温泉の近くにあり、現在は市民に道後公園として親しまれる一方、近年発掘調査が本格的に行われ、調査結果を基に、16世紀中ごろの家臣の住居が2棟復元され、うち1棟は、内部の間取りも復元されているほか、土塁展示室で土塁の内部を見学することが出来ます。なお、調査は全体の3分の1程度が終わった段階であるため、河野氏館跡の位置など、不明な点は多く残っています。
(写真&解説:裏辺金好)
 ▼MAP
▼アクセス
最寄駅:伊予鉄道市内線 道後公園電停

▼関連サイト

道後公園「湯築城跡」

風景

現在の道後公園(湯築城跡)全体模型

外堀

復元された武家屋敷

武家屋敷の内部


内堀

排水路
発掘調査を元に復元されたもの。