2011年6月25日〜26日 485系「かもめ」「みどり」を求めて長崎へ


さて、長崎で朝を迎えます。台風が接近中ということで天候が心配されましたが、なんとか大丈夫・・・そうな感じ。早速、長崎駅に向かいます。その前に、路面電車を1枚パチリ。

長崎駅に着くと、キハ66系国鉄色発見!もちろん撮影します。

今や「かもめ」も787系が主力の1つ。・・・と、ここで雨が強くなってきました。

シーサイドライナー塗装のキハ220形200番台にも遭遇。

前2両はキハ200形0番台・1000番台。見た目はこっちが上ですが、行き先表示の見易さはキハ220形200番台ですね。

さて・・・雨が・・・酷くなる・・・。 今日は長崎観光は不可能なようで、と諦めつつも、とりあえずタクシーに乗って坂本龍馬ゆかりの亀山社中跡に向かいます。移動時間の短縮を図ったはずが、丘の上にあることもあって、道路事情が悪く猛烈な遠回り。タクシー代1600円という目を疑う金額を払いましたとさ。

さて、現地に着くと雨が弱まっており、開館時間に少し早かった亀山社中に行く前に、近くの風頭公園で坂本龍馬像を撮影。

ゼニガタ所員と2人でお馬鹿ポーズ。・・・いや、なんかインパクト弱いなあ。

公園ではアジサイが美しく咲いていました。

さて、亀山社中を見学。7年前に氷川副所長と来て以来です。その時と異なり、長崎市の所有となって2009(平成21)年にリニューアル。どこまで坂本龍馬がいた頃と同じなのか・・・というのは推測するしかありませんが、いずれにせよ、ここで坂本龍馬を始めとする若者が活動していたわけです。

龍馬が使用したピストルの複製品。

龍馬が所有していた刀「陸奥守吉行」の複製品。

さて、麓に下りると寺町という地名の通り、お寺だらけの空間。こちらの立派なお寺は・・・。

・・・という、なんともインターナショナル寺(笑)。そうか、ホンガンジミッションなのか・・・。

さて、このような立派な石垣の通りを歩きまして。

さて、この寺町最大の見所は日本最古の黄檗宗の寺院である興福寺。1624年(寛永元年)に中国僧の真円(しんえん)により創建されたもので、中国風の建築が特徴です。建物は殆どが国の重要文化財か県の文化財。

本堂である大雄宝殿(国の重要文化財)。

そして眼鏡橋を初めて見ます。1634(寛永11)年、興福寺の黙子如定禅師が架設し、長さ22m、幅3.65m、川面までの高さ5.46mという石造二連アーチ橋。国の重要文化財に指定されています。

続いて賑橋電停から路面電車に乗ります。昨日の夜からお腹の具合が最悪の所長さん、近くのコンビニのトイレに駆け込んで思わぬタイムロスをしたために、最新鋭の5000形が撮影できました。ほらロクさん、ゼニガタさん、所長の腹具合の悪さもたまには役に立つんだよ!

最近のLRVに比べると、かなりカクカクした感じ。デザイン的には、イマイチ萌えるものが無いような・・・。個人的には、ですが。

さて、長崎駅に戻って485系特急「かもめ」を撮影。首都圏でしたら大フィーバー状態ですが、撮影している人は僅か。実にまったりと撮影できます。

隣の浦上駅でも撮影。運転停車してくれたので、停車中の姿もパチリ。

浦上駅を発車していく485系特急「かもめ」。さて、次に何のリバイバル運転が実施されるのやら。485系には思い入れがありますので、また撮影に行きたいものです。

さて、浦上駅を出た所長一行は路面電車で移動を開始。再び長崎駅方面へ向かいます。目的の列車が来るまで、赤迫方面の列車を撮影しておりますと、LRVの3000形が・・・。

2本連続で登場。

そして、大浦天主堂下電停で下車し、国指定重要文化財の旧長崎税関下り松派出所(現・長崎市べっ甲工芸館)を撮影。1898(明治31)年に建築されたもので、派出所ということで小さな税関ですね。

その直ぐ近くにある、この立派な建物は旧香港上海銀行長崎支店。1904(明治37)年、下田菊太郎の設計で竣工したもので、長崎の石造建築の中でも特に大きなものです。銀行は1931(昭和6)年に閉鎖され、警察署庁舎、歴史民俗資料館として利用。 一時は解体の計画もありましたが、多くの市民の声を受けて長崎市が保存整備を行い、現在は長崎市旧香港上海銀行長崎支店記念館として活用。国の重要文化財に指定されています。

そして大浦天主堂へ。7年前にも来ていますが、中に入るのは今回が初めて。 1864(元治元)に日本でもいち早く建てられた教会で、これを1875(明治8)年から1879(明治12)年にかけて大改造したのが現在の姿です。なんと、国宝です。 内部の撮影は禁止だったので、ご紹介できないのが残念。 まあ、本場ヨーロッパの教会と比べてしまうと・・・ですけど、幕末、明治に見よう見まねでステンドグラスを多数取り入れ、教会建築らしい荘厳さを出しているのは驚嘆に値します。

さらにグラバー園へ。幕末に武器商人として坂本龍馬や薩長と深く関わった、トーマス・ブレーク・グラバーの邸宅(上写真)などを保存している場所。これについては、ホームページで順次ご紹介できればと思います。7年前に撮影したショボイ写真は、既に紹介済ですが・・・。 それにしても、雨が強く降ったり弱まったりの繰り返しで、グラバー園では大幅に体力を消耗。一同、ぐったりしながら長崎駅に戻ります。

何しろ午後5時30分に福岡空港を出る飛行機に乗らないといけないので、午後2時21分の特急「かもめ」に乗らないといけません。天気がよければ、ラマダンしてでも出島・・・という選択肢もあったのですが、あいにくの空模様。お腹もかなり空いたことですし・・・。

なんと駅ビルのロイヤルホストで長崎限定メニューとして、トルコライスが販売されていたので、これを3人とも注文。私の旅行で、デュークさんやムスタファさんが不在であるにもかかわらず、昼飯が正規の時間に腹いっぱい食べられるとは、信じられないですぞ。なんて人間らしい旅行なんだ(笑)。 ・・・スミマセン、本来はこれが当たり前ですね。

長崎駅では入れ換え作業中のキハ200系ハウステンボス色を撮影。

今回は嫌と言うほど(?)撮影することになったキハ66系シーサイドライナー色。

AROUND THE KYUSYU カラーとなった885系特急「かもめ」で博多に向かいます。黄色いアクセントカラーの885系も残してもらえないものでしょうか・・・。

なお、強風の影響による徐行運転で、特急とは思えないノロノロ運転。帰りの飛行機への余裕は持たせてありましたが、かなり焦りました。ちなみに佐賀駅では大挙して乗客が乗り込み、立客も多数。今や特急は20分間隔ですが、これには驚きでした。

何だかんだ10分遅れで博多駅に到着し、橋上の改札口を撮影します。

そしてゼニガタ所員と博多でお別れし、私とロクマルサン所員は19時10分に羽田空港に着。翌日の仕事を考えて、あまり夜が遅くならないうちに帰宅することが出来ました。 485系もさることながら、2月にリン所員と長崎の軍艦島に行った際に、スケジュールの都合で長崎観光が出来なかったのが心残りでしたので、早いうちに再訪出来て大満足。

しかし、今回も出島を歩くことが出来なかったので、また機会を見つけて訪れたいものです。そして、またまた私のワガママにお付き合いいただいた皆様、有難うございました。旅はみんなでワイワイやって、思い出を共有するのが楽しいですね。

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