4.戦災からの復興と新幹線誕生

 1945年8月15日、長く苦しかった戦争は終わりましたが、鉄道が受けたダメージは深刻なものでした。駅も、線路も、車両も多くが失われ、復興作業が進められます。特に、原爆が落ちた広島市では、なんと被爆から3日目に路面電車の運行が再開されるなど、鉄道にかける人々の情熱には並大抵のものではありませんでした。そして、終戦直後は、国鉄も私鉄も同タイプの電車を急増することでコストダウンをはかり必要な車両の数を揃えます。
 次いで、ついに特急用車両にも電車が投入されることになります。それが、国鉄151系(当初はモハ20系)による特急「こだま」で、1958(昭和33)年11月1日より東京〜大阪で運転を開始。大幅なスピードアップを果たし、鉄道が新たな時代に入ったことを象徴しました。
 しかし、鉄道の発展はこれだけにとどまりませんでした。
 戦前の計画にあった弾丸列車を新幹線として走らせようと島秀雄さん達が立ち上がります。最初は「鉄道はもう時代遅れである」と関係各位から一笑されましたが、ねばり強く交渉と実験を続け、1964(昭和39)年10月1日、「世界のSHINKANSEN」東海道新幹線(東京〜新大阪)が誕生。超特急「ひかり」は大盛況で、新幹線懐疑論者は大きく恥じる結果となりました。
 なお、世界で初めて時速200キロをこえる高速の新幹線は、東京〜新大阪間を「ひかり」で4時間、「こだま」で5時間で結びました。これはヨーロッパにも大きな影響を与え、鉄道輸送が見直され、高速鉄道が建設されていくことになります。
(写真は、151系の先頭車。交通科学博物館にて)
国鉄0系新幹線
 現在も山陽新幹線で活躍する0系。その最初の車両は、交通科学博物館で保存。ちなみ新幹線は、在来線より広い幅の線路を走ります。
(交通科学博物館)
ED17 1電気機関車(左) クモハ40形電車(右)
 戦前から戦後直ぐにかけては茶色い電車が主流でしたが、まもなく下のような車両に取って代わられます。ただし、地方線区に転属し、色を塗りかえ、長らく活躍を続けた車両もあります。
国鉄80系電車
 一般型の茶色は茶色が主流であった中、1949(昭和24)年に東海道本線に投入された80系は、のちに湘南色と呼ばれるようになる明るい塗装で登場。現在のステンレス車両にも、ラインカラーとして採用されています。
(写真:飯田線 中部天竜駅
            /撮影:1980年代国鉄撮影日記
国鉄101系電車
 1957(昭和31)年、モハ90系として登場。
 国鉄初の新性能通勤型電車で、1959年の形式称号規定改正により101系を名乗るように。茶色い通勤電車が主流の中では異色の存在で、これ以後首都圏、関西圏に投入された101系と103系は、路線ごとに様々な色に塗られるようになります。なお101系は現在、秩父鉄道で活躍しています。
(写真:東京総合車両センター)
国鉄キハ80系
 1960(昭和35)年に登場した、日本最初のディーゼル特急。当初投入された先頭車両は、151系と同じくボンネット型。特異な形態から「ブルドッグ」とも呼ばれました。
(写真:交通科学博物館)
国鉄20系寝台客車
 1958(昭和33)年に特急「あさかぜ」で運転を開始した寝台客車20系。帯部分を除き青一色に塗られた車体は大きな反響を呼び、「ブルートレイン」の愛称が誕生。さらに設備の優秀さから「走るホテル」と呼ばれました。
(写真:鎌倉総合車両センター/撮影:もこてん)
伊予鉄道600系
 この頃は地方鉄道でもオリジナル車両を製造。伊予鉄道600系は1958(昭和23)年に製造された車両で、1995年まで活躍しました。
(写真:松山市駅/撮影:幻海さん 禁転載)
江ノ島電鉄300形
 戦前に製造された色々な車両を1960年前後に改造した江ノ島電鉄300形。真ん中の編成は2005年に、右の編成は2007年に引退し、一番左の編成のみ、現在でも活躍しています。
(極楽寺車庫/撮影:もこてん)