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この地に城(砦)が造られたのは、941(天慶4)年の藤原純友の乱の時、宇和地方の警固使・橘遠保によるものが始まりといわれている。その後、西園寺氏が長らく支配した後、豊臣秀吉の四国攻めによって宇和島城は小早川隆景のものとなった。
その後、豊臣秀吉は築城の名手・藤堂高虎を入封させ、この時に現在の宇和島城が築城された。また、高虎は地名の高串を宇和島と改めた。
高虎が移封された後、富田信高(→改易)、幕府の直轄を経て、1615(元和元)年、東北の名将伊達政宗の長男・伊達秀宗が10万石で入城し、宇和島藩伊達家として明治維新を迎える。また、2代目の宗利の時、天守以下城郭の大修理を行い今に至っている。
別名は鶴島城。現存する天守閣は江戸時代初期の物として非常に貴重であり重要文化財となっている。
(写真・本文:裏辺金好) |