高知城〜高知県高知市〜


○解説

 高知城の起源は、詳細不明ながら南北朝時代に大高坂城が築城されており、戦国時代には長宗我部元親が再構築していたと考えられています。そして、関ヶ原の戦いの功で土佐24万石を得て入城した山内一豊は、当初は浦戸城へ入城しますが、百々安行を総奉行に同地へ築城。旧領主であった長宗我部氏の遺臣に手を焼いた一豊は、その場所へ、自らの力を示す意味合いも込めて築城したとか。ちなみに、この遺臣達は「郷士」という独特の身分に組み込まれていき、幕末まで対立を残したことは有名です。
 城は1603(慶長8)年に本丸と二の丸が完成。地名の方は、一豊が河中(こうち)と改称しますが、2代藩主の忠義は高智と改名。いつしか高知となり、現在に至っています。
 1727(享保12)年に城下町の大火で、追手門を残し天守閣以下大半の建物を焼失。幕府の許可を得て再建に着手し、1753(宝暦3)年まで、約24年をかけて全ての建物が復興されます。創建時の姿をよく再現したと言われ、さらにその創建時の天守閣は、山内一豊の旧領だった掛川城の天守閣を模しているとか。そのため、平成になって再建された掛川城の天守閣は高知城をベースにしています。
 激動の幕末の大舞台の1つであり、1874(明治7)年より高知公園として一般に開放。現在も数多くの建物が残り、特に城の基本構成である天守閣・書院・櫓・門などが完全に残っているのは全国でもここだけ。 上写真は天守と東多聞で、国指定重要文化財です。
(上写真撮影:裏辺金好 その他撮影:リン ※特記を除く)

○場所



○風景



高知城復元模型


追手門と天守閣 (撮影:裏辺金好)

追手門 【国指定重要文化財】
高知城の表門で、背後の天守閣との組み合わせは絶景。1727(享保12)年の大火では焼失を免れましたが、1801(享和元)年に建替えられました。矢狭間塀も国指定重要文化財です。 (撮影:裏辺金好)

山内一豊の像
追手門そばに立つ藩祖である山内一豊の像。甲冑をつけ、いざ出陣! (撮影:デューク)

千代の像
一豊の「優秀な」妻としてあまりにも有名な千代の像。こちらは城内に立っており、夫を見送っているようです。隣には、一豊に買ってあげた名馬が。(撮影:裏辺金好)

板垣退助の像 (撮影:裏辺金好)

石樋
雨が多い高知の工夫で、三の丸に降った雨水を集めて2か所の石樋から排水し、石垣内部に泥水が入り目詰まりによるゆるみが生じないよう設計されています。(撮影:裏辺金好)


(撮影:裏辺金好)


詰門・廊下門 【国指定重要文化財】
詰門は1802(享和2)年築で、本丸と二の丸をつなぐ役目を果たす櫓門。2階が家老・中老などの詰所として用いられたことから、この名称で呼ばれます。1階は籠城用の塩を貯蔵する塩蔵になっています。さらに2階で接続する廊下門は1801〜1803年(享和年間)築で、本丸より一段低い地下門です。
(撮影:裏辺金好)


詰門・廊下門 【国指定重要文化財】
こちらは内部の様子。


天守と本丸御殿(懐徳館) 【国指定重要文化財】
1747(延享4)年頃築。天守閣に本丸御殿が接続している古い形式で造られています。なお、本丸御殿は藩主の居室的な役割を持っていましたが、特別な儀式以外では使わなかったようです。高知県に移管後、懐徳館の名称で呼ばれています。

本丸御殿(懐徳館) 【国指定重要文化財】
まずは入口から。


駕籠と山内家の家紋


御茶所
茶をたてる座敷で、炉が切り取られ、茶湯棚が設けられています。ここから座敷へ茶を運びました。



上段ノ間と二ノ間

上段ノ間
写真左側が納戸構えで、扉の内部は武者隠しになっているのが特徴。


天守閣
まずは1階の様子から。


石落とし





天守閣最上階



東多聞 【国指定重要文化財】
こちらも展示室として使われています。




黒鉄門(くろがねもん) 【国指定重要文化財】
1730(享保15)年築。矢狭間塀も国指定重要文化財です。

旧山内家下屋敷長屋 【国指定重要文化財】
1864(元治元)年頃築。土佐藩第16代藩主・山内豊範により建てられたもので、のちに元藩主の山内容堂が下屋敷とした際、下屋敷で警固番を勤めた足軽の詰所として使われました。桁行33.4mで、内部はほぼ六室に仕切られてます。


高知市立龍馬の生まれたまち記念館
坂本龍馬が生まれ育った高知市上町に開館したもので、龍馬が土佐藩を脱藩するまでの少年,青年時代のエピソードを映像や音声で紹介するほか、ジオラマなどで上町の様子も紹介しています。

坂本龍馬誕生地

武市瑞山先生殉節之地

寺田寅彦記念館
「天災は忘れた頃にやってくる(天災は忘れられたる頃来る)」という言葉で有名な物理学者で文学者、寺田寅彦(1878〜1935年)が4歳から19歳まで過ごした邸宅を復元したもの。

↑ PAGE TOP