2010年4月25日・29日 青梅鉄道公園と中央線の201系を追って

○4月25日(日)


 本当は頂いた投稿写真の編集したり、自分の原稿書いたり・・・とやることが多いのですが、中央線・青梅線の201系H4編成が引退イベントの一環で奥多摩まで運転されるため、出撃。どこで撮影しようか考えましたが、青梅線の福生駅で201系を撮影したことが無かったので、福生駅にて迎えることにしました。


 逆光なのが残念ですが、概ね満足のいく1枚に。今後も引退イベントは続きますので、可能な限り撮影に行こうと思います。・・・その方が遠出しないので、私のフトコロには優しいという・・・(笑)。


 さて、ここまで来たので青梅鉄道公園へ。昨年8月に青梅市の花火大会を見学しに来てはいますが、日中に訪れたのは久しぶり。新規展示車両であるクモハ40形を初めて撮影しました。屋根つきの展示なのが嬉しいですね。


 行先表示は前後で異なっており、2種類の表情を楽しむことが出来ます。欲を言えば、旧型国電の動態保存をやってくれないものか・・・。少なからぬ人気はあると思うんですけどね。


 0系新幹線。定期的に補修されているようで、屋外展示でありながら非常に美しい状態でした。車内も公開されていますが、これといって荒らされることもなく、美しい姿のままです。


 こちらも屋根が取り付けられたED16 1号機。


 その他の蒸気機関車群にも屋根が設置されており、これまでとは違った雰囲気に。末永く保存するためにも、やはり雨ざらしは天敵ですね。


 折角なので建物内も見学。「JR特急ヘッドマークいま・むかし」も昔から変わらぬ展示。え〜っと、この中で現在も見られるヘッドマークは・・・な、なんと、あけぼの、北斗星、日本海の3つだけではないか!


 HOゲージのコーナー。何気に車両は新型が続々と投入されており、E231系山手線はもちろん、E233系中央線も配備されていました。


 2階では青梅線の懐かしい写真が多数展示。


 1998年には旧型国電が運転されたこともありましたね。もう博物館でしか見られないのでしょうか・・・。まあ、博物館にいることだけでも有り難いと思わねばなりませんが。


 さて、さすがに本日の散歩はこの程度。ここで、我が家の京王5000系コレクション(?)に新車が仲間入り。


 高松琴平電鉄1100形旧塗装。与太郎さんに塗り替えてもらったもので、大満足の出来栄え。それにしても、旧塗装の方が現在の塗装(右)よりも洗練されていると思うのは、私だけでしょうか?

○4月29日(木)


 2編成残る201系のうち、日曜日はH4編成のイベントに出撃しましたが、本日はしばらく動いていなかったH7編成が運用に入っているとのことで出撃。201系に関しては、相当な枚数を撮影していますが、生まれた頃からお世話になっているだけに、他の車両に増して愛着がありますので・・・。

 まずは中央特快での運用。豊田駅で撮影してみました。


 豊田駅に停車中の姿。


 中央線201系の特徴である大型種別幕。アップで撮影です。


 続きまして東小金井駅へ。高架化された上り線で、折り返しの201系を狙います。その前にE233系で何回かテスト。201系を撮影していると、結果的にE233系の記録もたまっていく・・・。


 E351系特急「スーパーあずさ」。


 そして東京行きの201系が入線。まずまずの出来です。


 そして武蔵境駅まで乗車し、ここで201系を見送ります。高架化されたホームとの組み合わせも素敵ですね。今回は高架化後の中央線と201系の組み合わせをテーマに撮影したかったので、これで大満足でした。


 続いて西武多摩川線へ。やはり引退間近の西武101系を狙います。中央線201系はファンが多数出撃されていますが、こちらは私以外ノーチェックでした。ちなみに、密かに期待していた新101系「春編成」は、本日はお休みでした。


 さて深い意味も無く多磨駅で下車したところ、多磨霊園の最寄駅であることを確認。数々の著名人が眠っている場所で、ちょっと散策してみることに。まずはこちら、高橋是清の墓。高橋是清は立憲政友会第4代総裁。第20代内閣総理大臣、後に大蔵大臣を務めて、2.26事件で暗殺された人物です。


 鳥居が特徴的な、西園寺公望(さいおんじきんもち)の墓。西園寺公望は、立憲政友会第2代総裁。第12・14代内閣総理大臣を務め、最後の元老と呼ばれた人物です。


 草木が生い茂ってしまっている、こちらの墓は徳大寺実則・山内嘉年子夫妻と、その息子の徳大寺公弘の墓。徳大寺実則は、西園寺公望の実兄で、幕末は尊皇攘夷派の公卿として活躍。明治維新後は、内大臣兼侍従長などを務めました。


 こちらは山本五十六の墓。第26、27代連合艦隊司令長官で、太平洋戦争前半の総指揮を取り、ソロモン戦線で戦死した人物ですね。


 こちらは東郷平八郎の墓。言わずと知れた、日露戦争における日本海海戦勝利の立役者ですね。このほかにも岡田啓介(海軍大将・第31代内閣総理大臣)、菊池寛(小説家)、岸田劉生(洋画家)、北原白秋(詩人)、西郷従道(海軍大将)、リヒャルト・ゾルゲ(ソ連軍スパイ)、徳富蘇峰(ジャーナリスト)、中島敦(小説家)、三島由紀夫(小説家) ・・・と、膨大な数の著名人が眠っていますが、場所を良く調べないで来たので、どこに誰がいるのか解らず。今回はこれにて退散することにしました。


 というわけで、多磨駅から西武101系に乗って戻ります。


 さらに祖母宅近くの定番ポイントから、大月行きの201系を撮影。何度見てもオレンジ色の電車は良いものです。

○4月29日(木)パートU


 日野から藤沢へ戻るのに、通常は八王子経由で横浜線→(町田乗換え)小田急線というルートを選択していますが、本日は引き続いて201系を堪能すべく、わざわざ東京経由で帰るという選択をしました。というわけで、まずは日野駅にて。

 基本的に電車のモーター音には興味の無い私ですが、201系に関しては敢えてモーター車に乗車させていただきました。・・・学生時代に201系を利用していたときは、モーター音がうるさいので、わざわざ避けていたことさえありますが(苦笑)。


 新宿駅で少々停車することのことなので、この合間を利用して撮影。


 東京駅に着くと幕回しを開始したので撮影。一部だけここに掲載したいと思います。まずは青梅特快「武蔵五日市」。


 快速「高麗川」。結局、八高線内では1枚も201系の写真を撮っていない・・・。


 通勤快速「河辺」。


 通勤快速「河口湖」。


 各駅停車「国分寺」。


 各駅停車「三鷹」。


 そして各駅停車「豊田」を掲出。この運用を最後に、豊田車両センターへ入庫します。明日以降、またこのように通常の営業列車として走ることはあるのでしょうか?


 車内の様子も撮影しておきました。ホント、何度もお世話になったもので・・・。


 話は変わりまして、リン所員から水島臨海鉄道の写真をいただきました。「近場だったのでいまいち実感が湧かなかったのですが、キハ20系が営業運転に就いているのはこことひたちなか海浜鉄道だけで、かなり貴重なのではないでしょうか。」とのこと。

 キハ52形に目を転じても、ついに定期運用は無くなりましたので、これから水島臨海鉄道が一層注目されることでしょう。ひたちなか海浜鉄道と共に、末永く活躍してもらいたいものです。


 こちらは貨物列車。先頭は見慣れた車両かと思いきや、形式はDE70。水島臨海鉄道の車両ですね。


 それから、ハンドルネーム「たこちゃん」様より、スイスのチューリヒの路面電車。他にも色々いただいておりますので、早く掲載準備に取り掛からねば。本当は今日中にやるはずが、すっかり201系の追っかけに追われ、吉野ヶ里歴史公園のページのリニューアルをするのが精一杯でした。


 同じく「たこちゃん」様より、もう1枚。ドイツ北部ブレーメンの路面電車。あかん、これは格好良すぎる・・・。
 ああ、早く掲載せねば。本当にゴメンナサイ・・・。

 また別の方から、183系特急「はしだて」の写真もいただきました。先頭車は雷鳥から転用された、あの特徴的な車両。未だに私は撮影したことが無いので、こんど京都に行くときには、ぜひ撮影しておきたいものです。

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