2011年8月8日〜9日 会津若松経由の新潟〜仙台旅行


ここのところ、どこに行くにも複数人を巻き込んでいる状況ですが、今回は毎年夏の恒例、秩父路号所員がイギリスより日本に帰国ということで、大規模な旅行を実行することにしました。直前に新潟・福島豪雨が発生し、上越線、磐越西線、只見線が不通となり、旅行の行程が二転三転せざるを得なくなったのが主催者としては大変でしたが・・・。 さて、今回の参加者は所長、喜多見所員(マンホール調査隊隊長)、ネオン所員、リン所員、ゼニガタ所員、秩父路号所員。

まずは日本各地から新潟に向けて集合。私は喜多見隊長、秩父路号所員と共に上越新幹線「とき」に乗車して新潟駅に降り立ちます。久しぶりの200系は非常に快適でした。隣に写っているE4系より、断然こっち・・・。

そして新潟駅に着くと、キハ120形とキハ110形が渾然一体となっている5両編成に遭遇。

そして早速、583系急行「きたぐに」の入線を狙います。

天気が良すぎて、架線や跨線橋の影が目立ちますが、まあ仕方が無いでしょう。

そして583系は車庫に向けて回送されていきました。では、ここからレンタカーで新潟県内を移動開始します。

まずは、ここにいないはずのKIX所員に運用を調べてもらい、115系湘南色を狙うことにします。どこで撮影しようか悩んだ結果、信越本線の荻川〜さつき野間にすることに。

次から次へと列車がやってくるので、飽きないのがいいですね。

日本海を走る貨物列車もやってきます。EF81形だったら、なお良かったのですが。

未だ115系天国の新潟。東日本大震災の関係で、新型車両の投入も遠のいたかもしれませんが、しかし置き換えが始まれば一瞬でしょうから、しっかり記録しておきます。

同じ115系でも列車ごとに塗装や編成などが異なるので、意外と面白いです。

485系特急「北越」。

こちらは485系3000番台による特急「北越」。いつの間にやら、485系にとって新潟が最後の楽園となってしまいました。

そして115系湘南色をゲット。4両編成、そしてJRマーク無しなのが特徴です。 旅行を計画した当初は無かったネタだったので、これは撮影できて大満足。グロッグフロッグ所員、KIX所員有難うございました。

そしてレンタカーで、新潟県加茂市にある冬鳥越スキーガーデンへ。ここには、かつて加茂〜村松〜五泉で運行していた蒲原鉄道の車両が保存されています。蒲原鉄道は1985年に加茂〜村松、1999年に村松〜五泉が廃止になりました。 さて、車両は塗り替えもしばしば行われているようで、非常に美麗な状態。写真右手がモハ1形、左手がモハ61です。

それからED1形電気機関車も保存されています。当初は、村松駅跡に保存されていました。

架線もあって、現役時代を彷彿とさせる素晴らしい展示です。また、花も非常に美しくて車両との組み合わせも抜群。

ここで秩父路号所員から「お馬鹿ポーズはやらないんですか?」とリクエストが入ったので、言いだしっぺの秩父路号所員、喜多見隊長を巻き込んで1枚。が、人に要求されて行うバカポーズはインスピレーションが・・・。むむ?

ここDA!ここしか無い! 駐車場横の小屋をバックに、改めてバカポーズを決めました。やはり、周りの環境も重要ですな。

さて、次なる目的地へ向かう途中、信越本線をオーバークロスした蒲原鉄道の橋脚をゼニガタ所員に紹介してもらいます。知らない人が見たら、何だこれは?ですね。

蒲原鉄道の保存車両を冬鳥越で見た後、引き続き他の蒲原鉄道の保存車両を見に行くか、他のネタに走るか協議した結果、グロッグフロッグ所員が昔乗ったことのある新潟交通の保存車両を見に行くことに。 1999年4月の廃止時に終点だった月潟駅跡に到着すると、3両の車両が保存されていました。上写真はモハ10形(モハ11号)。1966(昭和41)年に製造され、新潟交通晩年の主力車両として活躍しました。

こちらはモワ51形。1933(昭和8)年に製造された、新潟交通電車線開業時からの生え抜き車両です。

キ100形(キ116号)。鉄道省大宮工場で製造された車両で、国鉄からやってきました。

雑草が少々生い茂っておりますが、未だに駅舎、ホーム、架線が揃っており、現役と見間違えるかのような光景です。

ちなみにホームは堤防上にあるため、このように不思議な形状の駅舎です。

さらに、新潟東港に海外譲渡されるキハ52形や203系がいる(・・・かもしれない)という情報を入手し、車で行ってみることに。幸いにも公道から撮影することが出来まして、フェンス越しではありますが撮影が可能でした。 ・・・いやはや、模型のような光景が展開されております。キハ58系「こがね」もいますね。

望遠レンズで撮影すると、この通り。それにしても、これだけのキハ52形がJR東日本に残っていたのだと改めて実感します。何だか、遠い過去のような感じになってきましたが・・・。

それから203系も1編成分が輸出待ちでした。既にインドネシアに行った車両もいるようですが、こちらはどうなるのでしょうか。・・・インドネシア、行ってみたいなあ。

それから新潟トランシスの周りをぐるぐると周ってみると、日暮里・舎人ライナー用の車両を発見。はて、まだ増備するのか・・・?そのほかには、公道上からは特に車両は見えませんでした。

そして新潟駅に戻り、485系国鉄色による特急「北越」を撮影。急行「能登」の送り込み回送に使うものなので、果たして「能登」運休の本日に運用に入るのか半信半疑でしたが、無事に運用に就いてくれていました。

新潟駅を発車する特急「北越」。う〜ん、今度は沿線で撮影したいものです。

こちらは485系3000番台による特急「いなほ」。ちなみにゼニガタ所員は前日に485系国鉄色の特急「いなほ」の撮影に成功。こちらは全く運用が解らないので、遭遇する確率はかなり低い・・・。羨ましい限りです。

ラストに新潟県立自然科学館へ。ここ、意外に凄い資料が数多く展示されています。こちらは三菱MU-2双発ターボプロップ多用途機。国産初のターボプロップ小型機で、1963(昭和38)年に初飛行しました。

こちらは魚沼鉄道ハ2号3等客車。1911(明治44)年に開通した魚沼鉄道は後に国有化されるも、1944(昭和19)年の資材供出により廃線となったため、1949(昭和24)年にこの車両は頚城鉄道に払い下げされます。1968(昭和43)年に廃車となり、製造元の新潟鐵工所で保存された後、1981(昭和56)年からここに展示されています。

レッドストーンロケット。これがなんと、アメリカ最初の宇宙空間での有人飛行に成功した1961年のマーキュリー計画のフリーダム7号に使用されたものです。・・・と、書いてありましたが公式ホームページで確認すると、実物大のレプリカだとか。

9600形蒸気機関車(29622号)。米坂線などで活躍しました。

南極観測用雪上車KD601。1964(昭和39)年に開発された第1号機で、−60度の低温に耐えたり、5ヶ月間も3人が生活できるようにベッドや調理台などを装備しています。

新潟県警のヘリコプター「こしかぜ」。1975(昭和50)年から1996(平成8)年まで活躍したものです。

そのほかにも北前船の3分の1の模型や・・・。

ナウマンゾウの化石など、様々な展示がありましたが時間切れ。実はここに来る前に、貨物の車両基地などに行って何の戦果も上がらずに時間を浪費していたのが、仇となりました。かなり面白そうな展示が多い感じでしたので、いつかまた訪問してみたいものです。 さて、ここでリン所員とはお別れ。続いてレンタカーの交換を行って、恐ろしい所長の運転で次なる目的地へと向かいます。

新潟からはレンタカーを新型プリウスに乗り換えて移動します。・・・運転はなんと!ワ・タ・シ。普段は職場のワゴン車しか運転しない上に、4月になって人事異動で今の部署に来てから、運転することすら稀になっております。 ・・・ギャー、超緊張しました。ていうか、サイドブレーキが足踏み式だったり、発信があまりにも静かで不気味だったり、そもそも県外で運転すること自体が殆ど無いので、緊張の連続でした。というわけで、何とか新発田市内までは事故を起こさず到着し、ここで運転を喜多見隊長にバトンタッチします。

そして新発田城に到着。4年前に喜多見隊長と訪れて以来で、今回は夕暮れ時の美しい姿でございます。

閉まっている門というのも、なかなかの迫力があります。やはり城はええですのう。

続いてゼニガタ所員の運転で、国鉄赤谷線跡を見に行きます。赤谷線は1984年に廃止になった路線で、新発田〜赤谷間の18.9kmを結んでおりました。廃線跡はごらんのように遊歩道として整備されております。

いやはや、もうこんな時間帯なのですが、これから終点まで行こうという・・・。しかもゼニガタ所員は昨日、レンタサイクルで全線を走破したというのですから恐ろしい。

こちらは米倉駅跡。

暗いのでもはやどこなのか良くわかりません。

遊歩道はここで終わり。

ここからは草むら状態となりますが、引き続き赤谷線跡です。

しばらく進むと、赤谷駅の駅舎を発見!今も集会所と使われているようで、現役なのが嬉しいです。

さらに奥へ奥へと進むと、完全に周りは何も無くなり、突如として広い空間が現れます。ここが終点の東赤谷駅の跡だとか。ここから先は、さらに鉱山への鉄道が延びていたそうですが、さすがに引き返すことにしました。かつての賑わいは完全に無くなっており、とても寂しい感じでした。

それにしても、秩父路号所員もイギリスから帰国するや、なんとマニアックなネタに連れて行かれるのやら。 さて、ここから会津若松へ移動し、夜は喜多方ラーメンのチェーン店でラーメン。いやはや、盛りだくさんの1日でしたが、翌日もまだ濃密な旅行は続きます。

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