2014年12月23日 小机城、茅ヶ崎城ほか横浜市の史跡巡り


福岡から帰ってきた2日後、今度は地元の神奈川県の史跡をしっかり散策しようということで、職場にいる歴史ファン2名と計3名で出撃しました。 まずはJR横浜線の小机駅近くにある、小机城へ向かいます。現在は小机城址市民の森として保存されているもので、創建年代は明らかではありませんが、関東管領上杉氏の城として15世紀前半(永享年間)に築城されたとも云われます。

 文献上は1478(文明10)年に山内上杉氏の家宰である長尾景春が家督争いに不満を持ち反乱を起こした際、小机城主の矢野兵庫助が長尾景春に呼応したと、小机城の名前が登場します。 長尾景春には豊嶋氏など有力武士が味方しますが、山内上杉氏の分家である扇谷上杉氏の重臣・太田道灌が次々と撃破し、小机城も落城。 その後は廃城となりますが、1524(大永4)年に後北条氏配下の笠原信為が城主として配置されて城下の整備を行います。
 そして後北条氏滅亡後、徳川家康が関東に入ると4代目城主の笠原重政は徳川家配下となりますが、近くの台村に住むことになり、再び廃城となりました。

しかし現在でもご覧の通り、空堀が良く残っており、戦国時代の雰囲気を色濃く残していました。一方、本格的な発掘作業は行われていないそうで、全容解明は今後ということのようです。

こちらが往時の縄張りの想定。惜しむらくは本丸の西側に第三京浜道路が建設されて破壊されてしまっていることです。

続いて小机駅前にある雲松院へ。ここは、笠原信為が父の笠原信隆を追悼するために建立したもので、単に小机城の関連史跡として行くことになったのですが、なんと山門が1858(安政5)年築。

さらに本堂は1753(宝暦3)年築で、いずれも横浜市指定有形文化財に指定されています。

続いて、JR新横浜駅の篠原口で下車。高層ビルが建つ新幹線口とはまるで異なる雰囲気で、駅前は平面駐輪場として自転車で埋め尽くされています。

この近くにあるのが篠原城(金子城)。小机城の支城として、戦国時代に金子出雲が築城したものと云われています。詳細は不明ですが、近年に一部が住宅分譲に伴い発掘され、このように立派な解説板も設置されています。

写真に撮ると・・・まあ、何だか良く解りませんが、城跡のようです。とは言え、新横浜駅の近くにこんな城があるとは思わず、驚きでした。

続いて横浜市営地下鉄ブルーラインに乗車して、センター南駅へ。この近くにあるのが茅ヶ崎城で、こちらは平安時代末期に多田源氏の源行綱が築城したとの伝承もありますが、発掘調査の結果、14世紀〜15世紀前半に築城され、16世紀中ごろに後北条氏によって改修されたようです。

こちらも小机城の支城だったようで、後北条氏の時代には座間氏が城番を務めていた模様。後北条氏滅亡により廃城となり、長らく雑木林のような状態になっていたものを、横浜市が整備を行い、平成20年6月から公開しています。 解説板が充実しており、非常に見ごたえがあります。

土塁の跡もはっきりしていますね。

さらにセンター北駅近くにある横浜市歴史博物館へ。こちらは博物館の他、道路を隔てて大塚・歳勝土遺跡という弥生時代の遺跡が公開されています。 一部の方形周溝墓はこのように復元されています。

また、竪穴式住居も復元。本来は写真奥も遺跡がずっと広がっていましたが、こちらはセンター北駅の目の前ということで商業施設や道路として開発されてしまっています。

このほか、付近にあった旧長沢家が港北ニュータウン整備に伴って移築されています。18世紀中ごろ〜後半に建築されたものです。

横浜市歴史博物館の館内も充実の展示内容。こちらは都筑郡衙の復元模型です。郡衙というのは、国ごとに置かれた国府に対し、郡ごとに置かれた役所のことですね。

こちらは中世に鎌倉を支える港として繁栄した、六浦の模型。

こちらは宋銭!

一乗谷朝倉氏遺跡から出土した将棋の駒(複製品)。基本的には今と同じですが、王の前に謎の駒が・・・。

こちらは東海道神奈川宿にあった桜屋という茶屋。海に面した高台にあり、見晴らしの良い店だったそうです。

年貢じゃ!年貢!!

最後にセンター北駅前で開催されていたドイツクリスマスマーケット in 都筑で軽く夕食。ヒュッテと呼ばれる山小屋風の店が出店しており、今年初めのヨーロッパ旅行を思い出す実に楽しい場所でした。

↑ PAGE TOP