2011年5月5日 いすみ鉄道キハ52形&ポッポの丘


GW中は首都圏から出ることは無かったものの、実にいろいろな場所に出かけております。う〜む、4月以降は金銭面の問題で旅行を自粛しようと決めていたはずなのですが、何も変わらんじゃなイカ。

さて、本日はデューク所員、ムスタファ所員(久々登場!)、ロクマルサン所員と千葉県の「いすみ鉄道」、それから小湊鉄道を堪能します。

まずは東京駅で集合しますが、しばし時間があったため、久しぶりに八重洲口を撮影。駅ビルが消え、このように実にすっきりとした姿になっておりました。

一方、一部では新しい姿も出来上がりつつありました。これから、八重洲口全体がこんな姿になるんでしょう。

さて、東北・上越新幹線ホームに上がってみるとE5系「はやぶさ」と遭遇。

多くの人だかりが出来ていたグランクラスの前。「がんばろう日本!がんばろう東北!」ステッカーが貼られています。

E5系のみならず、E2系や・・・。

E3系(こちらは「つなげろう日本。」など、別の新幹線にもステッカーが貼られています。

特に深い意味はありませんが300系を撮影。
そして総武線ホームでスタッフと合流し、千葉で外房線に乗り換えて大原駅へと向かいます。ムスタファさんのおかげで、早速車内で美味しいものを食べ始めたり・・・。こ、こんなの所長の旅じゃない!(笑)

そして大原駅に到着し、先にキハ52形の急行券を購入。そして、いすみ200形を撮影した後、近くでキハ52形を撮影できそうな場所を探します。

途中の民家には美しい藤棚がありました。

結局、直ぐ近くの踏み切りで撮影することに。まずは255系特急「わかしお」を撮影しておきます。

もはや大半の運用を担うようになっている209系。

そして先ほどの、いすみ200形が出発し・・・。

続いてキハ52形が入線してきました。いやあ、ピカピカ!

前後で異なる種別・愛称なのが多少不思議な感じです。1列車で二度美味しいとも言えますが・・・。さて、大原駅に戻ってキハ52形に乗り込みます。

今回は大原駅から、小湊鉄道の五井駅まで横断乗車券と、大多喜駅までの急行券を使用します。急行券は硬券になっていて、昔の雰囲気を出しています。

車内の様子。ワンマン機器や掲示類など、JR西日本時代と変わらぬ状態にされています。その一方、広告類は社長秘蔵の昔のものを掲示。あまりの美麗な保存状態に、新品かと見間違えるぐらいです。

途中、なにやらムーミンな風景が展開。

そして上総東駅に停車して、いすみ200形と交換します。その間に撮影時間が設けられましたので、外で撮影することが出来ました。これは有難い!乗っていても撮り鉄が楽しめます。

そして、国吉駅に近づくとボンネットバスが見えてきます。この狙ったかのような場所に止められているのは面白い。タイムスリップしたような感じです。昭和30年代や40年代なんか、舗装されていない道路が多く、草ボーボーなのが当たり前だったんでしょうね。

国吉駅でも撮影タイムがあり、キハ52形を堪能することが出来ました。

また国吉駅では昭和再現イベントとしてオート三輪も展示。

さらに国鉄色の自動販売機も設置されていました。JRでも国鉄特急色の自動販売機とか、湘南色の自動販売機とか(80系湘南色キオスクなら藤沢にありますが)、設置してくれませんかね。

さて、大多喜駅からはタクシーに乗って、4月29日にオープンした「ポッポの丘」に向かいます。往復4000円かかりましたが、4人で来ていますので、まあ許容範囲内の交通額です。

ここには3両の鉄道車両が保存されており、「鶏卵牧場」(村石愛二社長)による農畜産物直売所として使われています。


加越能鉄道デ7052。同タイプの車両は加越能鉄道の路面電車部門を引き継いだ、万葉線でも活躍してはいますが、オリジナルの塗装を保っているのはこの車両だけ。私にとっては小学生時代に毎日のように高岡市で見ていたので、それはもう懐かしくて仕方がありません。

北陸鉄道のモハ3752。美しい姿になって展示されています、

地元の「いすみ鉄道」いすみ204。

30kgレールと運搬トロッコ。このあたりの線路を初めて敷設したときに使われたものだそうで、大変貴重なもの。偶然にも社長さんとお話しする機会に恵まれ、車両保存の御礼を申し上げてきました。本当に頭が下がります。

さて、大多喜町の中心部に戻ってきた所長一行。古い町並みが好きなら、ということでタクシーの運転手さんに降ろしていただいたのは、夷隅神社の参道の脇にある国登録有形文化財の大屋旅館の前でした。1885(明治18)年の建築です。

なんと、正岡子規が学生時代に泊まったとか。

続いて豊乃鶴酒造。1874(明治7)年の建築で、二階の軒を出桁造としていることなどが特徴。

こちらは商い資料館。明治時代に建てられたものだそうで、所有者の変遷と共に外観が大きく失われていたものを、大多喜町が復元して活用しているものです。

ここで展示されているソロバンが面白いものでして、通常は上の段の珠は1つであるところ、これは2個なのです。いったい何故なのか、は不明とのこと。ただ、観光客の中には東北で上の段が3つのものを見たことがある、だとか。

使用者の使い勝手によって、特注品が作られたのでしょうか。

江沢家住宅。土蔵造りの立派な商家で、「釜谷」の屋号で質屋・金物店を営業していました。整備すれば、川越の街並みのような雰囲気になりそうですね。

こちらは国登録有形文化財の伊勢幸酒店。1873(明治6)年築、1921(大正10)年と1970(昭和45)年に改修されたもの。

国指定重要文化財の渡辺家住宅。1849(嘉永2年)に建てられました。なお、渡辺家は大多喜藩の軍用金御用達をつとめた家柄です。

そして今日の所長一行の旅行は何かが違う。地元のカツ料理店で揚げハンバーグ定食をいただきました。しかも、その前にはムスタファさん持参の柿の葉寿司まで食べるという・・・。

続いて大多喜駅に戻ります。何となくかわいらしかったので、保線用の車両を撮影し、いすみ200形に乗車して終点の上総中野駅へ行きます。

上総中野駅では小湊鉄道と接続。我々の列車(いすみ鉄道)が先に到着したので、小湊鉄道キハ200形の入線を撮影します。

いすみ鉄道と小湊鉄道の並び。

途中駅で降りたいのは山々でしたが、次の列車までの時間がかなり先になるため、小湊鉄道は終点の五井駅まで直行しました。

その代わり、昨年5月の裏辺研究所オフ会でも見学した小湊鉄道の蒸気機関車保存車両と・・・。

キハ5800形を事務所に申請して見学。前回見たときは雨の中でしたし、今回のメンバーの中で昨年のオフ会昼の部に参加していたのは私とロクマルサン所員だけ。ちょうど良い機会になりました。

そして五井駅からは211系に乗車して蘇我駅へ。

・・・認識の相違で、ムスタファさんを蘇我駅に放置してしまうという大失態を犯し、千葉みなと駅で下車。さらに201系が蘇我駅に下っていったので、ムスタファさんに連絡して、この折り返しで東京駅に戻ることにします。

その間に、モノレールをちょこっと撮影。

そして201系に乗車して、いざ東京駅へ。やはり、この201系には個人的に格別の思い入れがありますね。乗ることが出来て満足。

そしてこの201系、折り返しは成東行きになります。激しく成東駅で撮影したい衝動を抑えつつ、東京駅丸の内口の外に出ます。

朝は八重洲口を見ましたが、今度は丸の内口の駅舎の現況を。大半が覆われていますが・・・。

いよいよドーム型の屋根が見えてきました。復元工事は着々と進行しているようで、完成が楽しみです。もちろん、戦災で燃えて応急復旧した姿も歴史を伝える意味では大切だと思いますが、辰野金吾という建築家の作品として、本来あるべき姿になって欲しいというのが私の気持ちです。

ここで、ロクマルサン所員が東京駅周辺を殆ど歩いたことが無い、ということでしたので、軽く散策することにしました。

三菱一号館美術館。未だに中に入ったことがありません。

明治生命館。

戦後、GHQが置かれた第一生命館。

さて、千葉に行ったばかりですが8日も千葉に向かいます。

↑ PAGE TOP