2010年5月1日〜5月5日 副所長たちが来た!国立科学博物館と函館への旅

○5月1日(土)


 GW恒例で、山口県より氷川副所長が東京へ。初日である本日は、馬藤所員と共に東京スカイツリー建設現場へご案内。とは言え、私も最近になって立て続けで見ておりますので、まずは浅草から歩いてみることにしました。というわけで、隅田川から1枚。


 そして墨田区役所横にある勝海舟の銅像をパチリ。


 そしてそのまま徒歩で東京スカイツリーに。歩き出した当初は「思ったほど高くない」と言っておられた氷川副所長も、近づくにつれて見上げる首の角度がどんどん高くなり・・・「でけぇ」。


 東京スカイツリー下部。


 そして東京スカイツリーの間近で見上げると、こんな恐ろしい角度になります。これがまだ2倍近くになるのですから・・・。なお、本日の高さは358m。4月24日に見たときには349mでしたので、約1週間で10m近く高くなった計算になります。


 それにしても、さすがに季節外れの寒い気候から一変し、GWらしい暑い一日。下町にお住まいのワンコも、すっかりとダウンしておりました。


 そして上野公園の西郷さんの銅像を見て・・・。


 国立科学博物館へご案内。氷川副所長は初訪問、私と馬藤所員は何度来たことか・・・ですが、何度見ても素晴らしい内容です。こちらは複雑な方程式も解けるという、九元連立方程式究解機。1944年製で、わが国初の大型計算機械です。


 零式艦上戦闘機。飛行機といえば、国立科学博物館が羽田空港に保管しているYS−11の1号機の保存を巡って、事業仕分けでも話題になっていましたが、外観だけでも公開してくれないものですかね・・・。


 1863(文久3)年、江戸幕府の注文によってオランダで製造された竪削盤(たてけずりばん)。上下動する刃物で工作物に溝を彫る機械ですが、なんと1998(平成10)年まで使われていたそうです。


 日本初の人工衛星「おおすみ」。

 江戸時代の旅行用携帯枕「道中枕行灯」。ご覧のように、分離するとソロバン、行灯、蝋燭、筆箱などを出すことが出来るスグレモノ。


 普段はこのようにまとめておくそうです。


 「母ちゃん、今日の食事これだけ?」
 「稼ぎが少ないから仕方が無いでしょ(笑)。」
 ・・・という弥生人の会話の風景(創作:氷川副所長)。


 日本で品種改良された様々な鶏たち。左がコシャモで、右がシャモ。


 ウコッケイ。非常にわかりやすい展示でしたので、近いうちにまとめて掲載します。


 そしてキノコも多数展示。何度見ても大収穫。撮影した写真はまだまだありますが・・・いつ掲載できるのやら。
 さて、明日と明後日は函館へ行ってまいります。

○5月2日(日)・3日(月)


 予定通り本日から1泊2日で函館へ。本日は深夜に我が家にやってきた水澄所員も合流し、氷川副所長と3人で東北新幹線「はやて」で八戸へ向かいます。


 盛岡駅ではE3系による秋田新幹線「こまち」と分割。スムーズな開放作業に乗客一同で感心。

 八戸駅で乗り換えますが、その合間に八戸線の列車を撮影。停車していたのは「うみねこ」仕様車でした。首都圏食をベースにしながら、派手なカラーリングに塗ったのが面白いですね。


 こちらは大湊線の快速「しもきた」。


 IGRいわて銀河鉄道のIGR7000系。


 そしてこれから乗車する、函館行きの798系特急「スーパー白鳥」と、出番を待つ485系。


 続いて青森駅で時間があったため、奥羽本線の701系を撮影。このように、この周辺では珍しい長編成でありながらも、車内は通勤ラッシュ並みの混雑でした。


 青森駅を発車すると青森車両センターが見えてきます。相変わらず房総各線に転用する準備待ちの元・京浜東北線209系が留置されていました。このような風景が見られるのも、もう少しで終わりでしょうか。


 そして函館駅に到着。接続列車であるキハ183系特急「北斗」との並びを撮影。さて・・・朝6時ごろに出発して、到着したのが13時過ぎ。東北新幹線新青森開業で激変が予想される、八戸〜青森間に乗車しておきたかったいやはや、これは疲れました・・・。


 続いて函館駅を撮影。夜行列車で深夜に来たことはありますが、駅の外に来たのは初めて。近年流行のデザインとは異なる、どっしりとした雰囲気が非常に素敵です。


 駅前近くのラーメン店で函館ラーメンを食した後、市電と徒歩で五稜郭へ。市電は次から次へとやって来るにもかかわらず、ものすごい数の観光客で超満員。そして五稜郭は、隣接する五稜郭タワーから眺めましたが、本や雑誌で何度も見てはいますが、自分の目で見てみると、たしかに見事な星型であることに驚かされます。


 そして地上に戻り、五稜郭内部に復元完成間近の箱館奉行所の外観を見学。洋風の城郭ですが、内部の建築はあくまで和風だった・・・というわけですね。完成したら、再び函館に行かねばなりますまい。


 箱館奉行所で恒例の後姿シリーズ。とうとう氷川副所長まで・・・嗚呼・・・。


 お前もやれー、てなわけで水澄所員にもポーズを決めていただきました。


 こちらが五稜郭タワー。前日に東京スカイツリーを見たばかりなので、大きさは・・・と感じてしまいますが、2006年に出来た施設なので非常に綺麗で快適な施設でした。それにしても、さすがGWは人が多い・・・。


 見学を終えて五稜郭電停前に戻ると、箱館ハイカラ號というレトロ電車が入線。元をただせば成宗電気軌道(現、千葉交通)が1910(明治43)年に導入した車両だそうで、これで100年運転されていることになりますね。


 さて、函館は戦前に建築された近代建築の宝庫。全国的に見ても、特に古い建築が残っている地域なので、全てをチェックするのは不可能。そんなわけで、今回は代表的なものだけ見て回ることにします。まずは、1908(明治41)年に建てられた遺愛学院本館。国の重要文化財に指定されています。

 また、ほぼ隣接する講堂は1935(昭和10)年の建築で、国登録有形文化財。


 同じ敷地内にある旧遺愛女学院宣教師館。1908(明治41)年に建てられ、こちらも国の重要文化財。本館と共にガーディナーというアメリカ人が設計しているため、古きよき時代のアメリカといった雰囲気もありますね。

 なお、現地にて許可を得た上で撮影しております。


 さらに徒歩で土方・啄木浪漫館へ(こちらは近代建築ではありません)。土方歳三と石川啄木をテーマにした小さな博物館で、「あまり期待できないか・・・?」と思ったところ、意外や意外、完全な土方歳三のゆかりの品こそ無かったものの、彼が活躍した当時の様々な銃や刀剣が展示されているなど、見ごたえ十分でした。


 周辺の雰囲気も非常に良く、夕暮れ時などは特にオススメです。

 ただ、杉並町にある遺愛学院から徒歩で行くのは少し遠かった・・・。バスやタクシー利用が無難です。 

 さて、再び路面電車に乗車。

 駒場車庫を外から見学してみます。先日引退した1000形(1006号)がいないものかと期待していましたが、目に見える範囲では確認できませんでした。


 続いてロープウェーで函館山を夜景を見に行きます。が、さすがはゴールデンウィーク。考えることは皆同じといった感じで、尋常じゃない人の多さ。人の入れ替わりに期待していたのですが、皆さんずっと夜景を堪能されたいようで、人は増えていく一方。夕飯も早いところ確保しないといけませんので、適当なところで退散しました。

 ・・・帰りのロープウェーに乗るのも一苦労でした。


 そして函館市電の十字街電停に行くと、ライトアップされた非常に立派な建築が見えてきます。これは1923(大正12)年に建築された旧今井百貨店函館支店で、後に市役所分庁舎として利用。現在は、後年増築された部分を撤去し、建築当初の姿に美しく復元した上で「地域交流まちづくりセンター」として活用しています。

 戦前は地元の中でもひときわ輝く百貨店であったことでしょう。


 駅前近くの居酒屋で夕食。豪勢に行こうぜ、と様々なものを注文して食事をとことん堪能。ああ、思い出すだけでもヨダレが・・・ふふふふふ。で・・・、実は宿泊場所を確保できなかった所長一行。水澄所員が漫画喫茶を何とか探し当て(・・・函館には意外なほど数が少なかった)、とりあえず野宿は免れましたが、氷川副所長はご不満と相成りました(苦笑)。


 さて、翌日は鉄活動から開始。函館〜弘前間で4月24日から5月5日まで運転されている、臨時特急「さくらエクスプレス」を撮影します。キハ183系ノースレインボーエクスプレスを使用していますが、函館〜青森間はED79が牽引するという、ユニークな列車だったりします。


 反対側の様子。


 そして駅の近くにある函館朝市を見学&食事。前日食べすぎで、私と氷川副所長は食欲があまり沸きませんでしたが・・・。水澄所員は美味しそうに色々と食べ歩きも堪能。


 続いて青函連絡船「摩周丸」を見学。青森には青函連絡船「八甲田丸」が展示されておりますが、摩周丸は八甲田丸と異なり、車両甲板やエンジン部分の見学などは出来なかったのは、ちょっと残念でした。

 とは言えブリッジの見学などは、やはり燃えますね(笑)。また、国際信号旗の解説や展示などは面白いものでした。ちなみに、ウィキペディアにもありますので、よろしければ是非(青字部分をクリック)。


 再び函館駅に戻り、キハ183系特急「北斗」を撮影し・・・。

 485系特急「白鳥」も撮影し・・・。


 C11形蒸気機関車による、SL函館大沼号を撮影。4月29日〜5月5・8・9日運転の列車で、小ぶりなC11ながらも、やはり汽笛を鳴らしたときの音の大きさ、動輪の美しさなどはSLとしての貫禄十分。ちなみに、強風のため煙突から出るケムリが凄い状態に・・・。


 ちなみに後部には補機としてDE10が連結。まさか黒い(紺色?)車両とは思わず、初めて見る塗装に少し興奮(笑)。


 ここからは近代建築めぐりを再開です。まずは幕末に函館奉行所が建造させた、日本人の手による初の洋風帆船「箱館丸」・・・を1988(昭和63)年に復元した「函館丸」を遠くから見ます。

 太刀川家住宅店舗。国の重要文化財で、1901(明治34)年の建築。煉瓦造りの壁体を漆喰で塗り込めた不燃質和風建築物であるのが特徴です。


 1914(大正3)年建築の相馬合名会社(相馬株式会社)。市電との組み合わせが良く登場する建築ですね。


 高台の上でひときわ輝く旧函館区公会堂。1910(明治43)年に、豪商・相馬哲平の寄付によって建設されたもので、後の大正天皇も宿泊された立派な施設です。国の重要文化財。本日は明治時代の服装に着替えられる体験コーナーが大人気でした。


 函館ハリストス正教会復活聖堂。1916(大正15)年の建築で、国の重要文化財です。


 元町カトリック教会聖堂。1909(明治42)年の建築で、函館市伝統的建造物。内部は撮影禁止でしたが、非常に荘厳な雰囲気に感動しました。キリスト教建築は、こういう迫力を出すのが非常に巧みですよね。


 このエリアは近代建築の宝庫で、細かく1軒ずつ見たい気もしましたが、今回の旅行では省略。次回はじっくりと時間をかけてチェックしてみたいと思います。

 寺院も負けてはいません。こちらは東本願寺函館別院で、1915(大正4)年の建築。度重なる火災を教訓に、日本で初めての鉄筋コンクリート寺院として建てられたものです。

 こちらは1923(大正12)年に函館水電会社(現・北海道電力)によって造られた、現存では日本最古のコンクリート電柱。

 ショッピングモールやレストランなどに利用される金森赤レンガ倉庫。

 旧・第一銀行函館支店こと、函館市文学館と路面電車の組み合わせを撮影。函館市文学館は1921(大正10)年の建築で、どっしりとした姿がいかにも銀行らしい雰囲気です。それにしても、函館市も様々な建築を維持するのは大変そう・・・。

 建物の由来を解説したものが、意外と屋外には設置されていないので、もう少しPRされてはいかがなものでしょうか?と思いつつも、これだけ多いとその費用も大変かもしれません。


 十字街電停にて、函館市交通局9600形「らっくる」を撮影。現在、2編成が運転されている超低床車両(LRV)で、カラーリングも青が美しい素晴らしいデザインですね。今回の旅行では、市電をフル活用しましたが、意外と「らっくる」に乗る機会には恵まれませんでした。残念・・・。

 旅の最後は、函館市電の谷地頭電停から徒歩3分の場所にある、市営「谷地頭温泉」で汗を流します。市営といっても侮ること無かれ、広々とした大浴場に露天風呂も兼ね備えています。訪問した時間帯も中途半端だったおかげか、GW中の穴場といった感じで、それほど混んではおらず、地元の方の利用がほとんどのようでした。


 では、谷地頭電停の車止めを撮影し・・・。

 函館市交通局の710形に乗って函館駅へ戻ります。

 函館駅では、SL函館大沼号がちょうど帰還したところでした。

 またまたキハ183系特急「北斗」。運転本数は多くないのですが、意外と撮影の機会に恵まれます。

 SL函館大沼号の回送にやってきたのは、DE10・・・と思いきやDE15!


 そしてキハ281系特急「スーパー北斗」。

 で、我々が乗車する789系特急「スーパー白鳥」を撮影し、藤沢まで戻ります。16時前に出発し、23時過ぎには着くのですから、近いといえば近い・・・が、長距離移動は疲れました・・・。

○5月4日(火)


 本日は桜乃所員こと、桜ノ咲みえ氏がやってこられるので、氷川副所長、水澄所員と共に新横浜駅までお迎え。折角なので、日産スタジアムの外観をご案内しました。いやはや・・・大きいですな。


 ついでにラーメン博物館も見学。ご覧の通りの盛況ぶりで、ラーメン1杯食べるだけで1時間待ちは当たり前でした。我々は函館で購入した函館ラーメンがありますので、自宅で美味しくいただきましたとさ。

○5月5日(水)


 *2日〜5日の所長撮影雑記を一気に更新しております。お手数ですが、時系列順に読んでいただけると幸いです。

 すっかり宣伝するのを忘れていましたが、本日は私と氷川副所長も参加した同人音楽CD「想空稜線 -lines in the air-」の発売日♪ 諸般の事情により一般販売はありませんが、同人系のイベントで桜ノ咲みえ氏が率いる桜ノ咲音響産業のブースで販売していますので、見かけられた際にはぜひ。販売場所等の詳細については、公式ホームページ
http://sakion.net/
 をご覧ください。我々の曲も視聴することが出来ます。

 ・・・というわけで、流通センターで開催される同人音楽イベント「M3」へ向かう桜乃所員こと、桜ノ咲みえ氏の荷物持ちとして氷川副所長、水澄所員と共に東京モノレールの流通センター駅へ行きます。ちなみに、M3とはMusic+Media-Mix Marketのことだとか。


 スタッフとして販売する手もありましたが(笑)、新橋で馬藤所員とも合流してブラタモリならぬ、ブラウラベとして東京見物に向かいます。まずは、日本テレビでズームインのスタジオを遠くから見て・・・。


 汐留シオサイトの高層ビル群を撮影。


 そして浜離宮へ向かおうとすると、突如として踏切が見えてきました。線路のも無いのに、この踏切は・・・と見ると、かつての国鉄汐留駅と築地市場の貨物引込み線に設けられたものだったそうです。今となっては想像も出来ませんが、比較的最近まで、この辺は貨物列車が行き交っていたんですね。


 ブラウラベ、今度は浜離宮庭園に入っていきます。都心にこれだけ広大な庭園があるというのは、驚くべき話。この場所は、官営年間までは将軍家の鷹狩場で、四代将軍徳川家綱の弟で甲府宰相の松平綱重の別邸を経て、将軍家の浜御殿として使われていたものです。明治維新後は浜離宮として皇室の離宮となり、さらに1945(昭和20)年11月より、東京都の庭園として一般に開放されています。

 この庭園の特徴は海水が出入りしていることで、この「将軍お上がり場」は、将軍が隅田川から浜御殿に来られたときや、舟遊びの際に乗降した船着場です。幕末には15代将軍の徳川慶喜が、大坂から軍艦「開陽丸」で江戸に戻った際に、ここから上陸して騎馬で江戸城に入ったそうです。

 高層ビル群に囲まれる浜離宮庭園。遠くには東京タワーも見えます。

 そして朝日新聞東京本社を見つつ・・・。

 ここが築地市場だと外観のみご案内。

  その向かい側が国立がん研究センター(旧・国立がんセンター)中央病院。この建築は平面の組み合わせが独特で非常に素敵ですね。墓石みたいなビルが多い中で、こういうデザインは大好きです。

  さらに歩くと見えてくるのが築地本願寺(本願寺築地別院)。何度見ても独特なこの建築は、1934(昭和9)年に伊東忠太による設計で完成したもの。古代インド様式(天竺様式)の伽藍です。


 そして銀座方向に歩くと、閉鎖された古いビルが見えてきます。華僑ビルというそうで、おそらく昭和初期の建築でしょう。老朽化は否めませんので、解体はやむなしといった感じですが、また1つ、戦前の建築が消えていきます。

 消えていくといえば、その近くにある歌舞伎座も。荷物の運び出しが行われている最中でした。
 そしてM3に戻り、CDの販売状況等を聞きながら東京駅へ。氷川副所長、水澄所員を見送り帰還いたしました(・・・もっとも、これで終わりでなく自宅で馬藤所員とゲームしていましたが)。お二方、5日間の長きに渡りありがとうございました。やはり高校時代からの旧友はいいものですなあ。

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