2011年3月11日〜12日 九州新幹線全通を見に行く・・・が


東日本大震災に被災された方、心からお見舞い申し上げますと共に、早期の復興を心から祈っております。地震のみならず、あの津波は本当に凄かった。報道では高波の映像しか放送されていませんが、その先は凄惨なシーンであったと思われます。一方その当日、首都圏では交通機関がストップし、大変なことになっていたようで、数時間かけて歩いて帰ったという話を続々と聞きました。

そして、その当時は私は宮崎県内を旅行中。
同じ日本国内とは言え、かなり離れた場所ですが、宮崎で鉄道がストップとなり、まさかここまで影響するとは思いもよりませんでした。

まずは羽田空港を出発。スカネットアジア航空の宮崎行きに乗るべく、リムジンバスに。全日空のボーイング747を車内から撮影します。

バスを降りて全日空のボーイング747とスカイネットアジアのボーイング737の並びを撮影。

そして飛行機に乗り込み、ベルト着用サインが消えたところで、横浜市上空を撮影します。今にして思うと、何とも災害に弱そうな景観・・・。改めて防災について、見直す必要があろうかと思います。

こちらは海上自衛隊の厚木航空基地周辺。

そして私の平日の拠点である、藤沢市。写真下が江ノ島ですね。

そして富士山が見えてきました。雪が積もったこの時期の姿が、一番美しい。
まさに「優美」という言葉が相応しいです。

頂上付近をズームで撮影。このあとしばらくすると飛行機は海上に出て、紀伊半島の南を通り宮崎に向かいます。

さて、宮崎空港駅に到着。
昨年5月に宮崎を訪問したときと全く同じパターンですが、朝の485系「さわやかライナー」を撮影します。この3月改正で愛称が消滅した列車ですね。

「さわやかライナー」は折り返し、普通列車として運転。私は一足先に、反対側に停車している783系特急「にちりん」で宮崎駅へ向かいます。

狙うは、国鉄色5連の特急「ひゅうが」3号!
ただ、宮崎駅に入線するときには、トレインマークが特急「きりしま」に変わっているので、本当は宮崎駅より北で撮影したいところ。ですが、どうも間に合わないので仕方ありません。

入線してくるキハ40系

間もなく特急「ひゅうが」3号が宮崎駅に入線。先頭は「K&H」トレインマークで、これは佐土原で撮影したところで状況は同じだったようです。

そして延岡方のトレインマークは・・・、やはり「きりしま」に変わっていました。この特急、宮崎を境に列車名が変わるんですね。しかし、停車時間もそこそこあるので、もう少し「ひゅうが」のままでいて欲しかった。

やっぱり、昨年11月に「ドリームにちりん」で宮崎に来たときに、きちんと「ひゅうが」幕を延岡あたりで撮影しておけば良かったなあと後悔。本日の485系「ひゅうが」は夜まで運転されない上、これを撮影していると鹿児島到着が深夜になってしまうので、もう諦めるしかありません。ガックリ。

その代わり、こんな並びが撮影できた、ということで自分を慰めてみます。

何はともあれ、最低限の目的は達成できました。あとは夕方に特急「にちりん」が撮影できればバッチリです。

そして(今更ながら)佐土原駅に行き、485系特急「にちりん」を撮影。こちらは宮崎方のホーム先端にて。

一方、大分方からも485系特急「にちりん」が登場。眉毛の無い国鉄色3両編成で、何度か撮影していますが、今回初めて国鉄時代の「にちりん」マークを掲出した状態で撮影できました。

未撮影だった「ひゅうが」トレインマークを記録し損ねたのは痛かったですが、それを帳消しにする成果でございます。

佐土原駅での交換シーン。これもこれで、非常に良い記録となりました。
「ひゅうが」をここで撮影していれば、さっさと観光に出かけてしまっていたので、どちらの方が良い記録になったのか、少し悩むところです。

駅前から佐土原城へ行くべくバスに乗車。最寄りのバス停(佐土原小)へは、宮崎から来るバスしか通らないようで、タクシーで行くことも覚悟していましたが、ここからも佐土原小に近いバス停に停まるとのこと。

親切な宮崎交通の運転手さんに道順を案内してもらいながら、佐土原城の二の丸御殿を推定復元した、鶴松館(かくしょうかん)へ。絵図がないため、発掘成果を元に規模と内部を推定したものだそうです。

続いて山麓に建てられた鶴松館の横から登城してみます。
早速、深い切り通しのようなところに出ます。わざとこのような形状になっているそうで、中世の山城らしい防御機能を追求した雰囲気です。

ここで中世以降の佐土原の歴史を少々。
佐土原は源頼朝によって日向の地頭に任命された工藤祐経が、一族を下向させて領有。後に工藤祐経は、曾我兄弟の敵討ちによって殺害され、祐経の子である祐時が、伊東氏を名乗ります。
*余談ですが、曾我兄弟は、所領を争っていた一族の伊東祐親(娘が源頼朝の子を生んだことに驚き、これを殺害したことで有名)の孫。遺恨が長く続いていたわけですね。

さて、この佐土原城。14世紀半ばごろに伊東氏の一族田島休助によって田島城として建てられ、室町時代になると伊東氏の本家が領有。さらに戦国大名、伊東義祐(1512〜1585年)は佐土原城を本拠に、伊東四十八城と総称される外城、砦をネットワークに、薩摩の島津家と抗争します。

(↑南の城エリア)
しかし1577(天正5)年、伊東義祐は島津家に敗北して佐土原城を失います。関ヶ原の戦い後に一時幕府領となった後、1603(慶長8)年に島津以久に与えられ、佐土原藩が成立。以後、薩摩藩の島津氏一門の藩として明治になるまで栄えました。

なお、佐土原城は1869(明治2)年に新たに建造を開始した広瀬城に本拠を移すにあたって壊され、山麓の居館部分は田畑となってしまいます。その広瀬城も、廃藩置県によって佐土原藩が無くなったことにより、未完のまま終わりました。

また伊東氏は後に羽柴秀吉に臣従し、旧領の飫肥(おび)などを回復。関ヶ原の戦いでは東軍につき、江戸時代は飫肥藩主として明治維新を迎えました。

さて、本丸跡まで来ました。広い空間が残っているだけですが、ところどころに木の切り株がありまして、整備された様子が伺えます。

一部には石垣が残っていますが、これは発掘調査の結果、天守台の跡と推定されています。ただ、いつの時代のものかは不明とのこと。

麓に下りてきまして、佐土原城の全景。戦国時代には、どのような姿だったのでしょうね。

また麓には佐土原歴史博物館があります。入り口には廃止された妻線の乗り換え案内がありました。ただ、時間の都合で内部見学はカット。

さて、鶴松館のほぼ向かい側に出ます。こちらは佐土原小学校ですが、江戸時代は藩校である学習館でした。

脇を流れる川は、かつての外堀です。

そして、佐土原小学校脇の追手門跡。ここまでが城の範囲で、ここから手前が町人たちの町でした。

そこに残るのが坂本家(阪本家)。かつては醤油や味噌の醸造と販売を行っていた家で、この建物は1905(明治38)年の建築。

老朽化で取り壊されるところを、惜しむ声が広がり、御当主が佐土原町(現・宮崎市)に寄付を行い、商家資料館として使われています。

中では佐土原人形による、雛人形が展示されていました。穏和な感じが非常に暖かみがあります。3月3日は過ぎていますが、旧暦ではまだ先のはず。むしろ今飾っておくのがベストと言えるでしょう。

併せて、よく見かけるタイプの雛人形も飾られていました。どちらが優れているというわけではなく、それぞれに魅力がありますね。

2階では色々な昔の道具を公開。このカメラ、一度使ってみたいなあ・・・。

そして佐土原小学校バス停から、宮崎交通のバスで宮崎市内へ。狙うは国鉄色5連の宮崎行き「きりしま」。どこで撮影しようかと考えましたが、これといって思い当たる場所もなく・・・。

結局、昨年11月に与太郎さんと訪問した宮崎〜南宮崎間の大淀川橋梁で撮影することにしました。まずは717系。

783系特急「にちりんシーガイア」。

日南線のキハ40系。

485系特急「きりしま」。

手前にひきつけてもう1枚。

先ほどの783系「にちりんシーガイア」の宮崎方面への回送。

今度はキハ40系2両編成。

そして、目当ての国鉄色5連の485系特急「きりしま」9号。

ズームレンズで色々撮影しましたが、個人的にまずまずの結果。

さらに、485系特急「にちりん」9号を撮影し、ここを離れました。
それにしても、ハウステンボス時代から続くこのカラフルなカラーリング、引退させるには勿体無いです。見ていると子供達にも人気が高いですし。

とりあえず一旦、南宮崎駅に向かいます。

カラフルなJR九州の普通列車たち。

さて、485系国鉄色5連。次に宮崎空港発の特急「にちりん」運用に就くのですが、しばらく時間があります。その間、宮崎神宮駅にいることが予想されたため、向かってみると大正解。

じっくりと485系を堪能することが可能でした。

ちなみに宮崎方は撮影がしやすいです。こちらは下り列車の場合。

上り列車の場合はこんな雰囲気。こちら、佐土原行きのキハ40系。電化区間を走っていきます。

783系特急「にちりん」が通過。

さて、485系も堪能しました。それでは、本日最大の目的である国鉄色5連「にちりん」を狙うべく、宮崎空港まで向かうことにします。

しかし、「宮城県の地震の影響による津波警報が出ており、列車の運転を見合わせます」とのこと。後にただならぬ地震と津波であることを知りましたが、このときは「宮城で宮崎に津波警報?大げさな・・・」と考え、なんとしても本日の主目的を達成すべく、南宮崎駅で辛抱強く待ちます。

宮崎空港行きの783系特急「にちりん」もやってきましたが、ここで完全にストップ。とりあえず「困った、これでは夕方の485系特急「にちりん」国鉄色にも支障が出る」、とまだ心の余裕も多少ありましたが。

そのうちに携帯電話のニュースサイトやツイッターで断片的な情報ながらも、ただごとならぬ地震であったことが断片的に入ってきます。

本日はこれから鹿児島市まで行かないといけないので、目先のこととしては交通手段の確保が不安ではありますが、それ以上に恐ろしい被害状況が少しずつしか入ってこないのが非常に不安になります。

とりあえず2時間待って、南宮崎駅近くのダイエー(宮交シティ)に併設されている宮崎交通のバスセンターより高速バスに乗車。

予定を大幅に上回る出発時間と所要時間により、21時過ぎに鹿児島中央駅に到着。宿泊先である東横インの部屋のテレビにて、衝撃的な映像を見ることになるのでした。

本日のラストは、明日から環境が激変する九州新幹線ホームの見学。

800系「つばめ」の新八代でリレーつばめと接続の文字も本日で見納め。

色々不安な気持ちを抱えながら、非常に遅い夕食を取り、ホテルに戻るのでした。それでも夕食の段階では、「そうだ、3月末に”かもしか”色の特急つがるを撮影しに、青森に行こう」なんて考えていたぐらいなので、事態の深刻さを把握しておらず、改めて宿で映像を見て、完全に仰天するのでした。



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