松江城〜島根県松江市(1)〜
  Matsue Castle

▼MAP

▼アクセス
JR山陰本線松江駅よりバス
一畑電鉄松江しんじ湖温泉駅よりバス

▼関連サイト
NPO法人 松江ツーリズム研究会
松江市役所「松江城」
 松江城は関ヶ原の戦い後に出雲・隠岐24万石で移封された堀尾義晴が築城したもの。鎌倉時代より出雲の中心であった月山富田城に代わり、陸水双方の交通の要所である松江に白羽の矢を立てたものです。
 その松江の中でも、適度な高さを持つ山であった亀田山に築城された松江城は、1611(慶長16)年に完成。そして、堀尾氏が3代で嗣子無く断絶した後、京極忠高、松平直政と城主が代わり、以後は松平氏の治世下で明治維新を迎えています。
 明治維新後、政府機関である広島鎮台は松江城の払下げを決定。破却の危機にさらされましたが、旧藩士の高木権八らが天守閣を落札し、今に残ることになりました。城下に残る武家屋敷群と共に、江戸時代の面影を伝える松江観光の中心的な存在です。

(写真&解説:裏辺金好)

天守閣と南櫓など
 平成13年に復元された二の丸南櫓(写真中央より左)。同時に中櫓、太鼓櫓及び間を結ぶ土塀も復元されました。

中櫓(左)・太鼓櫓(右)

松江城天守閣 【国指定重要文化財】
 1607(慶長12)年から足掛け5年をかけて建造された、どっしりとした印象の天守閣。山陰地方で唯一江戸時代から現存する天守閣で、二重櫓の上に三階建ての櫓を載せた望楼型となっているのが特徴。また、天守閣から攻撃することを想定し、様々な場所から弓や鉄砲で攻撃可能。さらに、天守内部に井戸や便所を設置し、籠城戦を考慮しています。


江戸時代(嘉永年間)の松江城復元模型


昭和51年の松江城周辺模型

興雲閣 【島根県指定文化財】
 1903(明治36)年築の、木造2階建ての疑洋風建築。明治天皇の山陰行幸を求める動きが広がる中、天皇陛下の宿泊滞在施設として企画されたもの。日露戦争勃発に伴い、明治天皇の行幸は実現しませんでしたが、1907(明治40)年に後の大正天皇である嘉仁親王が利用。戦後は松江市教育委員会庁舎として使われた後、1973(昭和48)年より松江郷土館として使用されています。
 1階、2階共に配された列柱廊を設けて回廊をめぐらしているのが特徴。ポーチ上の部屋は応接室です。


松江神社拝殿
 興雲閣の隣にある神社で、拝殿は1661(寛文元)年築の権現造。松江神社は、1628(寛永5)年朝酌村西尾(現、松江市西尾町)に堀尾忠晴公を祀るために創建された東照宮と、1877(明治10)年に旧松江藩の人々により、川津村(現、松江市西川津町)楽山に松平直政公を御祭神として創建された楽山神社を、1899(明治32)年に合祀して、現在地に遷座したもの。松江神社の名前もこのときにつけられたものです。建物は、東照宮時代のものと思われます。


松江神社本殿

本殿は1628(寛永5)年築。



松江神社手水舎

1639(寛永16)年築。東照宮にあったものを、移築したものです。



松江城天守閣 地階


松江城天守閣 1階


松江城天守閣 2階


松江城天守閣 3階

松江城天守閣 4階

松江城天守閣 最上階

○松江城雪景色 (撮影:デューク)