2011年7月16日〜17日 京都・奈良の名所旧跡を巡る


7月の3連休、各地にお出かけの方も多いと思いますが私は京都&奈良に1泊2日の旅行。なんでも氷川副所長が中学1年生の甥っ子に名所旧跡を見せて欲しいという御依頼で、今回は所長、氷川副所長、氷川副所長の甥っ子、水澄所員、さらに2日目はゼニガタ所員も追加という、いささか面白いメンバーで旅行となりました。 さて、山口からやってくる氷川副所長達との合流は午前11時過ぎという遅めであったため、私は先行して京都に到着し、JR嵯峨野線に乗って嵯峨嵐山駅へ。列車を降りると、さっそく嵯峨野観光鉄道の車両が停車していました。DE10形のヘッドマークが格好良い!

嵯峨嵐山駅を見たのは6年ぶり。このような和風を意識した雰囲気の橋上駅舎に建て変わっていました。

以前は1897(明治30)年に京都鉄道の駅として開業した当時の駅舎でした。2007(平成19)年に解体されたそうで、100年以上も歴史を持つ駅を解体するとは、なんとも残念な限りでした。まあ、当時では良くあるタイプのデザインの駅ですけどね。

さて新駅舎ですが、この南北自由通路は素晴らしいデザインです。円形の窓や障子など、和室をイメージした雰囲気で構成されており、まさに京都らしい雰囲気。古建築好きではありますが、さすがにこれは旧駅舎よりも現地に合うような感じです。

さて、ここに来た理由は嵯峨野観光鉄道のトロッコ嵯峨駅にオープンした「ジオラマ・京都・JAPAN」の見学。HOゲージの鉄道模型ジオラマを、実物のEF66形の運転台を使って運転することが出来るのです(追加料金として1000円が必要)。

オープンと同時に入場したため、並ぶことなく早速運転体験が出来ました。 ・・・相手が鉄道模型とは言え、機関車の運転台で実際に運転なんて出来るものではありません。以前に関東鉄道において、構内の線路上ですが運転体験をしているので、そのときほどの感動はありませんが、しかしこれはこれでハマります。

さて、様々な京都の景観が再現されているのがジオラマの特徴ですが、その中でも清水寺は必見。細かいところまで余すところなく再現されています。

なお、運転台は多数設置されておりまして、EF66形ならずとも色々な運転台で色々な車両を動かすことが出来ます。

また、19世紀ホールも久しぶりに見学。「出雲」のヘッドマークをつけたC56は精悍な姿で格好いいですね。

こちらはなんと、「北斗星」のマークをつけたC58形。ありえない組み合わせですが、なかなか似合う(笑)。

さて、まだ待ち合わせの時間にまで余裕があったので天龍寺に行ってみることに。途中、長慶天皇陵というのを見つけたので撮影。南北朝時代、第98代にして南朝としては第3代天皇です。

そして素晴らしい天候の中、天龍寺に到着。足利尊氏が後醍醐天皇菩提を弔うために建立した寺院で、京都五山の第一として栄えますが、歴史上はたびたび火災に巻き込まれ、現在残る建物は明治後半〜昭和初期にかけて整備されたものです。

2008年にも来た天龍寺ですが、この庭園は何度見ても本当に見事。創建時に夢窓疎石の手によって作庭された頃の面影を今に伝えています。

この石の組み合わせは、たまらない萌えポイントです(笑)。

そして嵐電嵯峨〜嵐山間で京福電鉄のモボ21形を撮影。

さらに嵐電嵯峨駅でモボ621形を撮影。こちらもJR西日本同様、単色化が進んでしまいましたね。う〜ん、綺麗なようなそうじゃないような・・・。

そしてJR京都駅に戻り、EF66形による貨物列車を撮影。

そしてJR西日本リニューアル色の113系草津線と・・・。

見事に単色化された抹茶色の113系湖西線を撮影。

そして103系奈良線を撮影したところで副所長達と合流し、地下鉄に乗り換えて丸太町駅で下車します。

向かった先は京都御所と、その周辺に広がる京都御苑。京都御苑は公家の屋敷が広がっていた御所周辺の空間で、明治時代に屋敷は次々と取り壊されていったのですが、五摂家の一つ九條家の屋敷内に設けられた茶室「拾翠亭」と庭園「九條池」は、その雰囲気を今に伝えてくれています。

拾翠亭は江戸時代後期に建てられたもので、意外と質素な造り。

そして京都御所に到着。内部は事前の予約がないとは入れないので、外から見るだけ。機会があれば、ぜひ中に入ってみたいものです。

しかし、外から見るだけでも高貴な雰囲気は充分に感じられます(笑)。

こちらは閑院宮家跡。閑院宮家は伏見宮家、桂宮家、有栖川宮家と並ぶ四親王家の一つであり、この建物はその名残を今に伝えています。ただ、建物について詳しいことは良く解っていないそうです。 現在は環境賞の所管で、外観こそ立派な雰囲気ですが、内部は遺構を保存した上で現代的に改装。京都御苑の歴史と、ここで見られる鳥達などの解説が展示されています。 さてさて、次の目的地へ向かいます。しかしこの日は暑かった・・・。

京都御所を見た後、バスに乗って平安神宮へ向かいます。平安神宮は明治28年、平安遷都1100年を記念して、第50代天皇の桓武天皇をご祭神として創建されました。もちろん、桓武天皇といえば泣くよウグイス平安京でお馴染み、794年に平安京遷都を実施した天皇ですね。 この神社の最大の見所は、その当時の平安京の正庁である朝堂院を8分の5のスケールで

して建てていること。前回の京都御所とは全く変わって、朱塗りの鮮やかな建物です。まず上写真は応天門(神門)。

そして大極殿(外拝殿)。

蒼龍楼。4隅に設けた望楼の形がたまりません(笑)。

そして南に歩くと、京都府立図書館が見えてきます。1909(明治42)年に建てられたもので、このように一部が保存されています。アニメ「けいおん!!」のブルーレイ&DVD の第9巻に収録された番外編「計画!」に登場した場所ですね。ハァハァ・・・。隣の公園も登場していたようで、写真撮っておけばよかった。
この界隈は8年前に歩いて以来なのですが、まさかこんな視点でこの建築を見ることになるとは思いませんでした。聖地巡礼、バンザイ。

向かい側は1933(昭和8)年に竣工した京都市立美術館。この時代に少し流行した帝冠様式という、洋風建築に和風の屋根を載せたビルとなっているのが特徴です。

続いて東に歩きまして、無鄰庵(むりんあん)という山縣有朋の別荘へ。南禅寺の近く、琵琶湖疏水のほとりにあります。

庭園は7代目小川治兵衛に作庭させたもので、1951(昭和26)年に国の名勝に指定されています。

以前にテレビで見て感動し、ぜひこれは一度見ねば! ・・・と行ってみたのですが、ウィキペディアに掲載されている写真と見比べれば一目瞭然。芝生の草がボーボーになってしまっており、樹木の手入れも行き届いていない状態(だと素人目には思う)。 う〜ん、何か微妙な感じでした。

ちなみに1898(明治31)年に建てられた小さな洋館が併設されておりまして、2階の部屋は要人との会合に使われたそうです。1903(明治36)年には、いわゆる無鄰庵会議が開かれ、日露戦争前のロシアに対する外交方針について、元老山縣有朋、政友会総裁伊藤博文、総理大臣桂太郎、外務大臣小村寿太郎で話し合いが行われたそうです。

続いて見えてきたのがインクライン。京都と琵琶湖を結んだ水路「琵琶湖疏水」(1890年に第1疏水、1912年に第2疏水が完成)において、船が登れない坂に対応するために引かれた線路です。

このように、まるで橋のような貨車に船を載せて行き来しました。

琵琶湖疏水記念館にあった模型より。

こちらが琵琶湖疏水が完成した当時の様子を再現した模型。

これから行く南禅寺にも水路が通っており、一部にはローマの水道橋を思わせるような「水路閣」があります。

ちなみに資料館では思わぬ人物紹介と対面。西郷隆盛の長男である、西郷菊次郎(1861〜1928年)、1904(明治37)年から6年半、京都市長を務めました。 叔父の西郷従道に良く似ていらっしゃいます。写真を残さなかった西郷隆盛ですが、やはり上野の銅像やよく知られているキヨッソーネが描いた肖像画は西郷隆盛本人には似ておらず、実際にはこんな顔だったんでしょうね。

そして南禅寺に到着。物凄く迫力のある三門は、1628(寛永5)年の建築。上に登ることもできました。

そして水路閣をしっかりと撮影。1890(明治23)年に建てられたもので、お寺の境内にはちょっと相応しくないですが、このアーチが連なる形状は素晴らしすぎます。

このように水路閣と周辺は水路が引かれており、琵琶湖の水が現在でも注がれ続けています。

こちらは南禅寺境内の南禅院の庭園で撮影した1枚。なかなかソレっぽい雰囲気の写真には仕上がらないものです。

こんな感じではいかがでしょうか。ともあれ、色々こういう写真を撮影する技術も向上させたいものです。

南禅寺の境内も素晴らしいですね。

時間の都合と暑さで、すべてを見て回ることは出来なかったので、また機会を改めてゆっくり散策してみたいと思います。今度は晩秋がいいなあ。

ちなみに入ることは出来ませんでしたが、応仁の乱での西軍総大将、山名宗全の墓もあるようです。

さて、本日はこれより奈良に向かいます。地下鉄東西線蹴上駅より六地蔵駅に出て、JR奈良線に乗り換えるのですが、その前に蹴上駅の近くでレンガ造りの建物を発見。 どうやらこれも琵琶湖疏水に関連したもので、明治45年に完成した旧蹴上第2発電所だそうです。

京都での最後に、かつての京阪京津線蹴上駅跡を撮影。地下鉄東西線が出来る前までは、この道路上を京阪の電車が行き来していました。今や何の面影もありませんね。

さて、JR奈良線で奈良駅に到着。高架化工事が大詰めを迎える奈良駅ですが、改札を出てびっくり。大仏殿の中のような、この景観はどうしたことでしょう。度肝を抜かれました。 ・・・と、同時に天井が低いので圧迫感が・・・。

外観もホーム部分の外壁が凝ったデザインになっています。一方、それ以外の部分はどうも安っぽい・・・。

観光案内所に転用された旧駅舎のほうが、やはり風格があります。引き続き玄関部分として使用すればよかったのに・・・と個人的には思いますね。

さて、普段は東横インユーザーな私ですが、たまには少し値段が高い宿泊先にしよう、という氷川副所長の提案に従った結果、このような夕食が出るホテルになりました。 大変美味でした。

さらに朝食も豪華でして、これで1万5000円ならお手ごろです。 誰かさんの飛行機お尻贅沢病も、こういう食事を加味すればエコノミークラスと値段差はかなり縮まるという話でしたが、たしかにビジネスホテル+ちょっと奮発した食事、と比較すれば、こういう値段の少し高いホテルも充分にありだと感じました。


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