2015年1月12日 初めて熱海を観光する


熱海は一度だけ職場の旅行で宿泊したことがあるものの、駅の北側のホテルで宿泊しただけで、実は今まで一度もマトモに歩いたことがなかったのですが、氷川副所長を連れてついに行ってみることにしました。
・・・と言っても調べてみても、やはり温泉がメインであって、あまり観光施設や名所旧跡は無い感じ。そこで、新幹線からも見える熱海城という観光施設に初めて行ってみることにしました。うむ、意外と立派ではないですか。 1959(昭和34)年に建てられたもので、歴史的には城が存在したことはありません。

最上階からの眺めは見事なものです。熱海の町並みが一望できます。こうやって見ると、結構建物が密集していますね。

さて、内部は博物館となっており、1階では様々な武具甲冑が展示されています。ただ、果たして本物なのか確証できませぬ・・・。

こちらは火縄銃。

・・・本物なのか冗談なのか分からないのが、八連発式火縄銃。調べてみると一応、このような火縄銃も開発はされたらしいのですが、これが本物なのかレプリカなのか、そもそも想像で作ったのか・・・謎です。

その他の階にも歴史をテーマにした展示があるのですが、外観に反して非常に狭い展示スペース。とは言え、判じ絵という江戸時代の「なぞなぞ」は初めて知るもので、これは大変勉強になりました。 ちなみに、この絵は「日本橋」を表しています。

その他、和紙と木で昭和40年に作った姫路城の模型は圧巻。今でも建物がかなり残っているとはいえ、往時はこんなにすごかったんですよね・・・。

また、かつて小田原〜熱海を結んでいた熱海鉄道(後に大日本軌道小田原支社)の模型もなかなか見応えがあります。

 このような軽便鉄道でした。 この他、地下1階では無料のゲームコーナーがあり、アーケードゲームや卓球、エアホッケーなどが無料で出来るため、家族連れでかなり賑わっていました。アーケードゲームは思ったほど古いものではありません。 基本的には古き良き昭和の・・・という感じの施設ですが、海抜120mジェット足湯を設置したり、先ほどの判じ絵も最近パネルを新しくしたような感じでしたし、さらに別館としてトリックアート美術館を増床リニューアルオープンさせたり、意外と攻めの経営姿勢が見えました。
 あとは展示されている歴史的資料について、真贋を含めて、もう少し詳しく紹介していただけると嬉しいですね。

続いて、起雲閣という建物を見に行きます。

こちらは、丹那トンネル開通時の鉄道大臣など政財界で活躍した内田信也が、1919(大正8)年に実母の静養の地として造った別荘です。

1925(大正14)年には、東武鉄道や南海鉄道(現・南海電鉄)などの経営によって「鉄道王」の異名で呼ばれた根津嘉一郎の手に渡り、現在の姿に増築されます。

1947(昭和22)年には旅館となり、 山本有三、志賀直哉、谷崎潤一郎、太宰治などの文学者が好んで使用しました。そして2000(平成12)年に熱海市が取得し、一般公開されています。

日本庭園をグルッと囲むように建物が配置され、全て繋がっていますので、結構歩くことになります。また、和室や洋室など色々。

様々な色彩の部屋があり、1つ1つ必見ですね。

さて、20分ほど歩いてJR熱海駅まで歩いてきましたが、昭和40年から昭和50年ぐらいにタイムスリップした感じでした。いかにも高度経済成長期に建てられた(ほぼ廃墟の)ビルや旅館が立ち並んでおり・・・と思ったら、この旅館はまだ営業しているのかよ!という場所も。
そんな熱海ですが、新しいリゾート施設なども各地で建設中であり、玄関口の熱海駅も全面刷新に向けて改築中です。駅前にあった熱海鉄道7号蒸気機関車は、駅の脇にある商店街の近くに移設されていました。 さて、これにて氷川副所長とはお別れ。 ちょっと観光があっさりしていたような感じもしますが、自宅から熱海はそれほど遠くないので、また機会を見つけて歩いてみるとしましょう。

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