2010年2月26日・27日 急行「能登」に乗り大糸線のキハ52形とキハ58系を撮影

○2月26日(金)


 毎週、毎週よくもまあ・・・、というわけで今週末は北陸旅行。京都から遊びに来ておりましたZenigata所員が同行者です。まずは上野駅に着いたところで、寝台特急「北斗星」を撮影。発車までの時間が無かったため、牽引機までは撮影できませんでした。

 あまり「フレッシュ」じゃない、651系による特急「フレッシュひたち」。

 さらに、489系による特急「ホームライナー古河3号」を撮影。Zenigata所員が貸してくださった三脚のお陰で、ブレずに写真が撮れたのは大収穫。やはり私も買うべきか・・・。ちなみに、ここで鉄道ファンの小学生と仲良くなった所長一行。なんと急行「能登」で、金沢まで母親と行くというので、翌朝まで一緒に行動することになりました(夜間については座席は別でしたが)。

 こちらは寝台特急「あけぼの」。今日は満席とのことで、需要が旺盛なのは嬉しいこと。しかし車両の老朽化は著しく、東北新幹線の新青森開業後はどうなるのか・・・?

 さて寝台特急「あけぼの」、この日の牽引機は、茶色のEF64 37号機でした。

 続いて寝台特急「北陸」が出発。3月改正で、ついに引退を迎えてしまいます。多くの人が撮影に訪れていましたが、目立った混乱はありませんでした。

 こちらは客車側。北陸に向かう際には急行「能登」利用が多かったため、ついに「北陸」は一度も使わずじまい。う〜ん、残念。

 続いてホームライナー運用を終えた489系が上野駅へ帰還。引き続き「能登」運用に就きますが、こんな方向幕も入っていました。

 何度もお世話になった急行「能登」。3月改正後も、何だかんだ本数はかなり残存しますが、489系ボンネット型での運転は見られなくなることでしょう。では、これに乗り込み金沢へ向かいます。

○2月27日(土)


 そして金沢駅へ到着(早ッ!)。降りた乗客たちによる撮影会状態でした。

 私といえば「能登」の撮影は早々に切り上げ、先に到着している寝台特急「北陸」の撮影へ。EF81形が牽引している姿は撮影したことが無かったので、廃止を目前にしてようやく撮影できました。

 この後は金沢駅にてしばらく撮影に興じます。まずは北越急行所属の681系による特急「はくたか」。

 こちらは京都総合車両所の485系A7編成から引き抜いたクハ489形を組み込むA4編成による、特急「雷鳥」。

 特異な形状でお馴染み419系。3月改正で521系が投入された後の動向が注目されます。

 415系七尾線色。この列車は北陸本線の松任駅までの運用でした。

 こちらは寝台特急「北陸」の回送。撮影者は我々+例の小学生+1〜2名いたかどうか、程度。ヘッドマークが付くか付かないかで、こうも撮影者の数が異なるとは。

 こちらはクハ455形700番台を組み込んだ413系。このクハ455形700番台は、サハ455形を先頭車化改造したもので、クハ455−701と702の2両しかいません(写真は701)。そもそも413系自体が、余剰となった急行型車両の部品を再利用し、通勤・通学輸送にも対応した構造へ更新したものですが、なぜかクハ455形700番台は中途半端な改造で終了。たった2両、413系に組み込む時に、何故同じスタイルにしなかったのか?
 そんな姿にされてから、約25年も活躍中。確かに面白いですナ、これ。

 さて、ここで一旦改札に出ますと、改札前で急行「能登」と寝台特急「北陸」のパネル展示が行われていました。やはり、このスタイルが消えてしまうのは惜しい・・・と思うと同時に、「能登」については週末中心になるとはいえ、今後も485系で運転が続く以上、あまり廃止を強調しすぎると・・・?

 こちらは寝台特急「北陸」の展示。

 さらに金沢駅のシンボルである鼓門を撮影。

 地下コンコースに下りて、北陸鉄道を撮影し・・・。

 金沢に関する古い写真や、LRT導入に関する写真パネルが多数展示されていたので、じっくり見学。こちら、なんと昭和38年ごろの金沢駅の様子だそうです。

 現状は、こんな感じ。住宅群は姿を消し、すっかりビルばかりになってしまいました。左にある北國銀行&金沢都ホテルが、先ほどの写真で東芝と宣伝のあるビルで、まさに金沢都ホテルが開業した直後のようです。

 再び金沢駅に戻りまして、クハ481形300番台を金沢方先頭車にした485系特急「雷鳥」や・・・。

 681系特急「サンダーバード」に・・・。

 意外にも初めての撮影となった、北越急行の683系による特急「はくたか」を撮影。では、これに乗車して一気に糸魚川へ戻ります。

 糸魚川では、定期運用を終えるキハ52形と、北陸新幹線糸魚川駅の建設に伴い姿を消すレンガ車庫の撮影会を実施。今回の旅行の目的は、実はこれの撮影がメインだったのですが、なんと日中の大糸線にはキハ58系国鉄色(富山地域鉄道部富山運転センター所属)が充当されていることを確認。これは乗るしかないでしょう、ということで乗車します。

 ここまで殆ど雪を見ていませんでしたが、さすがに大糸線内は雪化粧していました。そして、キハ58系のエンジンから来る心地よい振動で、能登ではあまり眠れなかった所長&Zenigataコンビはウトウト・・・。

 そして南小谷駅に到着。E257系特急「あずさ」とも並んでくれましたが、我々が乗るキハ58系は、僅か3分の停車時間で折り返していくため、ロクに撮影する間もなく車内に引き返さざるを得ませんでした。

 今度は眠気もバッチリ解消しており、雪景色を堪能しながら糸魚川駅に帰還。それにしても、沿線の人出も凄いもので、寒い中で多くのファンが大糸線に押し寄せていました。

 そして本命のキハ52形+レンガ車庫の撮影会を見学。歴史を刻んできた重厚なレンガ車庫とキハ52形の組み合わせは、本当に良い味を出してくれています。このようなイベントを企画してくれたJR西日本に感謝。そして、キハ52形については、写真右の車両が津山で保存されることになりましたが、この解体されるレンガ車庫について、列車出入り口面と、南側の側面の一部が保存されることになりました。本来は全面保存が望ましいですが、さすがに車庫としての使い道が無い以上は厳しい話。
 熊本駅のレンガ車庫は新幹線建設のため、跡形も無く解体されただけに、これだけでも十分嬉しい話です。「壁をモニュメントとして設置するのではなく、情報発信に活用できるよう(以下略)」という、市長の発言にも期待したいです。
(その後、レンガ車庫の入り口は糸魚川駅の新幹線口に取り付けれ、その奥ではキハ52形も保存されました。何と素晴らしい・・・)

 ちなみに糸魚川駅構内には、既に後継車両であるキハ120形が停泊中。今のところ津山線色のようですが、運用開始後のカラーリングはどうなるでしょう?

 そして、またもや北越急行の683系で富山駅へ。

 413系を撮影し・・・。

 さらに419系も撮影。

 キハ85系による特急「ひだ」。

 さて、私とZenigata所員は富山駅前に出て、昨年末に開業した富山地方鉄道のセントラムに乗ります。いやはや・・・富山は毎年のように訪問していますけど、これは・・・随分と路面電車も洗練された雰囲気になりますね。

 運転台部分から撮影。新線部分を堪能した後、荒町電停で下車します。乗客はかなりのもので、特に大和百貨店のあるグランドプラザ前では一気に乗客が増えました。

 そして富山城を見学。前回訪問したときには、移築保存の最終段階だった千歳御門も、整備が終わっていました。引き続き城内についても整備が進められるようで、富山市のシンボルとして積極的な活用を期待したいものです。

 そして国際会議場前まで歩き、先ほどの白セントラムに続いて、黒セントラムを撮影。

 歩いて再び荒町電停まで戻り、また黒セントラムを撮影。ギリギリでしたが、こういう荒業も可能です。

 その後続車両が、何ともレトロなデ7000形旧標準色。新旧車両の競演でした。後継車両も投入されるようで、これからは姿を減らしていくかもしれませんね。

 残念ながら、今回はセントラムのもう1編成である銀色は撮影できませんでしたが大満足。路面電車で南富山駅まで行き、富山地方鉄道の不二越線・上滝線で、電鉄富山駅に戻ります。

 ・・・1時間に1本の運転でしたが、幸いにも路面電車とは約15分で接続し、モハ10030形に乗車。ああ、良かった。おお、そう言えば・・・。結局、これで3週連続で京阪の旧3000系に乗ったことに。

 先週は大井川鐵道の3000系に乗車。

 先々週は本家の京阪で、現在の8000系30番台に乗車。いやはや、バカですね。さて、電鉄富山駅でZenigata所員とお別れ。また特急「はくたか」に乗って、越後湯沢より上越新幹線で帰還しました。

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