2010年1月1日 初詣は文京区の護国寺へ

○1月1日(金)


 新年のこの日、新宿駅にて189系彩野編成による特急「きぬがわ」を撮影。もしかすると、初めての撮影かも。なかなか幸先の良いスタートです。

 まず訪問した場所は文京区にある椿山荘(ちんざんそう)というホテル。元々は明治の元勲である山縣有朋が1878(明治11)年、南北朝時代の頃より「つばきやま」と呼ばれていた椿の名所である上総久留里藩黒田豊前守の下屋敷を購入し、「椿山荘」と命名したことに始まります。山縣有朋は明治天皇を始め、政財界の重鎮を招いた会議をここで催し、1918(大正7)年に藤田組の二代目当主である藤田平太郎男爵に所有が移りました。

 写真の三重塔は、広島県加茂郡入野の山上伽藍、篁山竹林寺(たかむらさんちくりんじ)の三重塔を1925(大正14)年に移築したもの。室町時代後期の建築と推定され、荒廃していたものを藤田平太郎が惜しんで保存したもので、幸いにも戦災でも残り、今に伝えられていることは非常に嬉しい限り。都内でも有数の文化財です。

 庭園は真冬に付き寂しい状態ですが、春や秋には特に美しい風景となることでしょう。

 椿山荘で食事をした後、向かい側にある東京カテドラル聖マリア大聖堂へ。建築好きならピンと来ると思いますが、丹下健三氏の設計で、1964(昭和39)年に完成しました。同時期に完成した代々木体育館と良く似ていますね。ちなみにカテドラとは、司教や大司教が導き、司式するための“着座椅子”のギリシャ語のことだそうです。

 見る角度によって色々と表情が変わるのが特徴的で、非常に雄大かつ優美な姿で凄くいい。末永く使用をしてもらいたいものです。そのうち文化財に登録されるかもしれませんね。

 それから護国寺に向かって歩き出すと、なにやら古い建築が・・・。東京大学総合教育研究施設というものらしいのですが、建築の詳細については不明。見るからに戦前の建築っぽいのですが。

 こちらは講談社旧本館。 1933(昭和8)年に曾禰中條建築事務所の設計で建築されたものです。

 さて、初詣として護国寺に到着。

 太目を右に転じると古い門が見えたので行ってみると、護国寺が徳川綱吉によって建立された元禄時代からの惣門がありました。形式は寺の門ではなくて、大名屋敷の5万石相当のデザインらしく、現存する大名屋敷の門が江戸時代後期の建立であることを考えると、特に貴重な文化財だそうです。

 その隣の門も、まるで御所の門のような雰囲気でした。詳細は不明です。

 そして護国寺を参拝。本堂も元禄時代の建立で、国の重要文化財に指定されています。

 護国寺は以前にも紹介したとおり、明治の元勲たちの墓が多いことで有名。こちらは山縣有朋の墓。

 これは大隈重信の墓。・・・山県有朋と、全然規模が違うんですけど。

 こちらは三条実美。

 こちらは清岡公張。・・・って私も彼が何者かわからなかったので調べてみると、幕末は三条実美の衛士として活躍し、その後は各地の県令を歴任し、貴族院議員や枢密顧問官を務めた政治家だとか。う〜ん、やっぱり知らない。

 こちらは山田顕義の墓。長州藩の出身で、吉田松陰の門下生。明治維新後は陸軍の基礎を造り、西郷隆盛が反乱を起こした西南の役で功績を立て、陸軍中将となった人物ですが、法律の分野にも明るく、司法大輔や、第一次伊藤内閣で初代の司法大臣になったほか、第一次山縣内閣、第一次松方内閣でも司法大臣を務めました。
 教育分野でも日本大学(日本法律学校)、國學院大學(國學院)を創立しています。

 こちらは田中光顕の墓。土佐藩の出身で、幕末は中岡慎太郎の陸援隊に幹部として参加。大河ドラマでも登場してくれることでしょう。で、維新後は元老院議官や初代内閣書記官長、警視総監、学習院院長、宮内大臣など、様々な重要な役職を歴任しています。高知県高知市の桂浜に坂本龍馬銅像を建立したのも彼。
 てなわけで、新年早々墓めぐりとなってしまいました。

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