2010年2月20日 静岡鉄道清水市内線の生き残りと大井川鐵道を見る

○2月20日(土)


 職場の旅行で静岡県熱海市下多賀にある、松風苑という温泉旅館で1泊。ここにある庭園は、先週紹介しました緒方洪庵の門下生で、日本赤十字社の初代社長である佐野常民伯爵の別荘とのこと。朝風呂に浸かった後、同僚と散策してきました。

 河津桜は咲き始めており、思わぬ花見に。

 みかんの一種であるダイダイの実も沢山生ったままで、美味しそう・・・ではありますが、酸味と苦味が強いため食用には向かないとのこと。

 さて、網代からJR伊東線で熱海駅を目指します。E231系かと思いきや、伊豆急の8000系でした。熱海駅からは家に帰る職場の面々とはお別れし(真っ直ぐ家に帰るだけとは勿体無い!)、私は進路を西へ取ります。

 接続が悪かったこともあり、富士駅で後続の列車を待つことに。その間、甲府へ向かう373系特急「ふじかわ」を撮影。静岡方面からやってきた同列車は、ここでスイッチバックして身延線へ入っていきます。

 まだ時間があったため、三島駅へ向かう313系+211系の6両編成を撮影。そして、島田行きの列車に乗り込んで、清水駅で下車します。

 実のところ、静岡鉄道を少し撮影する・・・ぐらいしか今回の旅行の計画は立てていなかったため(最近は、行き当たりばったりが大半)、駅に降りて地図を見ているとフェルケール博物館という文字が。たしか、静岡鉄道の清水市内線の車両が保存されていたはず・・・と思い、結構遠かったのですが、徒歩で延々と歩き到着。 と、ここで「あ、車両の保存は全然違う場所にある別館であった」と気がつくも手遅れ。このまま引き返すのも勿体無いので、入館します。さて、このフェルケール博物館。フェルケールとはドイツ語で「交通」「交際」を意味する言葉で、付近にある清水港の歴史を中心に、様々な船に関する展示が充実しています。また、廃止された国鉄の清水港線の写真なども展示しており、鉄道ファンでも楽しめる内容。
 お客が自分1人しかいなかったのは、博物館の存続を考える上で不安でしたが、展示内容は非常に充実しています。バスを使えば簡単に着くようなので、清水を訪問されたときには観光されることをオススメします。

 さて、例の保存車両はフェルケール博物館から2km南へ歩いたところにあることが判明。ようやく静岡鉄道モハ65形と対面します。元は西武鉄道新宿軌道線(のち都電杉並線)で活躍した木造ボギー車38号として、1927(昭和2)年に誕生したもの。1936(昭和11)年に静岡鉄道に譲渡され80号車となり、その後、1956(昭和31)年に自社工場で鋼体化改造を受け、65形65号車となりました。
 そして清水市内を走る路面電車として活躍し、1975(昭和50)年の清水市内線の廃線と同時に引退しました。

 さて、この車両が保存されている場所は、1984(昭和59)年に廃止された国鉄清水港線の脇。静岡鉄道モハ65形のほか、清水港線で活躍したスハフ42 2015、清水運送の小型機関車、1974(昭和49)年から翌年にかけて太平洋を横断したヨット「チェリブラV世号」も一緒に保存されています。あ〜・・・遠かった。  
 ちなみに、良く見れば「しずてつジャストライン」三保山の手線の村松バス停から直ぐ。しかも日中でも12分間隔で運転されており、非常に利便性の良い場所でした。フェルケール博物館も、この路線で簡単に行けたようですし、清水駅から、さっさとこれに乗って来ればよかった・・・。
 ところで、この「しずてつジャストライン」というバスは、○○系統・・・ではなく、路線名をつけているのが特徴。この方が乗り場案内等が解り易いですね。

 というわけで三保山の手線に乗車すると、静岡鉄道の新清水駅に近づいてきた辺りで、観光施設らしい古い家屋を発見。港橋バス停で下車し、訪問してみます。どうやら、1889(明治19)年に、東海道一の大親分である清水次郎長が清水波止場に開業した船宿「末廣」。船宿廃業後は、ここに移築され住宅として使われていたものを、2001(平成13)年に旧形状に戻す復元したものだそうです。

 さらに清水次郎長の生家もこの近く。途中、立派な木造家屋を見かけましたが、これは現役の一般住宅のよう。末永く使っていただきたいものです。

 そして清水次郎長の生家が・・・え、これ?
 規模が小さいのは、それが事実なのでしょうからともかくとして、アーケードの屋根が無粋に取り付けられており、側面はトタンで味気無い雰囲気に。う〜ん、清水を代表する観光場所として、これはどうなのでしょう・・・。内部は当時のまま保存されており、これはまた後日御紹介したいと思います。

 さて、静岡鉄道の新清水駅に向かう途中に見かけたバス停を撮影。最近、少しずつ増えているタイプですが、風除けを兼ねて側面などに広告を掲載して収益を上げると共に、屋根と車道側にガラス壁を設置したバス停。歩道が広くないと設置は厳しいですが、より公共交通が便利になるためにも、ぜひ全国で普及して欲しいですね。
 ・・・と、ここでTOMOの鉄日誌のTOMOさんより連絡が入り、東京メトロ東西線の新型車両15000系の甲種輸送が本日行われると情報を入手。静岡にいる旨をお伝えしたところ、御親切に静岡駅通過時刻を教えてくださり、行き当たりばったり旅の計画に加えることにしました。とは言え、まだ時間がありますので静岡鉄道へ向かいます。

 では、新清水駅より静岡鉄道の静岡清水線1000系に乗車します。

 静岡鉄道の車庫と工場のある長沼駅まで乗車すると、目に前にはバンダイのプラモデル工場であるバンダイホビーセンターが。アナハイムエレクトロニクス、地球連邦軍のロゴに、ガンダムダブルオーの大きなポスターを掲出していました。

 さて、こちらが静岡鉄道の長沼工場の様子。

 そして3月まで期間限定で運転されている、1000系登場時の姿に戻した編成を撮影。前面や側面に帯は一切無く、スカートも取り付けられていないオリジナルの姿。随分思い切った姿でデビューしたものだと思います。

 さて、未だに訪問したことが無い大井川鐵道に少しは乗っておこう・・・という野望と、東京メトロ15000系の撮影時刻を両立させるべく、選んだ撮影場所は西焼津駅での撮影でした。TOMOさんの情報どおり、牽引機はEF66 54号機でした。白い帯を巻いているのが特徴です。

 まさか思いつきの旅行の中、静岡県内で車両の輸送を撮影するとは思いもしませんでした。TOMOさん、本当に有難うございました。とか言っておきながら、八王子駅で撮影しませんか?という誘いを断って、情報だけ手に入れると言う、恩知らずなことをやってしまいましたが・・・。スミマセン、これで満足したのもさることながら、実のところ、既にお疲れモードです。

 そして金谷駅で下車。で、大井川鐵道に乗り換えようとしたところ、次の列車は30分後。・・・そこで、近くにある旧東海道石畳を歩いてみます。これは1991(平成3)年に地元住民によって復元されたもの。ぬかるむ坂道で、足を滑らせないようにする先人の知恵ですが、これはこれで歩きにくい・・・(笑)。

 そして金谷駅に戻りますが、金谷駅を上から撮影出来る場所があったので、ちょいと撮影。なんか、線路の配線が多少面白い具合になっていますね。

 金谷駅からは京阪電鉄で活躍した3000系に乗車。

  先週は本家の京阪で乗車したばかりで、面白い縁です。・・・来週の北陸旅行では、富山地方鉄道で乗ってやりますか?(笑)

 本当は千頭駅まで行きたかったのは山々ではありますが、東京メトロ15000系を撮影していたこともあり、既に夕方。運転本数の少なさもあり、帰りの時刻を考えると厳しいので、僅か1駅の新金谷駅で下車し、もと近鉄の16000系やC11といった車両群を撮影します。これだけ見ると、なんで近鉄の駅にSLが?といった感じですね。

 動いている姿を見ておきたかったですが、本日のSLは運行終了。また次回、全線で乗ってみたいと思います。

 こちらが新金谷駅の駅舎で、非常にレトロな雰囲気。建築当初は、立派な建物と思われたことでしょう。

 さて、新金谷駅から金谷駅に向かって、旧東海道の大井宿を歩いてみます。デュークさんがブログで公開中の東海道ウォーキングに比べれば、ほぼ宿場町しかめぐらない私はいい加減なものですが・・・。ちなみに、左の佐塚書店が旧佐塚本陣。当時の建物は何一つ残っていませんが、今も昔からの老舗らしい店も存続しているのは喜ばしい限りです。

 金谷駅に戻ると、今度は南海電鉄から譲渡された21001系が停車中でした。しかし、この車両の汚れは何とかならないのでしょうか。先ほどの3000系も塗装が剥げた部分に、また塗装を塗っているような状態でしたし・・・。経営の苦しい地方鉄道ですから、仕方の無い面もあるとは思いますが、やはりイメージ戦略を考えると・・・。

 そして日野に戻るべく、静岡から新幹線で新横浜乗換え。横浜線で八王子駅へ行き、何となく八高線の209系を撮影して〆としました。

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